ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで (文春文庫 ふ 33-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167844011

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  • ・小さなおまけはY染色体と命名された。性の秘密が遺伝的に決定されることを示した世紀の大発見だった。男を男にするY染色体の名は今日、広く知られている。しかし、発見者ネッティの名は完全に忘れ去られた。虫事件を見るまでもなく、男は女よりも少しだけ足りない存在として生まれてくるのでアリ、それに気づいたのは女性だったのである。

    ・その場しのぎの急造品として無理矢理作り出されたことが男の弱さの原点にある。寿命が短く、病気やストレスに弱い。アダムがイブを作ったのではなく、イブがアダムを作った。すべての男は、ママの美しさを別の娘のもとに運ぶ「使い走り」にすぎない。でもなお希望はある・・・・そういう本『できそこないの男たち』(光文社文庫)を書きました。

    ・はらぺこあおむしたちが自分たちの食べるものを限っているのは、食べ物をめぐる無用な競争をできるだけ避けるためである。分を守って棲み分けているのだ。
     そして、はらぺこあおむしが一心不乱に食べるのは、生き急いでいるからである。行く夏に間に合うように。早く蝶になってパートナーと出会えるように。虫たちの命はひと夏よりもずっと短い。もう虫たちを育てることはないけれど、仕事の行き帰り、植え込みや街路樹の間で、蝶たちに出会うと、ふと足をとめてしまう。ひらひらと低く高く飛びかうその軌跡を追い、視界から消えるまで見送る。

    ・面白いと思った視覚体験を、ずっと面白いと思い続け、その意味を考え続ける。そして気づく。それは人間が勝手に作りだしている境界線や輪郭線を、わざとつなげたり、わざとなくしてみせることの愉快さなのだと。
     これは福岡ハカセが目指していることとピタリと重なる。近代科学は、世界を分けて分けて分けてきた。そして何かを分かった気分になった。でもそれは幻想だった。パーツはどこまでいってもパーツでしかない。遺伝子はすべてゲノムから切り取られ、解読されたけれど、生命のありようは何も解けてはいない。分けた瞬間に失われたものがあるからだ。人為的な分断と文節をつなぎ直し、人工的な境界を溶かさないと見えないことがある。新しいことを知る愉快さとは、金氏さんがずっと大切にしてきた、好奇心の由来を問うことと全く同じものだ。そしてそれは同じ場所から萌芽するものであるということをあらためて感じる。

    ・私たち人間は地球の上に住んでいるのではない。地球の中に住んでいるのだ。そう彼はいった。つまり私たちもまた微生物と同じように環境の中にあって、環境に作用を及ぼし同時に環境に適応しながら生活している。だからこそ私たちはイマジネーションの広がりとしては地球全体に思いを馳せつつ、身の回りの環境についてできるだけ負荷をかけないような生き方を探すべきだと。負荷をかけないというのは、環境の有限性を自覚しながら環境の循環性を妨げないということである。そしてルネ・デュボスは一つの標語を提案した。30年以上も前のことである。しかしそれは今なお新しい。
    Think globally,act locally.

    ・たくさんのパーツが組み合わさって、互いに他を律しつつ、動きながら平衡を保っていること。これが生命を生命たら占めているもっとも重要なポイントだ。動的平衡。それが生命を、単なる機械とは決定的に異なるものにしている。細胞と細胞、分子と分子もまた細い糸で結ばれている。糸とはもちろん比喩で、実際は、情報やエネルギーの流れがその役割を果たしている。
     文楽では、互いに他を律して動的な平衡を保っているのは糸だけではない。足遣いの右手は常に主遣いの脇腹に当てられて情報を交換している。左遣いの視線は常に頭の背後を外れることがない。勘十郎さんはそんな大切なからくりも明かしてくれる。
     ならば反対に、わざと生きていないように見せることもできる。糸を切ってしまえばよいのだ。マイケル・ジャクソンのムーン・ウォークやロボット的な動きは、故意に、互いを他を律することをやめ、パーツが独立してふるまう動きだけを強調している。そこでは生命が消え、機会が浮かび上がってくる。

