飛族 (文春文庫 む 6-6)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167918125

作品紹介・あらすじ

日本海のはずれ、朝鮮との国境に浮か養生島。 かつては漁業で栄えていた離島で暮らす三人の老女のうち、ナオの死で、いまはイオとソメ子のふたりが取り残されている。 九十二歳でひとり暮らしのイオの娘、ウメ子も六十五歳になった。 イオは海女をなりわいとして、八十五歳までアワビを獲るほど、心身ともに丈夫ではあるけれど、娘のウメ子としては心配でならない。 二十五年前の海難事故で命を落とした夫を供養するイオとソメ子。 異国からの密漁船による侵略や、地球温暖化など、不吉な未来を予感しながら、泰然と暮らしを守り続ける老女たち。 そんな島に、おそろしい台風が近づいてきて……。 名作映画「八月の鯨」のように、海辺での厳しい暮らしとシンプルに生きようとする姿に胸を打たれる。 いまの時代こそ、こんな世界に浸りたくなる。谷崎潤一郎賞受賞作品。解説・桐野夏生

感想・レビュー・書評

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  • ふたりの女性が、離島にいる。
    92歳と88歳で
    ゆらゆら漂うように生きていた。

    このオビ文句に触れ、自然と手が伸びた。
    日本海のはずれ、養生島で暮らす二人の老人。
    その一人、92歳の母イオさんを本土に迎えるため、娘のウミ子が訪ねていく。

    読んでいると、イオさんもソメ子さんも、しっかりと老いているはずなのに、なぜか艶々と描かれるときがある。
    海に潜り、踊りを舞う。
    その姿に、時々ドキッとさせられる。

    養生島の暮らしは、よくあるバカンスのように居心地良いものとして描かれているわけではない。
    安全な暮らしは、本土にある。
    けれど、イオさんが今更、海を離れたくない、ソメ子さんと別れるつもりもない、と願う気持ちが伝わってくる。

    そして、人がいることで島は存在しているとも言える。

    でも。どちらかが先に死を迎えた時、寂しくないんだろうか?
    二人には大きすぎる島に、一人残されること。
    でも、その寂しさは、他人事ではない。
    一人では狭い本土の生活にだって、それはある。

    それなら、死んだ人たちの墓を守りながら、彼らが鳥に姿を変え、渡りの中で会いに来てくれることを〝実感〟しながら生きることの方が……なんというか、優しい気がする。

    自分もいつか鳥になる。
    死して「飛族」となること(とあるゲーム風に言えばライフストリームの一部になること)を願う姿に光を見る。
    コンクリートの都会では、還っていくことの想像だって、しにくいのだな。

  • 第55回谷崎潤一郎賞受賞作。

    登場する島々は架空だが、日本列島西方沖という立地やキリスト教との文化的接点からは五島列島を彷彿とさせる。

    離島の限界集落に暮らす二人の老女・イオさんとソメ子さん。そこへイオさんの娘で高校卒業とともに島を離れて今は大分県で暮らすウミ子が訪れる事から物語がはじまる。

    のんびりした南の島のおばあさん達の暮らしを眺める作品かと思いきや大違い。

    生活の不便さは容易に想像に至るが、島民が住んでいる限りは定期連絡船を止める訳にはいかない行政サイドの負担と努力。
    かと言って無人島になってしまうと外国船の侵入や密漁・密入国を許してしまう抜き差しならない事情もある以上、誰かしらには居てほしい・来てほしいという実情もある。
    そして頻繁にやって来る台風。迫真の描写。空き家が吹き飛ばされるシーンでの「瓦の破片や草の切れ端が〜巨きな人間の胸板のようなものが破れて、その引き裂かれた肋骨みたいな内側から臓物や血管が剥ぎ取られ、地面にぞろぞろと降り掛かってくる。」(p207)という部分は背筋がゾクリとした。

    またシオさんの通夜の場面冒頭、「人間はつまらんもんじゃ。〜島も山も岩も千年動かぬもんを、人間は甲斐なかぞ。甲斐ない、甲斐ない。」(p133)とつぶやくイオさん。胸にダイレクトに届くことば。一方でシオさんの魂は「銀色の朝日」となって天に昇る。実に「美しか死」(ともにp137)である。

    この作品では海中の描写も多い。長年を海女として海で生きたイオさん、ソメ子さん達。海底に向かって深く深く潜っていくと、深さというか高さというかが曖昧模糊となり、いつの間にかタイトルの通りに『飛』んでいると錯覚する状態になる。また所々で老女らが舞う「鳥踊り」からも、地面からの解放といおうか、死後の転生、すなわち「あしたん たびだち」(p23)で鳥になって飛び立ちたいと願う様子が見られる。

