現代社会の存立構造/『現代社会の存立構造』を読む

  • 朝日出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255007892

作品紹介・あらすじ

本書は、真木悠介――つまり私の社会学の師――の『現代社会の存立構造』(以下『存立構造』)の復刻版である。『存立構造』は1977年に筑摩書房から刊行された。現在は絶版になっており岩波書店から出されている『定本 真木悠介著作集』(2012-13)にも収録されなかった。本書には『存立構造』をそのまますべて再録すると同時に、後ろに、私、大澤による長めの解題と本書をめぐる論文とを収録した。 (まえがきより・大澤真幸氏)

感想・レビュー・書評

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  • 【メモ】
    出版社の内容紹介
    ”“戦後社会学の必読文献、待望の復刻! /高弟・大澤真幸による懇切な解題および発展的論文を併録。

     ■現代社会の存立構造――真木悠介
    ──『現代社会の存立構造』は、日本を代表する社会学者・見田宗介による、透徹した近代社会論です(筆名:真木悠介、1977年、 筑摩書房刊)。
    ──マルクス『資本論』を社会現象や意識形態にまで拡張し、現代社会を理解するための基本的なフレームワークを提示しています。
    ──人間の労働と他者との交換を通じて、私たちの生が、いかにして疎外へと転回するのか。本来は他者との関係を媒介する道具にすぎないもの(貨幣、国家、理念など)が、いかにして神のごとき主体へと転ずるのか、を追究しています。
    ──世界的にも稀な達成であり、今日でもその重要性はいささかも薄れていません。これまで文庫や「定本著作集」(岩波書店)に未収録であった本書を完全復刻します。

     ■『現代社会の存立構造』を読む――大澤真幸
    ──本書の後半部、真木悠介の著作とほぼ同等の分量を占める「『現代社会の存立構造』を読む」は、前篇「解題」と後篇「『現代社会の存立構造』の行為事実を読む」から成ります。
    ──前篇「解題」は、『存立構造』を読もうとする初学者がつまずきかねない二つの要素――削ぎ落とされた文体、そして現在ではなじみの薄くなった概念や用語――をできるだけわかりやすくするために執筆されました。『存立構造』の互いに対応する第I部と第II部を統合し、懇切丁寧に解説しているので、正確な読解の確認、論点の整理にも役立ちます。
    ──後篇「『現代社会の存立構造』の行為事実を読む」は、『存立構造』を、著者・真木悠介の意図を超えて(著作の症候的、無意識的な水準において)読み解くものです。『存立構造』はトートロジーではないかとの嫌疑を晴らし、「Aへの疎外」「Aからの疎外」という二重の疎外の基底に、テクストには明示されていない、もう一つの疎外を見出します。「準古典」に対する、高弟・大澤真幸による創造的な読解です。””
    http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255007892/


    【目次】
    まえがき――大澤真幸

    ■現代社会の存立構造――真木悠介

    I 現代社会の存立構造──物象化・物神化・自己疎外
     序 存立構造論の問題──社会科学へのプロレゴーメナ
     一 社会諸形象の〈客観的〉存立の機制──物象化の原基的論理
     二 疎外=物神化の上向的次元累進──物象化の重層的構成
     三 経済形態・組織形態・意識形態──物象化の総体的展開
     結 存立構造論の展開
    II 疎外と内化の基礎理論──支配の論理と物象化の論理
     序 外化をとおしての内化──労働の回路と交通の回路
     一 外化の疎外への転回──収奪の論理と物象化の論理
     二 共同体的な回路の転回──第一水準・疎外=収奪
     三 商品世界の存立構造──第二水準・疎外=物象化
     四 市民社会的回路の転回──第三水準・物象化的な収奪
     五 資本制社会の存立構造
    あとがき

    ■『現代社会の存立構造』を読む――大澤真幸

    読解の二つの段階
    『現代社会の存立構造』解題
     序 外化をとおしての内化
     一 外化の疎外への転回──収奪の論理と物象化の論理
     二 共同体的な回路の転回──1〈疎外⇔収奪〉
     三 商品世界の存立構造──2〈疎外⇔物神化〉
     四 市民社会的回路の転回──3〈疎外⇔蓄積〉
     結 物象化の総体的な展開──経済形態・組織形態・意識形態

