- Amazon.co.jp ・本 (525ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198914776
作品紹介・あらすじ
荘厳・華麗・悲惨・無意味…あらゆる死がここにある!十五歳から五十五歳までの様々な死に方。
感想・レビュー・書評
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ビブリア古書堂の事件手帖に登場した本で気になったので購入。
古今東西の偉人たちが最期をどのように迎えたのか書かれています。
夏目漱石、芥川龍之介、マリリンモンロー、モーツァルトなどの偉人の功績は知られていますが、最期はどのように迎えたのかはあまり知られていないと思います。どんなに偉業を成した人でも必ず訪れる死に、どのように対峙したのか、幸福のうちに迎えられたのか、または、無念のうちに迎えたのか。興味が湧きませんか?
自分にもいつか訪れるものに、少しでも後悔が少ないように、今この瞬間を一生懸命に生きようと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
山田風太郎による人間の死に方図巻、全3巻。15歳で死んだ八百屋お七から100歳以上の長寿者まで。私は時代劇や歴史物を読んだり見たりするときの虎の巻として使ってます。
死んだ時の知り合いの証言や記述を集め、どうやって死んだかを通して、その人の人生を浮かび上がらせる文章力が見事。反面、この図巻に乗っている人たちのことは、読み手は当然知っているものとして語られるので、知らない人については個別に調べる必要もあります。また死に方を知りその人物に興味を持つことも、反対にこれ以上知りたくないと思うこともあり(凄惨すぎる死に方をした作家の本はもう読めないな…とか)。
若い死はやはり残念だけれど、働き盛りの壮年での急死は本当に無念だったと思う。東京裁判での死刑囚たちの描写は本当に涙がぽろぽろ出てきました。
垣間見える山田風太郎の死生観も良いのです。
豪快と評される人物の女性への接し方を「いい気なもんである」
切腹前の武士の辞世の句を「昔の人はこういう事態によくもこんな辞世を残せたものだと感心する」
立派に死んだとされる人物が、死刑判決を聞いたときに取り乱したという記述に関して「前日覚悟の遺書を書いたはずだが、それでも現実の死刑宣告は彼にとって衝撃だったのであろう。矛盾よりも、人間とはこうもあろうと思わせる」
志半ばに死んだ人物を「死は大半の人にとって挫折である。しかし奇妙なことに、その死が挫折であればあるほどその人生は完全形をなして見える」
晩年の名言を「負け惜しみだろう」
遺言が叶わなかったことに対して「死者の意志は生者の都合により反故にされる」「人は死ぬときに自分の名を残したいと思うものと、消し去りたいと思うものがいる」など。
死病にかかった人物の苦しみを「彼の数々の奇行乱行はこの苦闘の飛沫であった」
裁く立場から裁かれる立場になった人物を「人間には人を断罪することには熱情的だが、自分が断罪される可能性のあることには不感症の傾向がある」「人は最後の関頭に当たって、突如として敵が寛大でありえるような妄想を抱くことがある」 -
お約束で藤村操の遺書と他を見まくる。
彼の英語の先生がテンパってるとか、こっちの兄ちゃんが遺書を愛読し何回も詠唱して泣いてるとか。
他、淡々と資料のある人の死にざまが出る。
どう言ふわけか、このやうな客観的な人が客観的に書いてる資料で、出て来る向田邦子さんの最晩年が、アレ。 -
山田風太郎 「 人間臨終図巻 」 1/3
著名人の最期を死亡年齢別にまとめた本。1巻は 八百屋お七(15歳)から大川橋蔵(55歳)まで。若い人の死は 不平等、不運、愚かさ、残された者の哀しみを 一層強く感じる
戦後 闇米を拒否して 34歳で餓死した裁判官 山口良忠 氏の言葉「善人の社会での落伍者は悪人であるが、悪人の社会での落伍者は善人である」に 善悪が 生死に優先する姿勢を感じた
戦中派の法律家としてのプライドを感じると共に、善悪が生死を優先する生き方は 死刑囚が 死の直前に 罪の後悔や良心の呵責を感じることなく、平然としていることとリンクした
エピグラフが秀逸
*神は人間を賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す(著者)
*死は終わりを意味するが、残された者には 始まりを意味する(シュナイドマン)
*人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る
石川啄木(26歳) 「いくら生きようたって こんなですよ〜金を払わないから、医者も来てくれない」
源実朝(27歳) 「いでいばな 主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ春よ忘るな」
