- Amazon.co.jp ・本 (459ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309021263
感想・レビュー・書評
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伊藤計劃の遺したプロローグを円城塔が引き継いで書き上げた作品。ということで、殆ど円城塔なので伊藤計劃的エンタメを期待して読むとやや肩透かしを食らうかも。古今東西の有名人(ワトソンやら007やらリットンやらカラマーゾフやら、挙句ノーチラス号まで!)が絡み合い、著者の知識量には正直脱帽・・・元ネタ知らないキャラもてんこ盛りなんだろうなー。が、持ってまわった、やや難解な文体はSF的に結構キツかった。文とストーリー、どちらに主眼を置いて追えばいいのか混乱して疲れてしまった。
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異なる波長がお互いを打ち消しあって結果0になっちゃった。
という気はしないでも無い。
でも、円城さんの愛は感じるなあ。 -
円城さんを読み慣れてないからか難しかった。今の意識は自分の意識なのか、というところはハーモニーを思い出した。フライデーはあの教授になるのだろうか…
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伊藤計劃さんの絶筆。プロローグだけ伊藤さんで、つづきは円城さん。円城さんがどこまで伊藤さんの構想を知っていたのかは分からないけど、伊藤さんの言葉が生きてる気がする。
簡単に言えば、屍を労働者として復活させる技術を中心にしたSF。だけど、時代設定が1800年代という大英帝国を中心とした世界。現代と過去が入り混じった世界が未来を語ってんだな。
死体の屍者化から始まり、霊素とはなんなのか?魂?ストレイン?言葉?結局、謎は謎のままだけど、意志が芽生えた屍者と意志を上書きした生者。伊藤計劃「ハーモニー」でもそうだけど、人類の均質化、ネットワーク、進化とはなにかが伊藤さんの興味だったのかな。時代設定が古いのと聖書の言い回しなども入ってくるから文章が難しいけど、エヴァとか攻殻好きな人なら読んでみて。先に「ハーモニー」を読んで欲しいけど。 -
2013/4/21読了。
伊藤計劃は、相手の顔を見ながら、朗らかに笑みをたたえつつ、よく通る声で語りかける。円城塔は、窓の外やテーブル面などあらぬ方向を眺めながら、静かな声で語る。古今の歴史や著作物に通じた博識な彼が、時に詩のような言葉で語る話は、聞く者にもそれなりの力や姿勢を要求する。伊藤が途中で退席した後、続きを円城が語り始めたときは面食らったものだ。続きを語っているのかどうかもよく分からなかった。伊藤とゲームやアニメの話で盛り上がっていた連中はみんな帰ってしまった。正直に言うと僕も彼の話を最後まで聞いた試しがなかった。だが最後まで聞き終えた今は、彼は紛れもなく続きを語ったのであり(伊藤の探求の道筋をトレースして綴ったとも言える。ワトソンが伊藤で円城はフライデーだとも見える)、それは彼にしか語れなかったものであり、二人は良い友達だったのだな、と素直に思う。 -
屍者の帝国といいつつも、根本の主題は生者の自意識は何なのか、といった哲学的なものになってる。SFなんだけど、想像力に舌を巻く。これまでの読みやすさやエンターテイメント性からは少し離れてる。
屍者を動かす技術が導入された19世紀の世界を舞台に、屍者が制御しきれない事象を追いかけるワトソン博士の冒険譚。屍者がなぜ動くのか、魂は存在するのか、と謎は次第に根源に深まっていって。。。詩的な文章が理解を阻む。 -
難しかった。壮大な話の様にも思えるし、支離滅裂な話にも思える。アクション大作の様にも思えるし思索SFの様にも思える。
「フランケンシュタイン」「吸血鬼ドラキュラ」へのリスペクトは勿論、「007」へのオマージュや「風と共に去りぬ」へのオマージュ、更には「花神」「翔ぶが如く」からの引用も見え隠れする。「カラマーゾフの兄弟」も。(読んだこと無いのでよく判らんけど)
クライマックスにおけるザ・ワンが語る魂の話は私には理解し難い。
SF作家と芥川賞作家が融合するとこんな作品が出来るのね。
願わくば本作品を完全に消化したレビューを私は読みたい。 -
設定が秀逸。モダンレトロな時代背景の中で、屍者再生技術を確立した世界が出来上がっている。まったく普通ではない世界が、あまりに普通に描かれているから怖さも感じはしない。
