徳川がつくった先進国日本 (文春文庫 い 87-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167907761

感想・レビュー・書評

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  • なぜ泰平の江戸時代は260年も続くことができたのか。そのポイントを4つに絞って解説し、今の日本が見直すべき方向性も提示した。

    非常に面白かったです。中身は江戸時代が長続きしたという事象の解釈のひとつにすぎないのですが、とても魅力的な説でした。ただし編集者の仕事でしょうが、タイトルの付け方や帯の文句がダメなので星ひとつ減らしました。タイトルと帯を見て手に取るのをやめた人もいそうでもったいない。
    外交や災害、米本位制など、テーマを絞って幕府が政策を見直していくところを解説していて、非常にわかりやすいし流れも掴みやすいです。このあたりは本当に磯田先生の面目躍如な気がします。
    一方でちゃんと歴史の裏側、表からは見えにくいところを本質に据えているのも、歴史家としての磯田さんの視点の深さを伺わせます。江戸初期の幕府の暴力政治の転換点、最大のターニングポイントになったとされる出来事についても農民の窮状やそれに至る支配者層のドクトリンがよく分かって面白かったです。また、ほとんど知られていない茨城県小生瀬の一揆を取り上げるところなんて、本当に磯田さんらしいと思いました。
    さて、この本のテーマのひとつは日本社会への提言でもあります。それは江戸時代を見返すと、同じような状況で袋小路にはまった現代日本だって先進国に返り咲くヒントがあるよ。ということなのです。つまりタイトルとは真逆で、もう先進国じゃないんだから江戸時代を見習ってがんばれよ。みたいな話なので、内容がよかっただけに本当にこのタイトルと帯は残念でなりません。
    ここはひとつ、ほとんど史料のない小生瀬の騒動を丹念な取材から浮き彫りにして悲しい歴史絵巻に昇華させた飯嶋和一さんの「神無き月十番目の夜」と一緒にお楽しみください。

  • 徳川の平和「パクス・トクガワ」と呼ばれる260年の平和な時代が何故創られたのかというテーマで、過去4回のシリーズとしてNHK教育TVで放映されたものの文庫化。

    当初、軍事政権として発足した徳川幕府は、領民から年貢という「地代」を一方的に取るという考え方で、現代のような行政サービスと引き換えの「税」ではなかった。
    このような、考え方に変化を起こした「島原の乱」「天明の大飢饉と浅間山の大噴火」「宝永地震」「ペリー来航の60年も前のロシアが襲撃した露寇事件」で具体的に説明を試みている。
    そして江戸幕府はこれらの災害・危機を乗り越えるために知恵を絞り、軍事政権から脱皮していく。

    以下、「島原の乱」と「天明の大飢饉」を簡略に説明していきます。

    「島原の乱1637年」
    家康から三代将軍家光に至る半世紀の間に、全国で130以上の大名が改易されている。また一揆をおこした村は皆殺しにあうなど、徳川による統治はようするに「暴力支配」だった。
    こうした幕府のありかたに軌道修正を余儀なくする「島原の乱」が起きる。
    一揆勢は23千人(37千人とも?)は女子供に至るまで全員殺戮された。一方鎮圧軍の死者も8千人(12千人とも?)の被害が出ている。この数は全国の武士の1%にも当たる驚くべき数字だ。

    この反乱での死者の問題よりもっと大きな問題となったのが、乱のその後であった。これだけの数の領民が一度に亡くなったので、人口が激減して農村は荒廃の一途を辿る。これは幕府にとって大きな教訓となった。つまり領民を殺し過ぎると年貢を納める農民がいなくなり、武士が食えなくなるという、実にシンプルな事実である。
    この地方では、移民政策や年貢の減免する措置が取られ、この地方を再興するために、幕府や支配層である武士は、多大な代償を支払わなければならなかった。
    幕府でも、徳川綱吉は「武家諸法度」の第一条を従来「文武弓馬の道・・・」とあったのが、「文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」と改めている。
    さらに「生類憐みの令」・・・これは非常に誤解されて悪法と言われているが・・・内容には「老人を姥捨て山に捨ててはいけない」「病人や行き倒れの治療を放棄してはいけない」等、社会的弱者を救済する内容になっている。
    徳川綱吉の政策は「殺す支配」から「生かす支配」への転換点となった。