    離島暮らしの紛れも無い現実と、海と空・人間と鳥・生と死の境がぼんやりと曖昧で幻想的な描写とのコントラストが際立った物語だったように思う。

    あるがままに生きるイオさんらは間違いなく『飛族』と呼ぶに相応しいだろう。
    細かい事にかかずらって生きていたら「甲斐なかぞ」と叱られてしまうだろうな。



    1刷
    2022.3.25

  • 初版を借りて読んでか、数年。
    文庫化された本を購入して、ゆっくり読む。
    とにかく良い、じっくり味わいながら読む本だ。

    二度目は娘のウミ子の気持ちの変化に、
    いっそう理解ができ、共感する。
    それだけ母イオさんと、ソメ子さんの91歳と87歳の
    二人の行動も見守りたい気持ちになる。
    ウミ子の決意も、今回はよくわかる。

    解説の桐野夏生氏が、「あわいで溶け合う」
    と書いている。
    私たちは、何かと境界をひきたがるけれど、
    本当は、そういうものではないのかもしれない。
    そう思わせられる国境近くの過疎の島の
    生活感と共に不思議な美しさを
    堪能した。

  • 島に2人の老女が生活をしている、それだけで興味をそそられたけれどその小説の内容はどんなものか、読み進めて実際にこのような島はあるのだろうか?今はなくてもかつてあったとか。。
    ウミ子さんの立場になったら母親を引き取りたいというのが本音だというのも理解できる。ただウミ子さんは島で育ったから島から離れようとしない母親の気持ちも分かってしまい寄り添っている。自分が島で暮らすことを考え始めている時点でたくましさがわかる。台風に襲われて散々な目に遭ってもどうにか暮らしていける、となれば2人の老女はやはり命あるかぎり島で暮らすことを選ぶのだろう。きっとウミ子さんは2人を見届けるまで島で生きることになるのだろう、と思った。

  • 死んだら鳥になる言い伝えを信じ、日々鳥踊り(鳥になる練習?死者との交信)に勤しむ離島の婆さん2人とそれを見守る娘。生と死のあわいをイタコ的要素も含め力強く表現。また隣国との緊迫しているようでしていないような国境問題も、婆さんが住んでるから国境が守らているとの理論にハッとする。昨日と今日と明日はつながっていて、空と海と魚と鳥もつながっている。

  • 文庫になって、電車用にサイズがいいなと手に取ったのだが、とても面白いのであっという間にに読み終わってしまった。
    どことなくマジックリアリズムのような雰囲気もあり、一瞬沖縄が舞台かと思ったが、九州のようだ。
    島に残る老女二人のなんともあっけらかんとした話が、時に不思議な世界感で、梨木香歩さんや恒川光太郎さんが好きなら読んでも間違いないと思う。

    • Hidefumi  Tachibanaさん
      私も今日読了しました。
      これ多分長崎の五島列島のさらに周辺の離島が舞台。波多江島は福江島のことだと思います。
      私も今日読了しました。
      これ多分長崎の五島列島のさらに周辺の離島が舞台。波多江島は福江島のことだと思います。
      2022/02/27
  • 【桐野夏生絶賛、谷崎潤一郎賞受賞作】日本海の離島で、ふたりの老女が暮らしを営んでいる。厳しさに負けず、シンプルに生きようとする姿に胸を打たれる。 解説・桐野夏生

  • NHK FM新日曜名作座で現在放送されている本作の事が気になり読んでみた。孤島養生島には母親イオさんと海人友達のソメ子さんしか住んでいない、そんな島に娘のウミ子がやって来る、出来れば島から連れ出したい、しかしこの老婆二人は島を離れる気はない、そして台風に襲われてウミ子もこの島で住もうと決心する。しかし限界集落は問題になっているが孤島の無人島化はもっと問題だ、泥棒のような中国人が空きあらばと狙っているのだ、ミサイルを買うだの国防論議が盛んだが、無人島になってしまった島に公務員を常駐させるのが先だろ。

  • 88歳と92歳の老女だけが、この島の住人になってしまった。老女のひとり、イオさんの娘(65歳)は母を本土に連れ帰るために島を訪れる。やがて娘の気持ちは傾き始める…。

    どこで生を終えるかなんて、考えたことがなかったかもしれない。というか、生を終えたところがその場所だ、くらいに考えていただけかもしれない。自分が最後にいる場所について、考えを巡らせたくなった。

    空と海と大地と鳥と魚。老女ふたりは、そんな自然と共に過ごすが、時にその自然は牙を剥く。でも、それらそのものが生活で、ふたりにとっては離れがたきものなのだった。人類は、本来そういうものなんだろう、と思った。そして、いつか、自然へ帰る。

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著者プロフィール

1945(昭和20)年、福岡県北九州市八幡生まれ。1987年「鍋の中」で芥川賞を受賞。1990年『白い山』で女流文学賞、1992年『真夜中の自転車』で平林たい子文学賞、1997年『蟹女』で紫式部文学賞、1998年「望潮」で川端康成文学賞、1999年『龍秘御天歌』で芸術選奨文部大臣賞、2010年『故郷のわが家』で野間文芸賞、2014年『ゆうじょこう』で読売文学賞、2019年『飛族』で谷崎潤一郎賞、2021年『姉の島』で泉鏡花文学賞をそれぞれ受賞。ほかに『蕨野行』『光線』『八幡炎炎記』『屋根屋』『火環』『エリザベスの友達』『偏愛ムラタ美術館 発掘篇』など著書多数。

「2022年 『耳の叔母』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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