- Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167717445
感想・レビュー・書評
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身体論
武道
タイトルは、橋本治の至言(「わからない」という方法 集英社新書)から
48
天運と悪運
自分の持っているよきものを他人に与えた人は、それによって運気を呼び込める
82
道具の道具
自分の道具として使えるようになるまでの間は、「先方の都合」に合わせて動くほかはない。道具が主で、身体が従になる。
87
相対的な稽古 奏者中心(個の勝負
絶対的な稽古 楽音中心(全体・交響楽全体
29
相対的な目標
絶対的な目標
日本の武道の心の道は、二通りある。ちょうど縄が2本に縄でよられている様に、2つの道でなわれている。
1つは、武士道、倫理性、常に死と向かい合っている、外から武道に求められ、付けられた道。「人間はこのように活きよ」という、社会の誰もが認める、強い理想の人間像。
もうひとつの道、内在する道(法)精神集中の科学として心の持ち方と使い方。
一方のもうひとつの道、どんなに時代が変わっても変わらない、「人間とは何か」世界観、生命観に根ざす。
120
石火の機
火打石を打つと、瞬間的に火花が散って、打つ動作と発火の間に、何の隙間もないさま。名前を呼ばれたら、中枢的な思考を迂回しないで、瞬間的に応答すること。
150
木人花鳥に対するが如し
道幸の坊、ロボット
「居着かない」身体は、メンタルストレスの影響を受けない。
229
未来がすでに決定しているかのように「決然と動く」ことと、運動の方向や速度を最後まで未決定のまま「ためらいながら動く」ということは、どう考えても矛盾する。「けれども、運動の精度を上げるためには、この矛盾する要請に同時に応えなければならない。
243
ハンカチ落とし 気配
「背中で、ハンカチが落ちる気配を感じる」ゲーム
実際には、ハンカチを落としても音はしない、触感もない。では何を感知するのかというと、そういう物理的な情報ではなく、鬼の「こいつの後ろに落としてやろう」と念じた瞬間の「邪念」を感じ取らなければいけない。そのときの相手の「心の揺らぎ」を感じ取らなければいけない。第六感を鍛える遊びはたくさんあった。襲われる危険を避けるため。鬼ごっこ、缶けり
246
医師 病院特定 患部摘出
ナース システム全体の機能拡大、ホーリスティックな治療感。
259
天下無敵
・かつて敵が居たが、それを全滅した(対症的努力の成果
・どのようにして敵を作り出さないか(予防的配慮として解釈詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
武道をベースとした身体論から、いかに「気分良く生きるか」という事をわかりやすく述べておられる。
勝ち負けではなく、そもそも戦わない事が護身術の目的であるという事は、日常生活にも普遍的に応用できると思う。勝ち負けにこだわった時点で居着きが生じてしまうのだ。土俵に上がらない事、執着しない事が大事。
「胆力について」でも普段から「驚く人は驚かされない」は誠に至言である。
自分の眼前に立つ相手を敵としてではなく、体を共に構成するパートナーとして迎え入れるというマインドセットへ切り替えること、私と敵という二元論に陥らない事が「天下無敵」なのである。 -
内田先生の武道・身体論。最初に内田先生を読みだした頃は、あまり身体論の方面への関心が薄かったのだけれど、だんだん傾倒するようになりこちら方面にも手を伸ばす。『日本辺境論』を読んだのも大きかったかもしれない。
中島敦の「名人伝」の解釈が好きだ。内田先生は西洋思想だけでなくて、老子のような中国思想や、漢文の要素が強い頃の日本の文献などを引用してくるのも自分好みなところ。
武道の動きを独自の語法で説明するところで、高橋源一郎さんが『ニッポンの小説』で石原吉郎の詩に加えていた説明を思い出した。「像を移す」という詩の中に出てくる「私へかくまった しずかな像」とか「私へやがて身じろぐ」といったフレーズを「文法が狂っているように見える」と言いつつ、「これ以上ありえないほど精密な書かれ方」と評している高橋さん。普通の文法では記述できない事柄についてのお二人のフレーズがどこか重なる。
内田先生は一貫して言っていることの一つに「みんな大人になれ」というものがあると思う。「大人」とは責任をとれる人間のことだろう。医療の現場での講演を読みながら、昔「ちゅらさん」というドラマの中で、子育てについて触れる時に「ほんの小さい子供にとって、その後の方向まで決まってしまうような大事なことは親が決めてあげないといけない」というような意味のことを言っていたのを思い出した。例えその大人からの押し付けを子供側から恨まれるようなことがあったとしても、大人はそれを引き受けるべきであり、真摯に向かい合い続ければ、いつか子供にわかってもらえることもあるだろう、とする考え方と受け止めている。上橋菜穂子さんの『闇の守り人』もどこかそんな感覚を前提にしていないだろうか。
それにしても自分は運動が苦手なのだが、こういう考え方と出合っていたら学生時代の取り組み方もまた違っただろうと思う。いや、遠い目で見つめるのではなく、実践すべき? -
エッセイの寄せ集めなので、すごく密度が濃い章とお菓子みたいに軽く読める章と差がある。
自分のやってるスポーツに合わせて考えてみたい。確かに動きを読まれているとやられる。
読まれる前に意思とは別に体が動くようになるまで練習を重ねて型を身につけるのが大事とのメッセージを受け取った。
【読書メモ】
「居着き」は病
足裏が床に張り付いて身動きならない状態
要因は恐怖によるストレス
勝とうと思い詰めることは病
(心のこだわり)
病とは固執すること
固着は滑らかな身体運動を妨げる
相手に心身の情報が伝わることは致命的
「矢を射る」という身体の動きと「矢をいようと思う」という体の動きをリンクさせてはいけない
意識を身体的に徴候化させないためには?
→中枢からの指令抜きで手足を動かす、現場で処理する
人形のように動く
外部から操られているかのように
木鶏
「居着かない」身体
他の人間を見ても反応しない
何を見ても本人の運動能力には変化が生じない
今から攻撃しますと合図を出してから攻撃しない
反撃されちゃうから
予告なしに行う
「無拍子の動き」
ランダムな動き
拍子をずらす -
エッセイ
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35
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武術にも精通しているとは。内田教授の言葉は奥深いわけだ。スポーツ好きのオイラは「なるほど」と思う場面がいくつかあった。身体を研ぎ澄ませておかないと感じられるものも感じられなくなることってあるかもしれない。
オイラはものの例えがスポーツになることが多い。自分にとってそれがいちばんわかりやすいからだ。スポーツの良さを知ったのは40歳を過ぎてからだが、今まで付き合ったことがない人種と交わることで随分いろいろなことを教えてもらった。学生時代に気が付いていたらもうちょっと違う人間になっていたかも。でも、大人の部活動を通していまさらながら気づきをもらうのはたいへん楽しい。頭は悪いが、せめて身体は健康で賢くありたいものだ。内田教授が言う通り、見方によっては運動そのものは身体に悪いかもしれない。怪我しても身体がやりたがるというのは、身体が喜んでいるだろうなぁ。 -
養老孟司さん繋がりで知って読む。逆説的表現が多くて新鮮だった。
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単行本二〇〇三年五月新曜社刊『私の身体は頭がいい-非中枢的身体論』を改題し、増補しました。