カノン

著者 :
  • 河出書房新社
3.35
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本棚登録 : 149
感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309022666

感想・レビュー・書評

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  • ”自分として生きること”の生き辛さ
    時は近未来。医療技術の進歩により、脳間移植が可能となった。人間の記憶を司る脳の器官である海馬を交換することができるようになった時代。末期がんを患い死を宣告された58歳の北斗と、記憶が退化する「ジンガメル症候群」という海馬の病を患い、死の淵にある32歳の歌音(かのん)。二人は脳間移植手術を決意し、北斗は老いた身体から抜け出し生き残るため女になることを、歌音は4歳の息子のために母親の存在を残すことを選択する。果たして男の記憶をもった北斗が歌音の身体に入り、母親となっていけるのか。
    少しSFめいた設定にも思えるが、”自分になること”の難しさ、”自分として生きること”の辛さは、普通に生きている誰にでも共通することのように思えた。
    移植手術後、歌音の身体に移植された北斗の海馬は、意識としては58歳の北斗のままで、32歳の女として、母親として生きて行くためのリハビリを受ける。女の仕草を身につけ、母親としての振る舞いを覚える。女性は家庭では主婦であり母親であることで、職場ではOLであることでさまざまな困難、軋轢、トラブルに直面する。それを男性の視点から描き出しているのも面白い。
    しかしそれ以上にジェンダーを超えたところで、人間はさまざまな生き辛さに遭遇しても、それを受け入れつつ、生きて行けることを教えられた気がして、救われた気持ちになった。
    中原さんの次回作を待ちたい。

  • 末期ガンの58歳男性と幼い男の子を抱えた記憶が失われていく病の32歳女性が、記憶を司る海馬の移植によって、肉体はそのままに入れ替わるというトンデモ設定ですが、理屈で語らず、エピソードを重ねていく手法がとても丁寧で、物語にどんどん引き込まれていく自分がいました。若い肉体を受け取った主人公が、手術前の約束を守り、困難や葛藤を乗り越え真摯に生きていく姿に打たれました。

  • 面白かった

    海馬を交換するという突飛なお話

    花音に成り代わる北斗さんがいい人過ぎてなんて人間ができた人なんだろうと思った

    また、花音さんの夫の拓郎さんもとても理解があり北斗を受け入れてくれる素敵で好感が持てた

  • 近未来、医学の進歩によって実現した脳間海馬移植、日本で二例目の手術で、58歳男性が32歳の女性として生きることに。58歳の寒河江は末期ガン、一方の氷坂歌音は、ジンガメル症候群という記憶障害の病気で、直近から過去に向かって記憶が薄れていく。
    なかなか楽しいエンターテイメントだった。

  • 55彩の、余命半年の男性と30才で強度のアルツハイマー廟の女性が脳幹階陪食を行う。
    リアルリティのあるストーリー。
    母になることの偉大さ、難しさ。

  • 人とは何か?記憶こそがその人だ、という考え方がある。とすると記憶だけを保存して、服を着替えるように身体という器をどんどん変えていけば、記憶が消えない限りにおいては、その「人」はずっと生き続けている、ということなのだろうか。不老不死。その昔、栄華を極めた秦の始皇帝が最後に求めた者は永遠の命だったという。もしも進化し続ける医療技術によって人の記憶だけを乗り換えて行けば、ある意味永遠の命を手に入れるということなのだろうか。我々は遠くない未来に始皇帝さえ手に入れられなかった不老不死を手に入れることになるのだろうか。しかし今「永遠の命を手に入れたいですか?」と尋ねても、そこまでして欲しくはない、という意見の人が多数だろう。しかし、どうしてももう少し生きたい、生きねばならない、という事情を抱えている人も少なくないはずだ。例えばどうしても守らなくてはならない人がいる場合などは。今回紹介する本は記憶を司る海馬の移植が始まった時代をシュミレーションした小説である。