高杉晋作(28歳) 「おもしろきこともなき世をおもしろく」
吉田松陰(29歳) 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、とどめおかまし大和魂」
芥川龍之介(35歳) 或阿呆の一生「彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしていた〜刃のこぼれた細い剣を杖にしながら」
宮沢賢治(37歳)「雨にも負けず、風にも負けず〜」
織田信長(48歳) 「人間五十年、化天の中をくらぶれば夢まぼろしの如くなり」
夏目漱石(49歳) 「私は死んで始めて絶対の境地に入ると申したい〜その絶対は 相対の世界に比べると尊い」
芭蕉(50歳) 「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世だ」 -
没年齢別に、古今東西善人悪人…様々な形で名の残る人々の臨終際を記した本。人選が秀逸。
長寿大国で、天寿を全うし病院のベッドで死ぬのにも、語りきれないドラマがあるけれど、この本を読むと今の日本は「死の形」の選択肢も狭くなってきたのかなあ、と思ってしまう。 -
結構淡々とした記録になっていて面白い。まとめかたによっては研究書あるいは論文になりうるのではないかと思いました。まあ、卒論くらいには。
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2021-01-21 再び出会ったので記録
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夭折から長寿まで、男女・・当然と言えば当然だが死に方は様々。生き方も様々。
執筆をつづけた山田氏の背中が、何かしら痛く感じた。そして読みつつ、3頁くらいで疲労感山積。ものすごい時間をかけて読了した。 -
文学
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まさに歴史上の人物の臨終「図鑑」。山田風太郎的ラインナップと解説寸評がファンにはとても心地いい。
ナポレオンと大久保清と大正天皇と石田吉蔵(阿部定にちんちんを斬られて絶命)が同列に並べられるのだから、これぞ風太郎! -
円谷英二、高杉晋作の死が感慨深い。
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あまりに知らない人は、短い文章の中では背景がわからなかったので、読んでいても興味がわかなかった。少しでも名前を聞いたことがある人は、どういう死に方をしたんだろうと大変興味深かった。2,3とあるみたいだけど、それほど読みたいとは思わないかな。
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事実を突きつけて考えさせるタイプのが好きです。生き様にスポットを当てた書物は多いけど、死に様は少ないように思う。誰しも平等に訪れるものが、こんなにも変わってくるのかと考えさせられたと同時に、いつ来るか分からないその時が身近に感じて一所懸命一日一日を過ごそうと思った次第です。
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NHKラジオで高橋源一郎さんが紹介していたのをきっかけに読んでみた。
この年表を作るような作業に感服したが、途中で気持ち悪くなって2巻の真ん中くらいで読むのを止めました(笑) -
古今東西の900人あまりの有名人が、いつどのように死んだかを記述した壮大な博覧書。享年15の八百屋お七から同121の泉重千代まで、享年順に臨終の様子が描かれる。
1人ひとりの文章量は少なく、せいぜい3ページなのだが、人間という現象が「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明(宮澤賢治)」であるならば、その輝きの大きさや明るさ、そして階調までを著者独特の乾いた、しかし温もりある筆致で綴っており、深い余韻を残す。
先日恩師が急逝した。彼はよく「Man is mortal, だからこそMan lives」と口にしていたのだが、本書に収めるとしたら、著者はどのように彼を描いただろうかとふと思う。しかしその著者もすでに鬼籍に入った。
折しも世間は盆休み。亡くなった人すべてに、合掌。 -
人は誰でも死にゆくもの。死亡年齢の若い順に、15歳から55歳で亡くなった有名人の死にかたが紹介されています。
おびただしい数の人物に圧倒されます。
生に固執する人、自ら死に向かう人、死に際はさまざまですが、ハードな命の終え方が紹介され、読んでいて生気を吸い取られます。
