裏ヴァージョン (文春文庫 ま 20-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167742010

感想・レビュー・書評

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  • 初読:2008/05/14(文春文庫)
    再読:2017/11/09(小学館、P+D BOOKS)

    (P+D版の感想を転載)
    再読。文春文庫は図書館で借りたのだったか、買ったのだったか…記憶が曖昧。
    P+D BOOKSの刊行予定に見かけたときに、「なんで!?」と声が漏れた。いや、だって昭和文学のレーベルだったんじゃ…。ラインナップの幅を広げたということなんだろうか。の割にその後こういう作品は出ていない。せっかくならこの路線も拡大してほしい。
    さて、内容もほぼ忘れていたんだけど、松浦さんの著作にしては難解だったことは覚えていて、読み返してもその印象は変わらなかった。いや、しかしラストまで読むと、何がしたかったかはそれなりに分かるんだけれど、やっぱりこの手法や表現が難しい、とも思う。というかなんというか、回りくどいというか…。
    『最愛の子ども』(未読)の元ネタみたいな話がぽろっと出てきたりして、なかなか興味深い。

  •  お互いを性の対象としている同士が何か行き違っても恋愛めいたうわ言やもしくは性行為によって一時的にでも事なきを得られることがあるのと違って(絶対では当然ないけど)、そうでない友達同士がすれ違う時は大変難しい。とはいえ友達同士でも密に関係し合う蜜月期もあれば相手にそれほど関心がなくなったりする時期もあり、それは何となく恋愛めいた関係であるけれど、でもそこに性は介在しない…いっそのこと介在させれば楽なのか、でも介在させればさせたで新たな問題はきっと出てくるだろうと思うので、人間関係とは答えのないものだと改めて感じる。

  • 松浦理英子の久しぶりの文庫。最後に読んだのは親指P~かしら。登場人物は女性二人。劇中劇というか文中文というか、変わった構成でした。

  • 私小説なのか全くのフィクションなのか。
    読んでて疲れました、、

  • なんとも疲れそうなゲームを……。よく続けられるなぁと思っていたら、まだまだ続けたいご様子でさらにびっくり。
    もしかしたら一冊丸々、惚気話だったんじゃないかと思ってしまいました。離れた事もゲームの一環なのではないか、と疑っています。
    葛藤や苛立ちも含めた上で、二人はきっと幸せなのでしょう。
    愉しんでほしいです。

  • 脈絡のないいくつもの短編小説。その文末に記された作品に対する辛辣なコメント。徐々にその小説の書き手と読み手の物語自体も浮き彫りになる。紙の上の物語と現実の二人の女性(書き手=昌子、読み手=鈴子)の物語が複雑に絡み合って、表沙汰にならない濃密な関係が火花を散らしてラストへと向かう。

    まずは、小説全体の構成にひれ伏すしかないくらい、素晴らしい作品だと思う。
    「不特定多数に向けた起承転結」という小説の一般概念が初っ端からひっくり返ってる…。
    読み手ー書き手という構図の外側に、さらに現実にこの「裏ヴァージョン」という作品を読む私達読者と、これを書いた松浦理英子さんという作家さんの構図がある。

    そして、性にすぐ逃げない関係性。
    解説にもあったように、今でこそ、同性愛の物語も広く知られるようになってきた向きがあるけど、そこからさらに性の要素を抜いてしまう。
    そんな関係性、考えたこともなかった。
    こんなに緊張をはらんで熱いものだとは。

    好きなら性的に関係してもいい、っていう前提が、世の中にはありふれてる気がするんだけど(逆もあると思うけど※性的魅力があるから好きってこと)、そこは別々に考える鈴子と昌子はすごいと思ってしまった。
    大切に思っている、だからって、性的交わりをしていいかと言ったらそれは別。残念ながら、二人は互いに性的魅力を感じ合えなかった。その妥協しない姿勢が…。

    それから、終盤はほとんど昌子と鈴子のやり取りになるのだが、二人の微妙な考えの違いとか、誤解、そういったものを、たった一人の作家さんが描いてるっていうこと、本当に高度なことだと思うし脱帽です。
    客観性にあふれている。

  • 松浦さんのものを久しぶりに読んだ。大学生の時、同じ授業をとっている人に「今これ読んでる」と見せられたことがそういえばあった。このたび手に取ったのは文庫だが、単行本のデザインのほうがなんとなく好きだったりする。

    仕掛けの多そうな小説だ、というのが最初の印象。
    グラディスやらトリスティーンやらが出てくるところあたりまで来た時に、次々と提示される物語になかなか頭を切り替えられず読むのをあきらめそうになったが、個人的にはここらあたりからが面白いところであると考える。

    話が進むにつれ、いくつかの支流が生成されてくる。セクシュアル・マイノリティについて語られる流れであったり、昌子と磯子の若い時からの関わりについて想起させる流れであったり、小説家(松浦さん自身を部分的に指す?)としての生活に関して語られる流れであったりである。これら一つ一つの挿話が醸し出す雰囲気は、松浦さんの小説やエッセイを既に読んだ者からすると「ああこの雰囲気だったな」と感じられるものであるが、それらの一つ一つの流れが湧いてはお互いに絡まり合ったりするような構成の文章を読んでいての印象は、「小説」としての魅力に非常に富んでいる、というものである。「小説」にしかこういうことはできない、と思わされる瞬間が読みながら何回かあった。

    その中で小説家としての生活について語られる部分が一番私の心の琴線に触れた。「裏ヴァージョン」で語られる昌子は、若い時に小説で新人賞をとっているが、担当とそりが合わなかったりで職業作家として書くことはあきらめた人として登場する。以下は多少妄想的な勝手な読みになるが、これは「世間に認められなかった松浦理英子」という像が、松浦さんのどこかにあって、その像と向き合うような作業を松浦さんがしているののではないだろうかと思ったのである。「性」の問題について果敢に挑む作家として、松浦さんは周囲からの評価を得ている。が、小説家として一定の位置を得るまでは、自分のものが果たして認められるか、という不安も多少はあったのではないだろうか。そして、その時に考えていた「性」にまつわる事柄の思いの輪郭のようなものを40歳という節目を迎えるにあたり、整理しておきたかったのではないか、なんて思ったりする。昌子や磯子という媒体を借りて、松浦さんが自身の内面に迫っていっているように思える時があるのである。昌子も磯子も松浦さんの分身だと思える時があるのである。

    そして、そのことはあくまで本流ではなく、支流としてさりげなく描かれる。韜晦という言葉がとても示唆的。小説家としての一つの達成点を見たような気がし、とても充実した時を味わえた気がする。

  • 共感し過ぎて恐くなる。松浦さんの作品は私を脅かす。

    現実と空想
    わたしとかのじょ
    境界線が無くなる。

    顔だけ出して、水の中に身体を浸していると何処からが自分なのか分からなくなる。
    そんな心持ち。

    昌子は私です。

    【韜晦】トウカイ

    1)自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。
    2) 身を隠すこと。姿をくらますこと。

  • 面白い!!!!

  • 文章がきれい、おもしろい構成で読み始めの数行は頭に入ってこなかったけど、進めるにつれ、そのおもしろさに惹かれていった。女社会の中を覗き込む感覚を楽しめたけど、なんとなく理解しきれない雰囲気があって、そこはマイナスだった。なんだろ女性的小説なのかな・・・

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著者プロフィール

1958年生まれ。78年「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞しデビュー。著書に『親指Pの修業時代』(女流文学賞)、『犬身』(読売文学賞)、『奇貨』『最愛の子ども』(泉鏡花文学賞)など。

「2022年 『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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