    この小説は近未来、明記はされていないが2020年代後半くらいの時代設定。末期がんにおかされた58歳の男の病室にコーディネーターがやってくる。移植のための相手が見つかったそうだ。移植というのは脳の中の記憶を司る機関である海馬の移植である。その手術は脳間海馬移植と呼ばれ日本では今まで一件の術例しない始まったばかりの医療行為だ。相手方の年齢を聞くと32歳だという。若年性アルツハイマーに近い病気のため日に日に記憶が失われていき1年から2年の間には完全に記憶がなくなるらしい。男は移植によって自分が32歳の男としてもう一度生き直せるのか?と夢想する。しかし話は驚くべき方向へ向かう。なんと相手は女性らしい。そして4歳の子供がいるらしい。女は4歳の子供のために今回の移植を決意したのだという。つまり男は移植が成功したら母親として生きるということになる。

    手術自体は成功する。どういう状態になったか?癌病棟で入院している58歳男性の海馬は急速に機能を衰えていく。32歳女性にはまだ充分元気な海馬が移植された。しかし基本的な問題がある。海馬移植のことは一親等の家族と数少ない例外以外には知られないようにしなければならない。なぜなら患者同士がお互いに術後接触してのトラブルを防ぐためである。だから男は女になるためのトレーニングを行わなければならない。歌舞伎役者の女形に女の動きを指導してもらう、ビデオで女性の映像を見て真似させるなどのトレーニング。そのあたりのディティールがすごい。トレーニングを終え男の海馬を持った女は家族の待つ家へ戻る。4歳の息子が駆け寄ってる。女の身体をもった男はとまどう・・・・。
    というような話。

    設定はSFだがジャーナリストである著者の集めた医療や脳科学の情報が豊富なためリアリティがある。そしてストーリーの展開もこうした設定の場合はおうおうにしておおげさなものになりそうだが、この小説の場合、拍子抜けするくらいに現実的な話に収束していく。描かれる登場人物たちの苦労は我々が日常で遭遇するトラブルばかり。職場での女性同士の嫉妬問題、よその子供に怪我をさせてしまう子供などなど。それらの問題をひとつひとつ地味に解決しながら「生きる」ことや「人とは何か?」を考えていくのがこの小説だ。かなり長いので正直途中で中だるみはしてしまう。しかしラスト10ページにおいてのサプライズと著者の生命に対するリスペクトが感じられて不覚にも泣いてしまった(いつものことだが 笑)面白い本という保証はしないが、読んでおいて絶対損のない本だというのは保証できる。上手く言い表すことは出来ないが、こんなに真摯という言葉が似合う小説はなかなかない。

  • 読後、後を引く。終わって行く人生と、これからまだまだ溌剌として生きていく人生が交錯する。
    近未来、本当に技術的に海馬を交換することが可能なのかわからないが、SF的に肉体と精神が入れ替わるのではなく、医療技術として入れ替わる。
    58歳の死にゆく男性と、32歳の若い女性カノン。
    小説はほぼカノンに焦点が当てられて描かれているが、男性の方の意識が全く描かれていないため、想像するしかない。少しその暗闇が描いてあってもよかったかもしれない。
    長い小説だったが読む価値はあった。「人は誰でも終末に向かう針」とは時計の比喩で、どんな人生を歩もうが、もう一度チャンスを与えられようが針は確実に進む。その進む針をどう生きるか、を問う秀作だ。

  •  海馬の移植手術、私カノンだったら、同じ選択をすると思う。北斗だったら移植しない。自分が達也だったら・・・・成長したときにもし事実を知ったとしたらどう思うのだろうか?
     心はどこにあるのか?黒沢は自分で一つの考えを持っているが、これは自分で考えてみるのも面白いと思った。

