天下人の日本史――信長、秀吉、家康の知略と戦略 (宝島社新書)

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  • 宝島社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784299036667

作品紹介・あらすじ

動乱の戦国時代を勝ち抜き、天下を握った武将たち。歴史上、天下統一を初めて見据えて戦を行った織田信長、信長の後を継いで天下人として統一政権を作った豊臣秀吉、秀吉亡き後、戦国の世を終わらせ太平の世を築いた徳川家康。著者の本郷氏が語る、信長=天才、秀吉=アイディアマン、家康=普通の人といった三者三様の天下人像を描き出すと同時に、「天下」とは何か、ひいては「日本」という「国のかたち」を考える位一冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 知名度が高い人物を取上げながら、少し意外かもしれないような角度で、人物とその生きた時代を掘り下げて行くような内容で非常に興味深かった。
    「天下人」とでも言えば「天下を統べる人物」という“一般名詞”のようではあるのだが、実質的には戦国時代の混迷を乗り越えた後に登場した、織田信長と豊臣秀吉、そしてその後の徳川家康というような限られた人達を指し示す“固有名詞”という感じもする。
    有名な戦国大名は、結局は自身の本拠地を容易に換えることはなく、支配領域の拡大も、飽くまでも本拠地の防衛という目的であった。これに対して、「天下布武」という印を用いて“天下人”たる希望を打ち出した織田信長は、支配領域の拡大に合わせる、並行するようにドンドン本拠地を換えた。こういうようなことを含めて、この戦国時代末期の「天下」なるものに関することが、存外に紙幅を割いて論じられている本書である。これが一寸面白かった。
    その「“天下”とは?」を最初に据えて、「天下人」という話しになると登場する、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という所謂「三英傑」に関して、「気になる?」というような要点を論じている。これが「様々な史料に触れて考察する限り…」という“適当な解”を示す感で、悉く興味深いのだ…
    歴史を学ぶというのは、年号や人名や出来事の名を覚えるというようなことではないと思う。本書のように、伝えられる出来事の背景や、何故にこういう伝わり方なのかを考えるということを考え、踏み込んで「自分たちが生きている時代の様相は何なのか?」を問うて、考えるという営為が「歴史を学ぶ」という事なのだと思う。史料に触れて論じるという事を地道に続けるという背景を有しながら、史上の様々な事象に関して語るという、本書の筆者の“立ち位置”というようなモノが少し面白いようにも思う。
    少し面白い読み物に出くわした満足感に溢れている。本書は御薦めだ!

  • 薄いが内容は良かった。やっぱり信長は英雄でないとね

  • なんで、天下が京都を指すことになったのだろう。
    信長をつまらない人間にしたてあげようとして、
    何がしたいのだろう。
    と、最近の学説に不満をもっていたが、
    本郷先生も同じ意見だった。

    やっぱり、信長は天才。
    だけど、信長一人でひっぱってきて、
    かつ、誰でも才能ある人を用いてきたから、
    妬み嫉みから裏切りも多かった。
    そして、信長が倒れたら、また、世は乱れる。

    秀吉は、信長の野望を引き継いで、
    アイディアでさらに膨らませた。
    最下層から上がってきただけに、人の心を
    掴むことができた。

    家康は、凡人だと本郷先生は考えようだ。
    凡人だからこそ、強い組織を作ることができた、と。

  • 天才織田信長、アイデアマン豊臣秀吉、普通の人徳川家康。
    本拠地を移動するのが異端というのは、土着性が強い日本人ならではなのかもしれませんね。
    アメリカなどは普通に拠点を移します。植民地文化が影響しているのかも。

  • 本屋さんで新刊コーナーを見ていると、私の追いかけている本郷氏の本があったので手に取ってみました。日本の有名な天下人(信長・秀吉・家康)についての本です。

    表紙には彼らの特徴(信長=能力主義で臣下を重用、秀吉=大胆な政策実行、家康=現状維持で機を待つ)が記されています。日本はこの特徴の異なる三人の天下人が正しい順序で現れたおかげで改革が進んで今に至っているのだと感じました。今の時代にも通じるなと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・頼朝は平家を破った段階で頼朝を打倒できる武家はいなくなった、しかしそこに立ちはだかったのが、後白河法皇による院政を敷く西国の朝廷勢力であった。武力だけでなく外交を通じ、より政治的な交渉も重ねなければならない。関東の武士たちはそのように交渉を担える人物(例:藤原本家の九条兼実)だからこそ頼朝を主人と仰いだ(p22)

    ・信長が足利義昭を担いで上洛を果たしたのは、「武力で日本全国を統一する」という目的を達成するための手段でしかなかった(p33)