    ・進化のプロセスで、生命は致命的なコピーミスが生じないよう様々な仕組みを作りだしてきた。正確にDNAを合成する酵素、たとえミスが発生してもそれを校正するような修復システム。もし細胞分裂に伴う遺伝子の複製が100%完全に行われれば、がんは発生しなくなるだろうか。たしかにコピーミスに由来するがんは起こらなくなるだろう。しかし同時に生命にとって決定的に致命的なことが起こる。それは進化の可能性が消えてしまうということである。わずかながらコピーミスが発生するゆえに、変化が起こり、その変化が次の世代に伝わる。それがもし環境に対して有利に働くなら、その変化が継承される。これが進化である。それゆえ生命は、常にミスの可能性を残した。つまりがんの発生とは進化という壮大な可能性のしくみの中に不可避的に内包された矛盾なのだ。

    ・福岡ハカセがハカセになったあと、ずっと続けてきたことも基本的には同じ問いかけなのだと思う。こんな鮮やかさがなぜこの世界に必要なのか。いや、おそらく私がすべきなのは、問いに答えることではなく、それを言祝ぐことなのかもしれない。

    ・すると伊東さんはこんな話をしてくれた。
    僕は、田舎に育ったんです。近くに湖がありました。夕方になるとトンボのヤゴが岸辺に一斉に上がってくるのです。それを一生懸命、捕まえて家に持って帰って、容れ物に放すのです。枝や草をいれて。するとヤゴたちは明け方、それに登り、しっかり掴まったあと、ゆっくり羽化を始めるのです。子供だから寝入ってしまうのですが、親に頼んでおいて起こしてもらうのです。その様子を見るのが楽しみでした。そして今でも思うのです。あんな建物が作れたらどんなにすばらしいだろうと。

    ・古い諺に、「馬を水辺に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない」というものがある。私は、いつも自戒の意味を込めてこの言葉を反芻する。この諺は、学びという行為の不可能性を言い当てている。どんなに学ぶことが面白いことかを力説したとしても、実際に面白さを強いることは誰にもできないと。しかし、同時に、この諺は、学びという行為についての、ある種の希望として読むこともできる。少なくとも私は、誰かを水辺に誘うことはできるかもしれない。あるいは、青の青さを、翅の輝きをほんとうに伝えることはできないけれど、誰かがその場所っから出発し、かそけき星を求めてさまよう旅程を語ることならできるかもしれない。

  •  では、たとえば、一流ハンマー投げ選手の子が再び一流ハンマー投げ選手に、不世出の名騎手の子がまた不世出の騎手になっている。あれは遺伝ではないのか。遺伝ではないと福岡ハカセは思う。一流プロの子弟が同じ道の一流プロとなっている数多くの例は、一見、DNAが伝わっているように見えるけれど、実はプロを育てる「環境」が伝えられているのだ。
     それに関してこんな調査がある。一流と呼ばれる人々は、それがどんな分野であれ、例外なくある特殊な時間を共有している。幼少時を起点としてそのことだけに集中し専心したゆまぬ努力をしている時間。それが少なくとも一万時間ある。一日三時間練習をするとして、一年に一千時間、それを十年にわたってやすまず継続するということである。その極限的な努力の上にプロフェッショナルという形質が獲得される。それをあえて強要する環境が、親から子へ伝わっているのだ。

  • 福岡ハカセ、外れはありませんが、教育論として読んでも面白い。さらにファンになりました。

  • 中学生とか、高校生が読めばいいかもしれない。この人のことを、コラムの文章家として扱うメディアが信じられない。
     日高敏隆や、今西錦司、養老孟司にあって、この人にないものはないか、それは多分、学問や趣味、ひいては人生に対する思想性のようなものだ。読んだ本の向こう側、あるいは、その奥にある扉を開けても何もない。そういう薄っぺらな印象の文章が並んでいる。すぐ読めて、すぐ忘れる。
     身過ぎ、世過ぎを批判するつもりはないが、金を出して買う読者もいるのだということを忘れないでほしい。

  • 一箱古本市

  • 文春の連載をまとめたものです。
    福岡ハカセの他の本を読んだことがあれば、目新しいものはさほどないですが、
    それぞれがコンパクトにまとまっているので、ちょっとした空き時間に読むのに最適でした。

    特に面白かったのは、『1Q84』のリトルピープルについてのハカセらしい解釈ですね。

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著者プロフィール

福岡伸一 (ふくおか・しんいち)
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

「2019年 『フェルメール 隠された次元』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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