読後感が非常に悪いもので、一見悪趣味にも取られかねない内容ですが、著者は作家としての人物描写のために情報収集したものだと思われます。
知らない名前でしたが、山田風太郎氏は『魔界転生』の著者だそう。
熱くならず、一歩離れた場所からクールにその臨終シーンを見つめています。
有名な人でも、その死に方までは知らない人が多く、どんなに地位や名誉を持つ人でも、死の苦しみは免れないものだと感じます。
知らない人物も大勢登場しました。名前の下に職業を書いてもらえると、わかりやすかったのにと思います。
勉強にはなりますが、死の際からその人について知るというのもなんだか逆説的。
知らない人は、やはり死のシーンからでは頭に入っていきません。
死のシーンばかりでやりきれず、滅入りそうになりましたが、死の際の凄絶さは誰もが印象的なものです。
畳の上で死ぬということの幸せを感じました。
その人の生き方から(そんな年齢だったとは意外)と思える人も大勢いました。
たとえばネロ皇帝は36歳で死亡。もっと長生きしたものかと思いました。
キリストは竜馬と同じく32歳。
浅野内匠頭は34歳。
聖徳太子、上杉謙信、織田信長、真田幸村、淀君は、全員享年48歳だったそうです。
鼠小僧は大名屋敷にばかり忍び込んだものの、別に義賊ではなかったことや、バイロンがウエストミンスター寺院に埋葬されることを許されていないこと、マリリン・モンローの死体を解剖したのは日本人監察医など、興味深い死にまつわるエピソードもありました。
浅野内匠頭の狼藉は吉良ではなく政府に罰せられたものであるため、赤穂浪士の仇打ちは、常識的には成立しないものだということも、考えてみれば納得です。
夏目漱石の葬式の受付を芥川龍之介が行い、そこに森鷗外が現れたという、日本文豪の巡り合わせのシーンなども紹介されていました。
リルケとヴェルレーヌの生き方と死に方のあまりの違いに驚いたりもし、死を中心に持ってきた内容ながら、その人を身近に感じられるものとなっています。
ただ、読み終えて感じたのは、人の死について残された人間が言うべきことは、突き詰めれば何もないなということでした。
これは三巻まで続きますが、まずはこの一巻でおなかいっぱいという感じ。
また時間を置いて、続きを読んでみたいです。 -
愛する山田風太郎先生の書籍で、しかもこんだけリッチに氏のコメントや意見が多角的に書かれているなんて、本当に読みながらよだれが出るんじゃないかといやでていたんじゃなかろうか。そのくらいの一冊です。
なぜここまで山田風太郎がスキかというと、古くは中学生〜高校生時代に江戸川乱歩・横溝正史あたりの流れから山田風太郎に出会って、やはり三つ子のタマシイというのでしょうか、それ以来ずっとそのへんは別格です。例のコバルト(クララ白書・アグネス白書)ももちろん。
さて、この図鑑。出会ったのは全くの偶然で、ブックオフでばったり〜そうして恋に落ち〜みたいないつものパターンだったと思う。当時あたしは105円でしか買いませんくらいのテンションだったけど、これは買わいでか!!と思って勇んで購入。
山田風太郎の作品はもうひたすら忍法帳シリーズがスキで、でもそこから山田氏の直接の言葉が聞こえる訳ではなく。その分この本は、歴史上の人物を死した年数でずらっとならべ、その臨終の様子を説明しているため、ものすごく氏の性格や嗜好(思考?)が垣間見えて面白くて仕方ない。記憶力が良くないのが幸いしてかこの図鑑、思いついたときに開いたページから読んだり、あるいは誰かの年を聞いたときにその年をひいたりと、いつ読んでも飽きることがないのが最高。よく、無人島へ持ってゆきたい一冊の本とかあるけど、これ3冊が1つになっていたらかなり、いい感じに楽しめると思うな〜
肝心の内容について少し触れよう。おススメポイントはなんと言っても、山田氏の濃淡。そりゃそうだ、編纂者だものね。好みが出て当然。でもそれが極端なんだよね。それがまず、ひとつ楽しい。なんせ、人気があるとか有名であるとかの斟酌があまり、ない。
例えば:
山中貞雄(29歳死去 映画監督)について熱く「戦争が若くして奪い去った最も痛嘆に値する天才の1人」としたかと思うと、自身が小説化したはずの柳生十兵衛(43歳死去)については3行の引用にそっけなく、「明らかに不慮の死である。しかし詳細は不明」で、おしまい。え〜、あんたあれだけ十兵衛、いろいろ使い回してるじゃん!直接「柳生十兵衛死す」書いたし、「柳生忍法帳」も、かなり十兵衛よりよね??えええ???てな感じ。
あとは、そうなの?というビミョウに賛同できかねる山田氏の主観ばりばりの意見とかね。当たり前にあっていいんだけど、なんか嬉しい。
例えば:
石田吉蔵(41歳死去)は、あの阿部定事件の被害者なんだけどまとめが、「石田吉蔵は、この『図鑑』中、幸福な死をとげた希有な人間のベスト・テン中の一人である」って断言してるし、そうか本当に???