    ・信長が上洛を果たすには琵琶湖周辺の近江を通らなければならなかった、琵琶湖の北方の北近江にはかつては京極氏の家臣でその後、戦国大名となった浅井氏、南近江には佐々木氏の本家というべき六角氏が統治していた。信長の上洛は南近江から京都までの土地を武力で持って自分の領地にしながら堂々と通過している。これは他の戦国大名との上洛方法と異なっていた(p37)

    ・京都の西側には細川氏が治める丹波がある、西側から丹波を責める際には丹波に兵を集結させるのが常套手段であった、細川氏はこの丹波をしっかり掌握することで京都を軍事的に制圧してきた。明智光秀が本能寺の変においても丹波から攻めている(p39)


    ・比叡山は坂本に関所を置くことで通行料として税を取り、京都の経済を支配していた。信長は比叡山が持つ京都の経済圏に対する権益を手中に収めるために焼き討ちを行った(p42)

    ・信長は先行する三好長慶らとは質的に異なる戦国大名であった、彼は京都だけでなく日本全国を武力で持って統一できると考えた最初の戦国大名であり、本当の天下人であった(p49)

    ・在地領主は独力ではなかなか土地を守りきれなかった、これに対処する方法として、1)自らが国衙の役人になる、目代のもとで在地領主は在庁官人となる、2)有力な京都の貴族、寺社に土地を寄進して保護を求めた(p65)

    ・徳政令とは、御家人以外のものに土地を売っても、その土地を無償で取り返せるようにした。しかしこれは御家人以外の武士や庶民は対象外であったので支持は得られなかった(p70)

    ・信長が尾張・美濃・北伊勢(150万石)=4万人の兵隊可能であったとき、これだけの軍勢を動かせた戦国大名は信長のみ(p81)

    ・城攻めには籠城している敵軍の3−5倍の兵力が必要である、逆にいえば兵数がすくなくとも守りを固めれば3−5倍の兵力となる(p105)秀吉は城攻めを土木工事に変えてしまった(p106)

    ・信長が率いた織田家臣団の強みであり弱みであるのは、才能重視の抜擢人事だったこと。強い軍勢を構成できたが、生涯を通して何度も裏切られることになる(p122)

    ・検地自体は秀吉が最初に始めたものではない、画期的だったのは、全国規模で同一の基準で一律に行ったこと。そのため国毎に異なっていた度量衡を全国統一した(p127)

    ・1591年には秀吉は人掃令を出している、これは武家奉公人が町人・百姓になったり、百姓が商人や職人になるのを禁じたもの(p128)

    ・一向宗=浄土真宗は厳密に言えば浄土宗とは異なるが、基本的には同じ「南無阿弥陀仏」を唱えるグループである、家康や一向一揆を鎮圧させたのちも、律儀に浄土宗を信仰し続けた(p156)

    本能寺の変ののち、上杉も家康も、だた普通の戦国大名として行動しており(自分の領地を増やす)ただ普通の戦国大名として行動しており、言ってみれば、凡人の考え方である(p172)

    ・秀吉後継者No.1の秀次は、秀頼が生まれて邪魔者となり一族もろとも殺された、秀秋は小早川隆景の養子となり小早川家を継ぐことで、生き延びることができたはず(p179)

    ・家康が行った独自の政策は、税金を一律にコメで取るようにしたこと、それ以前は貫高制と言って、銀本位制を基調としていた(p195)

    ・徳川政権が260年にも及ぶ長期政権となったのは、家康が定めた長子相続というルールが大きかった(p196)

    ・古代日本においてヤマト政権の本拠地となったのは、奈良県桜井市の纏向遺跡の周辺である、これは敵対勢力から距離を置くことであった、纏向が本拠で、伊勢神宮がその奥宮とすると、ここが西国の東端となる(p217)これより先には、愛発関、不破関、鈴鹿関があった、福井県、岐阜県、三重県。この関の東を関東と呼び、西国の統治が十分には及ばない、ある種の未開地をされていた(p218)

    2022年12月21日読了
    2022年12月30日作成

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著者プロフィール

1960年、東京都生まれ。1983年、東京大学文学部卒業。1988年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京大学史料編纂所に入所、『大日本史料』第5編の編纂にあたる。東京大学大学院情報学環准教授を経て、東京大学史料編纂所教授。専門は中世政治史。著書に『東大教授がおしえる やばい日本史』『新・中世王権論』『壬申の乱と関ヶ原の戦い』『上皇の日本史』『承久の乱』『世襲の日本史』『権力の日本史』『空白の日本史』など。

「2020年 『日本史でたどるニッポン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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