  • 32歳の氷坂歌音(カノン)は短期記憶がなくなる病気にかかっている。58歳の寒河江北斗は末期ガン。それぞれの海馬を交換するという手術が行われる。中年の男の記憶を持つ若い母親が息子の達也、夫の拓郎との生活に溶け込む過程を描いた物語だが、的確な記述を楽しみながら一気に読破した。医療チームの議論や拓郎との話し合い、復帰した職場での同僚のいじめ、達也の起こすハプニングなどを乗り越えて、カノンが成長する過程が良い。コーディネーターの黒沢の機転で、カノンの海馬を持っていて最後の時を迎えている寒河江に会う新しいカノン。良い場面だった。

  • 15/05/23読了
    記憶を取り替える話。

    これを書いたのが、60歳の男性なんだなぁ。不思議。

  • 文体も内容も視点が定まらず、目まいのする小説。
    読みながら酔いそうだった。


    死に行く年老いた男性と
    未来のある若い女性が
    それぞれの「海馬」を交換し、精神と身体を入れ替えるって話。


    このときの身体の持つ記憶と精神の持つ記憶のあいだのせめぎ合いが主題。

    もともと
    男の方は、精神的記憶は健康だけど、身体的記憶を失おうとしている状態で、
    女の方は逆に、精神的記憶が衰弱しつつあって、身体的記憶の健康さを維持したいと考えている。
    このとき、精神ってのはその個人のアイデンティティの本質を支持し、身体はその人の環境の要素を含んでいる。精神が見る主体で、身体が見られる主体とでも言えばいいだろうか。


    一般的な感覚と違うのは、「記憶」という共通項で精神と身体を同じレベルに持ち込んでるあたり。
    つまり記憶≒主体性をもつということで、身体に精神性を見ている。


    文体から見るに、筆者自身、そういう身体感覚を持っていると思う。
    これは完全に妄想になるけど、
    ジャーナリストとしてやってきた筆者は、自らの環境の中で情報を集め、それを自分のものとして文章に昇華するという活動をしてきたと思う。すると、自分が書いている文章のほとんどが、自分以外のものから出来上がることになる。「中原清一郎」の名前のもとに、複数の他者の発言や情報を統合する。けど、ジャーナリストの中立性という性質上、その情報は本来、「中原清一郎」のものであってはならない。ここに他者からの「中原清一郎」への侵食・あるいは支配関係の転倒が起こる。自己と他者が混然一体となり、それらが識別不可能になるという奇怪な状態に陥るのである。
    この他者性を、この小説ではカノンの身体として描いているのだと感じた。

    実際この小説は、語る主体が俯瞰的視点に立ちながら、縦横無尽に登場人物へとズームアップ・ズームインしていったり、急に視点が変わったりする。それは、語る主体「中原清一郎」が登場人物とは別で存在し、登場人物とは身体性において相容れないでいることを示唆しているように思う。いや、むしろ、自らの身体性をすでに失っているといえるか。
    説明的文章が多かったり表現がどこか浮いているのもそのせいだろう。

    筆者が、自己の身体性を喪失し、他者の身体性に寄りかかって生きているということが伝わってくる面白い小説だった。

  • 男と女が入れ替わる「とりかえばや物語」は好きで、他にも読んでいるが、これは結構特殊な状況と「海馬」を取替え移植するという外科的な処理による方法が異色。
    記憶を失っていく難病「ジンガメル症候群」(海馬の変化によって生じている)に罹った女性と、末期ガンの男性、58歳。「脳間海馬移植特別措置法」に基づいて、日本で2例目となる移植が行われる。
    物語は、32歳の女性の体になった58歳の男性の状況が短介されていく。彼女には、4歳の男の子いて、その子のために「母親としての彼女」を生きてほしい、ということが伝えられている。
    「意識」とは何だろう、というのがテーマとしてある。男と女を分けるものは何か。
    体と意識が別であるという性同一性障害とも大きく関わってくる。自分が、男である、女である、という意識はどうやって作られていくのか、もしくは生まれた時からあるものなのか。
    自分にとっては、そこを問題提起していることが一番面白かった。
    とても長いお話は、主人公カノン(歌音)が、そこを突き抜けた自分を見つけ出そうとしているというような所で終わっている。が、とても不満なのは、母親としての存在に悩む59歳の男の意識が前面に出されていて、肉体生理としての女の問題をあっさりと割り切ってクリアしてしまっているような所だ。
    男が女になるといった場面で一番興味があり、当人にとっても問題になるであろうこのことは、少しはでてきていて、お連れ合いとのセックスは拒否しているし、匂いの問題として出されている。が、とても中途半端で面白くない。
    性欲は「意識」で制御できてしまうのだろうか。