屍者を描くことで生者が際立つ。その境界線はあまりにも細い。「ザ・ワン」がすべてを背負っているように見えて、そうとも言い切れない。「0」と「1」で表現される世界。「生きる」ことも数字に置き換え可能なのだろうか。
文体に慣れるまでかなり読みづらかったが、後半は一気に読み進めてしまった。-
「屍者再生技術を確立した世界」
恐そう、、、気にはなってるけど、苦手なジャンルなので読んでません。
でも、科学が進歩して再生技術が進歩したら...「屍者再生技術を確立した世界」
恐そう、、、気にはなってるけど、苦手なジャンルなので読んでません。
でも、科学が進歩して再生技術が進歩したら実現するかも、、、読んで心構えをしなきゃと思ってしまいました。2013/03/13
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円城塔氏は、よく書き継いでくれたと思う。それでも、伊藤計劃氏が書ききってくれていたら、というタラレバを考えずにはいられない。また「虐殺器官」のような面白さが味わえたはずだったのでは、と。
円城氏の文章は美しいが難解で、慣れていない読者には、決して優しくはない。本屋大賞ノミネートだから、という理由で手に取ると、結構苦戦するかもしれない。 -
250ページで挫折。
好きな方には申し訳ないですが、読むのが苦痛で仕方なかった。
読みきらずに批評するのは良くないと思って頑張ったけど、全然世界観に入り込めず諦めました。
文体もやや苦手なんですが、ルビも振りすぎで勢いが止まってしまう。
何より、19世紀にフランケンが…
という設定も魅力が無くて、何を今更という感じです。
(未来に技術革新が起きて…なら入っていけるのかも)
好きな人には、ワトソンとか、ヘルシングとか、カラマーゾフとか面白いのかもしれないけど、意図があるのか、名前を借りただけなのかさっぱりわからず。
SFファンじゃない私が読んだのが間違いかもしれませんが、巷の大絶賛はちょっと大袈裟な気がします。
図書館の予約数の少なさの意味がわかった。
本屋大賞ノミネートで読もうと思った人は要注意! -
■東京日帰り出張で読了。
■このドロドロした空気。凄いね。なんて表現したらいいんだろうか?SFとかミステリーとかジャンル分けがまったく意味を持たない独特の世界観。ザ・ワンはもちろんだけど、あれ、この人って...って名前がこれでもか...ってぐらいにたくさん出てくる。たぶん半分もわかってない。(苦笑
■ずいぶんと文章が難解で読み辛い部分がたくさんあったのは、プロローグから後を円城 塔が引き取って書いてるからなんだろうなぁ。
■難解だけど力ずくでグリグリと引き込まれてしまう底なし沼のような作品。 -
19世紀は屍者の世紀ーーという壮大なファンタジーをど真ん中に据えて、現実・空想・過去・未来を超えた登場人物がこれでもかと投入される。自分の教養のなさが悔しくなる作品(登場人物やガジェットの出典がぱっとわかれば数倍面白くなるのに!)。
一文でその場面の空気の匂いまで描いてしまう円城さんの筆の確かさ、その世界の理に漂う伊藤さんの気配。最初から最後まで楽しませてもらえました。
エピローグの最後はなぜか涙がぴゅうと出て止まらなかった。
ありがとう、は届いているはず。
そしてわたしからもありがとうをお二人に。 -
一体伊藤さんの頭の中はどうなっていたのか。この発想力はどこからやって来たのか。
何と言っても時代設定が秀逸過ぎます。世紀末と言う近未来。ゾクゾクするような錚々たる登場人物たち。パラレルな真実。
ただ、やっぱり最後まで伊藤さんに書いて欲しかった。
円城さん大健闘ですが、やはり伊藤さんの話には奇妙な静けさをたたえた柔らかな繊細さが欲しいです。
円城さんは理知的なようで結構武闘派な感じがしました。伊藤さん版が読みたかった。本当に惜しまれます。だけどきっと円城さんが一番そう思っているんだろうなとも感じました。 -
おもしろい! おもしろいよ! 本が好き・映画が好き、て人は読んだ方がいいと思う。
正直理解を超える箇所もあって何が何やらわからなかったりするんだけどね。それを差し引いても読み進めることの楽しさを味わうことができました。
随所に本への愛が溢れていて、自分が気付いてないオマージュもあるのかと思うと、今後の読書生活も変わってくるのではないか。 -
資料ID: W0169978
分類記号: 913.6 || I 89
配架場所: 本館1F電動書架C
伊藤計劃の絶筆を円城塔が引き継いだ作品です。
SFということもあり、設定や世界観に慣れるまで