    「天明の大飢饉1783~1784年」
    徳川吉宗は、享保の改革で、幕府財政の引き締めを行い、米の増産のために、新田開発に注力し、また田沼意次は、幕府財政面の米に依存しすぎる経済体制には限界があると悟り、商品経済重視に転じたが、基本的な思想は、共に「財政あって福祉なし」という民に対して何も施さない政治には変化はなく、飢饉~一揆~打ちこわしという連鎖は止められず、浅間山の大噴火や、天明の大飢饉による江戸での打ちこわし事件を契機に、田沼は失脚することになる。
    天明の飢饉による死者は全国で百万人に上るとの推計がなされている。
    田沼意次の後を引き継いだ松平定信は、まず飢饉対策に取り組み、都市・農村を問わず、凶作や災害に備えての米や金銭を蓄えるという備荒貯蓄政策を推進する。各藩でも幕府に連動して、飢饉への備えとして村々に「備荒倉」を設置したり、赤子養育育英金を支給したり、妊婦を手厚く保護するような政策が取られ始める。
    不完全とはいえ、それまでの「軍事政権」から、福祉行政の機能を持った「民生重視の政府」へとシフトしていく。

    僅か150ページの薄い文庫本であるが、徳川軍事政権が、武力だけで260年もの平和な時代が続いたのではないと言う事がよく分かります。

    そうした結果、江戸文化が発達し現代に繋がり、その恩恵を受けている我々は、この国に生れた僥倖を喜ぶべきだろう。

  • 歴史って、学生の頃は、暗記科目と言う認識しかなかったけど、大人になって読む歴史の本って、過去の事実を学ぶだけじゃない、そこから現在、未来に活かしていかなければ、同じ過ちを繰り返しては、歴史を学んだことにはならないよ、って思うことが多々あり、今、正に強く思うこと。

  • 先進国とは何か、という定義をしないと、キャッチーなタイトルだからこそ、嘘くさく見えてしまう。
    著者が言う先進国というのは、民衆の命を尊重する国、人命を消耗品としない国、ということである。

    戦国時代から徳川の世になって、ここで大きく国家運営の方針を転換したことが、長く平和な江戸時代を作った。
    悪名高い生類憐みの令で綱吉が言っていることはこうだ。
    ”犬ばかりに限らず、惣(すべ)て生類人びと慈悲の心を本といたし、憐み候儀肝要事”
    生きとし生ける者全てに慈悲の心を持つことを国の根幹とする。

    今の日本は、果たしてこの意味での先進国たり得るか?

    地震、火山の噴火、相次ぐ米の不作。
    この窮地に幕府が推奨したのが、新田開発。
    米作り=経済発展だった当時、要するに経済の基礎力を高めつつ、雇用の確保にもつながる新田開発は、一定の効果はあった。

    ”国に九年の蓄え無くば不足なりと曰う、六年の蓄え無くば急なりと曰う、三年の蓄え無くば国その国に非ずと曰う”
    中国の古典を引用し、生産性のあがった米を備蓄し、それを基金として困窮者に貸し付けを行ったり、凶作時には放出されたりして、スベテは順調と思われた。

    しかし、行き過ぎた開発が自然破壊を生み、津波被害等で人口減少へと転ずる。
    農業は自然との付き合い方が肝心なので、記録を取り、分析し、与えられた環境での生産性向上に方針転換をする。
    そのため農民にも読み書きそろばんが必要となり、寺子屋などがつくられる。