ちなみに最後のまとめ方があまりに奇天烈で、死と言う荘厳なテーマなのに声に出して突っ込み入れたくなるのも楽しいんですけど。ぷぷぷ。
例えば:
チェーホフ(44歳死去 桜の園などの作品で知られる)についてはなぜか最後に、「彼の遺骸は、何かの手違いで、牡蠣をのせる貨物列車でモスクワへ運ばれた」とまとめられてるけど、この情報、なんでつけたの???
ちなみに1巻であたしが見た限り、山田風太郎氏が一番、死なせたくなかった(数ヶ月だけだどね)のはどうも、漱石らしい。
「ああ、それにしてもあと数ヶ月の生命を与えれば、『明暗』は漱石の最高傑作として完結していただろう。これこそ、もう少し生命をやりたかった最大の人」
読むとその人の作品が読みたくなったりどんな人?なんてネットサーフィンしたり、楽しめる一冊。そうか、無人島にネットがあったらあたし、この本3冊持っていってもいいな。‥ネットがつながっていたら、無人島ではないけどね。それは単なるリゾートだけどね。 -
多くの著名人の死に様を収録している。
どんな偉業を成した人でも、最期は呆気ないというか悲惨な運命を迎える人が多い。
死は平等だけど、いつ来るかだよな。
好きな人達に見送られながれ、あの世に逝きたい。 -
読み進めば進むほど気持ちと身体が沈んでいき、自らも終焉の時を迎えるのではと錯覚してしまう。二巻以降は間を置いてから読もう・・・
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第1巻~第3巻まで
世界中の著名人約900人の臨終を紹介した本。
紹介順は、五十音でも国籍でも、歴史の順でもなく
亡くなった年齢が
お若い順です。
第1巻は15歳から55歳
第2巻は56歳から72歳
第3巻は73歳から100歳以上
最初は(15歳)八百屋お七さん
続いて(16歳)赤穂浪士大石主税、(16歳)「アンネの日記」のアンネ・フランクさん と始まり
(121歳!!)泉重千代さんまで。
大昔には、へーこういう本があるんだぁと
パラ見した感じなのですが
今ならきっと、感想が変わっていると思います。 -
若くして死に、名を残す人はやはり凄い人が多くて、読んでいて今だ何も成し遂げていない自分が空しくなる。読み進むに連れて何だか重い気分になったりもする。一人一人のエピソードが1-2ページだから読めるけどもうちょっと長いのだと辛くなって読み切れなかったかも。
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人物によって内容の偏りがありすぎる。
日本人なら誰でも知ってる人間の概要を書いてるものがあれば逆に何の人かわからないのに死んだ時の記述しかなくとか、
見開き2ページ使って解説してる項目があれば4行で終わる項目もあったり。
そういうところに気が行ってフィルタが掛かってしまう。 -
人の死に際
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歴史上の人物から芸能人まで、様々な「死」を書き連ねた図巻の1作目。
年齢別に体系的に網羅される「死」のカタログは、同時に「生」をも描き出している。
だいたい1人2、3ページ程度に、生前のエピソードと臨終の場面がまとめられていて、その簡潔さゆえに逆にその生と死が突き刺さってくるのだ。
ちょうどこの本を読んでいる最中に、レイハラカミさんの死を知った。そうか、ジョン・レノンが死んだのも40歳だったよな。 -
15歳から120歳まで古今東西老若男女の死にざま図巻。
1巻では比較的若死にの部類が収録されているため劇的な最期が多いです。
山田先生の文体が面白く不謹慎ながらページをめくる手が止まりません。 -
360、初、並、カバスレ、背ヤケ、帯なし。
2011.4/1.鈴鹿ベルシティBF -
必要なときに取り出して読む本です。世界の有名人の死様コレクションです。あの有名人があんがいみっともない死に方をしていたりして、笑ったり、安心したり、自分もこのように死ねたらと思う人もいらっしゃいます。東京都知事だった美濃部さんのような死に方は理想的です。全3巻、世代別に分類されています。