  • 58歳の末期がんを患った男性と、32歳の徐々に記憶を失っていく女性。お互いの海馬を入れ替える手術を受ける。
    女性の望みは子供が母親を失わない事だった。58歳の男性はその望みにどう対するのか。

    時々凄く説明的な文章があって、そのために興を殺がれた。主題は重いが、その重さを伝えきれなかったのでは無いか。

  • 子どものいる女性と、老成した男性。
    死期の迫った二人の脳を入れ替える・・・

    私の死ぬまでに、こんなことができるようになるとは思わないが、その後に可能になっても、
    倫理的にとても難しいだろうと思う。

    作中でも、マッチングが難しいとの表現。
    しかも、年齢も性別も違うのに、
    そのままの記憶を持ったままなんて不可能だろう。

    脳と体の関係も複雑で、今作ではいい方向に作用したが、
    実際は、相容れず拒否反応の方が大きそう。

    心の入れ替わりが起こる作品はたくさんあるが、
    そのままになることは少なく、
    いずれ戻って、いろいろ考えるパターンだが、
    今作は、別の人間として生きて(死んで)いく前提の入れ替わり。
    いろいろと納得がいかない部分も。

  • カノンの母親としての強い気持ちがとても心をうたれた。

  • 今年読んだ中でベスト1だと思う

  • 人は誰でも、終末に向かう針だ。

    海馬の手術、

  • 膵臓がんで死期の近い58歳男性の海馬を、治療法のない脳疾患の32歳女性の身体に移植するというトンデモない発送。海馬は記憶の中枢に関わる器官なので、他人の海馬を移植されると記憶は上書きされるという。

  • ちょっと無理があるなあ。

    32歳の女性が、海馬移植で58歳末期がん男性の体に閉じ込められることを選択するその理由が母性って、あまりにも母性信仰が強すぎないか。

    そもそも、いらない体にいらない脳を入れてそちらは滅んでいくにまかせ、使える体には使える脳を入れる、って設定が苦しい。あんまりだ。到底認められない。

    導入からしばらくは、海馬移植って、じゃあ人格は?心と体は?アイデンティティはどうなるの?と混乱すながら読んだが、手術の後は意外と素朴な展開。
    ただ、58歳の男性であった人格が、32歳の女性の暮しになじもうとするところは漫画的でもあり、途中、同期のいじめなど少女漫画か昼メロか?な展開もあって、そこは正直いらなかったような、読んでてこっ恥ずかしいような、であった。
    また復帰した職場での場面や、迷子になった子どもを探す場面で、58歳男性の経験が生きてくるのがご都合主義的で、鼻白んだ。

    「わたしを離さないで」もちらと思い出すが、そこまでの提起には至らないで終わったような。

  • よくある男女入れ替わり物の亜種だが、藤子・F・不二夫のSF短編『未来ドロボウ』のオマージュのような作品。若者の未来讃歌ではなく男目線の母性讃歌。病のため記憶が次第に失われていくなか、自分の子供に母親を残すため、見ず知らずのオッサンの記憶を受け入れる決意をした女性の姿はひたすら気高く美しいが、反対に残される家族を顧みず、自分の意識をその女性の体に入ってでも生かそうとする末期癌の男の姿はひたすら身勝手で醜い。違和感が消え話の展開にのめり込むのは、術後ベッドでうなされ、記憶が次々に解体されていく北斗の焦燥から。