    ふむふむ。
    無理難題を吹っ掛ける困ったお代官様もいたのかもしれないけれど、基本的には庶民が安心して暮らしてくれないと藩の経営、ひいては幕府の経営も成り立たなくなってしまうので、大枠では民主的だったりもしたのだな。

    権力をもつ者には、民を守る責任がある。
    これを、上に立つものが心していたからこそ、江戸の平和は長く続いたのだ。
    自己責任などと言って、民衆の困窮に気づくことのできない為政者が続いていたら、もっと早くに幕府はつぶれていただろう。

    幕末、蛮社の獄で処分された渡辺崋山の言。
    ”眼前ノ繰廻(くりまわ)シニ百年ノ計ヲ忘スル勿レ”

    目の前を繰り回すために百年のはかりごとを忘れてしまっては、大きな禍根を残す。
    今、この言葉を真剣に考える政治家は何処にいるのだろう。

  • 江戸時代は民政(民を思いやる政治)を行なっており、その起源を解き明かしてゆく

  • ロシアの接近を機に強く意識されていった。否が応でも対応を攻められた幕府が、彼らの開国要求をはねつけるために、まるで家康以来の伝統祖法であったがように鎖国と言う観念を急速に形づくって行った 当時の日本は小さな島国3千万の人口を養う、高度に発達した米作社会でした 農民を殺戮しすぎると領地から年貢を収めてくれる農民がいなくなり、その地を収める武士たちが食えなくなる 政治・統治面で見れば殺す支配から生かす支配回の転換だったと言える。生命重視の大転換がまさに綱吉によって図られ、徳川の平和が完成したのです

  • 殺戮の戦国時代から近現代に通じる礎を築いたのは、(パクス)徳川幕府だとするエッセイスト風の歴史解説書。
    読者の知的好奇心を煽りながら、すぐ読める。

    「生類憐みの令」、「島原の乱」、「レザノフ」など、試験に出る日本史用語を本当の歴史的意義を優しく的確に解説してくれる作品。幅広い読者を満足させてくれるのでは。

    私の好きな覆面作家で、「昔は良かった病」と断じ、現代を賛美するパウロマッツァーリーノとの対談や議論の場を読める機会があるならば、高額なハードカバーでも、即買いします。

  • NHK出版「NHKさかのぼり日本史⑥江戸 ’’天下泰平’’の礎」文庫版。

    第1章「鎖国」が守った繁栄 1806年(文化3年)
    第2章飢饉が生んだ大改革 1783年(天明3年) 
    第3章宝永地震 成熟社会への転換 1707年(宝永4年) 
    第4章島原の乱 「戦国」終焉 1637年(寛永14年)。 
    参考文献・年表

  • 今の平和な日本は江戸時代の人たちの努力のおかげ。歴史は繋がっているものだと実感した。

  • 映画『関ケ原』でも


    したたかなな武将として描かれている家康ですが


    彼が開いた江戸時代260年こそが今の日本の礎を作ったと

    磯田先生は言います




    そして大震災、原発、景気、国家財政、老後の生活保障、税金


    どれをとっても不安が募るいまこそ
    江戸人の姿に学ぶところがあるはずと!


    以下の磯田先生の指摘を
    携わる人たちは、しっかりと心に刻んで欲しいものです

    “現代政治においても、財政再建、財政の健全化は往々にして大きな政治課題・目標に位置付けられます。しかし、それが自己目的化してしまうと、本末店頭になります。現代の国家における政治や税制の目的は長い目でみた国民福祉の実現にあります。現代国家は税金で食べている人たちのものではありません。社会経済の変化にあわせて税制を変えながら、持続可能な福祉を国民全体に提供しつづけるのが現代国家の仕事です。しかし、これは賢明な国民と賢明な政府でなければ実現できません。”

著者プロフィール

磯田道史
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年4月より国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『無私の日本人』(文春文庫)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイストクラブ賞受賞)など著書多数。

「2022年 『日本史を暴く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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