    『現代社会の存立構造』の行為事実を読む
     一 トートロジーという嫌疑
     二 行為事実的な媒介
     三 社会現象の転換ヒステリー
     四 Rの謎とその発展
     五 三位一体論
     六 行為としての思考
     七 剰余価値の問題
     八 「Aからの疎外」から「Aへの疎外」へ、そしてもう一つの疎外
     結 「それ」を直視できるときは……

    あとがき――大澤真幸

  • 1.これが社会学?
    見田宗介=真木悠介は、
    「わたしの問題関心は二つに尽きる。
     1.死とニヒリズムの問題
     2.愛とエゴイズムの問題
    これさえ解決できれば、後は何もいらない。」
    と語っていた。
    これは、作家の発言ではない。
    哲学者の発言でもない。
    社会科学者の発言なのだ。
    そして、それを実際に社会学において実現してみせた。
    どれだけの若者が、見田=真木に魅了されたか、分かろうというものだ。
    その中の一人が、社会学者の大澤真幸だ。
    彼は「マキスト」として、真木悠介の衣鉢を継いで、見田=真木が構想して、志半ばに終わった社会学体系の完成に邁進している。

    2.見田=真木の著作
    とても社会学のテーマとも思えない二つの課題を掲げて、見田=真木は、壮大な社会学体系=人間解放の社会学体系を構想し、その体系に基づき社会学理論を構築してきた。
    第一の課題を解決したのが「時間の比較社会学」であり、第二の問題を抱えて解決したのが「自我の起源-愛とエゴイズムの動物社会学」だ。
    この二冊が彼の主著と言える。

    その斬新なテーマのため、彼の著作は人気だ。
    題名もキャッチーだ。
    「人間解放の理論のために」
    「気流の鳴る音」
    「宮沢賢治-存在の祭りの中へ」
    その中にあって、タイトルのみ有名だが、誰も読みこなすことのできない著作が一つある。
    それが「現代社会の存立構造」だ。
    1977年、見田=真木39歳の著作だ。

    3.難攻不落の書
    彼の理論の進め方は極めて合理的だ。
    過去の理論を全て純粋理論として活用するのだ。
    「現代社会の存立構造」は、マルクス「資本論」を純粋理論として活用するために、その論理的骨格を抽出したものだ。
    分厚い「資本論」は難しくて読めないが、この論理を抽出した薄い「存立構造」は読めるのではないか、と思い込んだ読者は悉く跳ね返される、そんな難攻不落の書なのだ。

    マルクスの「資本論」はマルクス主義イデオロギーに汚染されて、そのままではニュートラルな社会科学の理論としては活用出来ない。
    しかし、「資本論」の持つ並外れて優れた分析を社会学に立つようできないのは、極めて勿体無い。
    「資本論」の凄さを社会科学の基本理論として後世に残すために、徹底的に脱イデオロギー化を施したのがこの著作なのだ。

    ところが、これが論理の骨格だけを記述したウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」のように極めて読みにくいのだ。
    読めても理解出来ない、と言った方が良い。
    是非、この著作の一文でも読んで欲しい。
    多くの感動を呼ぶ、ある種文学的香りを持った作品をものした見田=真木の著作の中にあって、難攻不落の著作として屹立する理由が分かるだろう。
    まるで硬質なダイアモンドのようなのだ。

    この著作が難書である理由は、論旨が難解なためではない。
    そのピーンと引き締まった論理構成と文体にある。
    全く遊びのない、一語一句揺るがせにできない文章で、一瞬の気の緩みも許されないのだ。
    これほど集中力の持続を要求する書物はないと言える。
    その緊張感ある文体に何度トライして跳ね返されたことか。
    私と同じように、悔しい思いをした読者はかなりいた筈だ。

    4.本書の有難さ
    本書では、見田=真木の著作と同じ分量を使って大澤が解説してくれる。
    その懇切丁寧な解説によって、初版発行から40年にして初めて見田=真木の代表論文を読み通すことが出来た。
    有難いことだ。
    そして、40年経っても、この社会科学の基本理論は色褪せないことを思い知った。