  • 久しぶりに全然面白くない小説に出会ってしまった。
    50ページくらい読んだところでやめようかと思ったけど、どんなにつまらなくても読みかけた本を途中でやめるのは気持ち悪いので、すごく頑張って最後まで読んだ。
    読み進めれば進めるほどつまらなさが加速していく。
    題材は面白そうなんだけど。

    脳(海馬)の移植が可能になったちょっと未来の日本が舞台。
    末期ガンで余命宣告をされた50代後半の男性の脳(海馬)を、記憶を徐々に失っていくという不治の病に侵された30代の女性の頭に移植する。
    女性には幼い息子がいて、愛する我が子のためにこの移植を決意する。
    若い女性の体になることを決めたこの男性は、この女性の人生を生きようと悪戦苦闘する。

    まず、説明セリフが多すぎ。
    医学的説明だけでなく、心理描写までセリフでされるとうんざりする。
    しかも、そのセリフ、

    「こわい。わたしがどんどん、わたしでなくなっていく。わたしを繋ぎとめるイカリがなくなって、どこかに漂っていきそう。星座を結ぶ線が消えていって、ひとつひとつの星が、ばらばらになっていきそう」

    とか、日常で言わないよ。
    記憶を失っていく恐怖でパニックになりかけたときに、こんな詩的なセリフを言われると、全然リアリティーがなくて興ざめする。

    女性として生きることになった50代のおじさんに、この女性の喋り方や仕草を叩き込むんだけど、そりゃ無理でしょうよ。
    子供や会社の同僚に違和感を感じさせない程度にまで仕上げようとするんだけど、そんなのができるのはミッションインポッシブルのトム・クルーズだけでしょうよ。
    ここでも全くリアリティーがない。
    コメディータッチの物語だったら面白く描くことができたのかもしれないけど、かなりシリアスだからよけいに滑稽。

    あとキャラ設定が甘い。
    認知症になりかけた女性のお母さんがやたらしっかりしていたり。
    そして、やっぱりみんながみんな詩的なセリフを吐く。

    主人公に降りかかる事件も、昭和のドラマのようなベタベタでチープ。

    とにかく、ひどい。

  • 近未来、脳の海馬の移植
    最初嫌悪感でいっぱいっだった
    そうまでして生き永らえたいの?と
    でも作者が書きたかったことはそれではなかった
    生きること、母であること、家族、友人
    「共生」
    ラストも衝撃だった
    ため息をつきながら本を閉じた
    《 心とは 脳の指令か 生きること 》

  • 脳細胞は大人になってからも増やすことができるという研究結果もある。そうすると脳移植によって永遠に生きることが可能になるということか。なんて、ありえない空想をした。歌音に移植されるのが年齢差もある男性という設定がポイントになっている。子育てで悩む場面は少々冗長に感じる。最後に娘に父であることを知らせる合図を送るシーンがいい。

  • 心とは脳に宿るのか?体に宿るのか?が一つのテーマになっている本。

    人は死ぬ前に、死の怖い顔が少しずつ自分に近づくのを見て、同じように怖い顔になっていく。近づいてくるデスマスクは人の顔を自分の鏡にしてしまうんです。でも死の瞬間を過ぎれば恐怖なんて少しも感じなくなる。死ぬってチョンと跨げばそれでおしまい。私は人より少し早くそれに気づいただけ。誰だって遅かれ早かれそんな自分に向き合う。だから私は平気。

  • 面白かった
    子供への愛情や周囲との関係性など色々考えさせられた。単純な設定だけど、その心の中の複雑さは計り知れない。
    男目線の不自然さに、モヤモヤし続ける訳だが、58歳になれば理解するのか、女でないと理解出来ないのか、はたまた海馬入れ替えないとダメか…

  • No.646

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著者プロフィール

1953年生まれ。76年東大在学中に外岡秀俊名義で書いた『北帰行』で、文藝賞受賞。現在、「外岡秀俊」名でジャーナリストとしても活躍。著書に小説『カノン』のほか、『3・11 複合被災』など多数。

「2017年 『人の昏れ方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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