読みにくいかもしれません。
「シャーロックホームズ」や「カラマーゾフの兄弟」などに
目を通した方は、手にとってみても良いかもしれません。(Y)
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スタッフいちおし -
伊藤 計劃と円城 塔による合作というロマンティックな背景は別として、一つの物語として非常に高いレベルで成立している。
人間は年表のような記録ではなく、記憶として、つまり物語として存在しうる一方、その物語は容易に書き換えられてしまう。
全てが効率化を求め、死者を屍化することにより記号化され道具として扱われる屍体は、まさに現在の経済を表現している。
死してもなお道具としての存在として、現代のロボット技術のように使われているパラレルワールドにおいて、「私の中のわたし」「自我の中の他我」の真実を追い求めてワトソン博士は世界をめぐる。
様々な人物のオマージュと共に、自分が自分であることの証明を探す旅はある段階で一旦終わりをみるが、さらに続いていく。
全てのものがもつ言葉の持つ力に感染症と同じ効果を見出し、畏れ、その力を表現しきるこの本は、0年代のSFというよりも、新しいジャンル(「未知との遭遇のような)を切り開き、次の世代へと受け継がれていくのだろう。
難しい言葉を簡単にし、簡単な表現を難しくし、結果読みづらさを少し助長することになると思うのだが、非常に魅力的な小説だった。
「本当の私」は「私」にも判別がつかず、他者と比較しても無理。確かに息づいている身体と心は全くの別物であり、身体は魂の容れ物に過ぎないが、容れ物なしに魂は存在しない。
せめて自分のつむいだ言葉だけは、記録として記憶に残され、物語という形式をもって語られることができるだけでも、幸福なことなのかもしれない。
ただ、ここまで皆深く人生を考えているかというと、それは稀有なことであり、おそらく80%以上の人は(自分も含めて)、昨日も、今日も、明日も対して変わらない生活を送っているのだろう。-
2012/11/26
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コメント遅れてすいません!
ありがとうございます、でも伊藤氏の本では僕は一番とっつきやすかったかもです。コメント遅れてすいません!
ありがとうございます、でも伊藤氏の本では僕は一番とっつきやすかったかもです。2012/12/02
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若くして夭逝した伊藤計劃氏の遺稿を、友人である芥川賞作家の円城塔氏が完成させた和製スチームパンクSF。
死者を甦らせて(”屍者化”と呼んでいる)安価な労働力として再利用することが当たり前になった19世紀、密かに屍者の王国を築こうとする何者かの陰謀を探るため、イギリス人の諜報員ワトソンが世界を駆け回る。アフガニスタン、日本、アメリカ、ロンドンと、舞台がひとつ変わるごとに屍者の謎が深まり、そしてとうとう”屍者の元祖”とも呼ぶべきあの大物と対面する。
いつもの難解な円城節は本作では抑えられている。死者にインストールするネクロウェアのバージョンの話とか、ワトソンに同行する特殊能力を持った仲間たちとか、ライトノベル的な雰囲気でテンポ良く話が進むのでありがたい。その代わり、有り余った筆者の筆力は、古今東西のSFのキャラクターや歴史上の人物をごった煮のように盛り込むことに向けられているようで、それらを知っている人ならなお楽しめる内容となっている。
魂を持たないものを人間が生み出し使役する、という発想はすでに「ロボット」という形で使い古されているのだが、本作はそのモチーフをいったん越えて、人間の意識そのものの秘密に迫ろうとする。本作は伊藤計劃でも円城塔でもない、全く新しい作者の処女作であり遺作であり、読み終わってみれば出来のいいロボットSFにもなっていた。
『NOVA1』に収められていた途中までの遺稿を読んだ時には、このような素晴らしい作品として読める日が来るとは思わなかった。円城塔氏に感謝するとともに、あらためて伊藤計劃氏のご冥福をお祈りする。 -
ふわーふわーふわー。全然理解できてないのだけど興奮して泣きそうに。フライデーが意思をもってしまったの。ワトソン博士のせいよ。彼を取り戻すために彼の新しい相棒 「M」の弟と闘う日が来るかもしれないですって?ふわふわふわ。シャーロックはそこにはいなくてジョン・ワトソンとアイリーン・アドラー ふたりの影が重なる。いつか出会うときのために?