    大澤の解説によって姿を現す「現代社会の存立構造」は、マルクスの資本論を徹底的に読み込み、資本論を準拠にして、「現代社会」の隠されたメカニズムを明らかにする。
    本来自由な関係性の積分である筈の近代市民社会が必然的に自我自体を<疎外>し、物象的な制度を生み出すメカニズムを理論的に追求していくのだ。
    ここまでは、「現代社会の存立構造」という書物の内容レビューに過ぎない。

    そこから大澤は、その書物には明示されていないが、論理として指し示す方向を開示してみせる。
    「現代社会の存立構造」は、マルクス「資本」<価値形態論>の創造的読解であり、廣松渉の理論に則って、物象化論を経済的構造に応用した著作であるばかりか、その射程、宗教的構造、意識形態にまで届く驚くべき著作であることを明らかにするのだ。
    ここで初めて、見田=真木の理論の持つ衝撃力を理解することになる。
    つまり、見田=真木は、マルクス「資本論」の持つ起爆力を、経済のみならず、宗教、哲学にまで拡大せしめたというのだ。
    その鍵となるのが「行為事実的」という考え方だ。
    普通、人は、考えていることと行うことの不一致を知っている。
    例えば、一万円札が単なる印刷された紙切れであることを知っている。
    しかし、それが道に落ちていたら「紙切れ」とは思わず、拾うだろう。
    その行為が「行為事実的」なのだ。
    頭では何と考えようが、行為としては「そのように」振る舞う。
    それは、ある種宗教行為のようであるが、その宗教的行為と同じ行為が資本主義経済を支える根幹である、というのだ。
    こうして、社会学は、宗教社会学となり、経済を含めてあらゆる社会現象は宗教現象として分析することが出来る。
    マックス•ウェーバーが、資本主義の精神はプロテスタント(キリスト教)の倫理から生まれる、と主張したのは、実はこの「行為事実的」考えに基づくものであったと、理解出来る。
    大澤は、彼の「社会学史」という浩瀚な新書においても、「社会学者」マルクスを取り上げ、ここでの発見に基づくマルクス解釈を披瀝していて、分かりやすい。

    5.「世界認識」について
    マルクスも、見田=真木も、大澤も、「世界認識」を目指している。
    なぜ世界認識を目指すのか。
    若き吉本隆明が語った発言がその回答のひとつと考えられる。
    戦後を生き延びるために、戦前、戦中の天皇万歳少年を脱脚するために、「世界認識」が必須であったと言うのだ。
    そして、吉本は世界認識の方法をマルクスに見い出して、独自の世界認識の旅を死ぬまで独力で進めた。
    しかしながら、世界的認識を完結するためには、一千年の時を必要とする。
    何故「千年」か?
    「千年くれれば世界全体を認識して見せる」と吉本が言ったからだ。
    彼がそのように豪語出来たのは世界認識の確かな方法を手にしていたからだ。
    しかし、残念ながら、世界認識自体は誰もが途中で中断せざるを得ない。
    人間の限られた生命では果たし得ないnever-endingの行為だからだ。
    世界認識の方法論を確立したマルクスにしても然り。
    マルクスに方法論を見出した吉本にしても然り。
    そして、見田=真木にしても然り、2022年に世界認識の旅を終えている。
    途上で終わることが分かっていても、世界認識の旅を止めることができないのが人間なのだ。
    今、見田=真木の後を継いで大澤が壮大な世界認識の旅を続けていく。
    世界認識の方法論さえ確立していない者としては、彼らの曳航を追いかけながら世界認識の方法を少しでもマスターしたいと思うのみだ。

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著者プロフィール

見田宗介。1937年東京都生まれ。東京大学名誉教授。現代社会論、比較社会学専攻。著書に、見田宗介名で『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(1996年)『社会学入門―人間と社会の未来』(2006年)『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』(いずれも岩波書店、1986年)などがあり、真木悠介名で『気流の鳴る音―交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)『時間の比較社会学』(1981年)『自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学』(ともに岩波書店、1993年)及び本書『現代社会の存立構造』(初版、筑摩書房、1977年)などがある。『定本見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年、毎日出版文化賞)『定本真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年、ともに岩波書店)には、半世紀に及ぶ業績が、著者自身による新編集を経て体系的に示されている。本書『現代社会の存立構造』は上記著作集に含まれない。

「2014年 『現代社会の存立構造/『現代社会の存立構造』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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