- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309208589
感想・レビュー・書評
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読み終えた直後は、ちょっと時代と人物が混乱していて十分に堪能できたとは言えないのだが、物語に惹き込まれたのは間違いない。この物語は訳者あとがきを先に読んでから読み始めるのも良いかもしれない(純粋に物語に没入したい方は、あとがきを読まずに読み通してください)。個人的にはしばらくして読みたくなった時に再読しよう。
ちなみにこの『フランキスシュタイン』と併読して、ジェニー・クリーマン著『セックスロボットと人造肉』とピーター・スコット・モーガン『ネオ・ヒューマン』の二冊を飛ばし読みしていたのだが、セックスロボットについてはどちらがフィクションでどちらがルポルタージュか混濁するような内容だったので、勝手に物語が奥深くなったかのように感じた。ネオ・ヒューマンについては少し状況が異なるが、『フランキスシュタイン』作中では「不死性に身体は重要か?」と出てくる部分において、選び取る未来のひとつであるようにも思える。他にもテクノロジーの書物と一緒に読んでみたり、トランスジェンダーを知ってから読むとより深く入り込めるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジャネット・ウィンターソンは『オレンジだけが果物じゃない』と『灯台守の話』は読んだことがあった。久々に翻訳されたので読んでみることに。
帯に「フランケンシュタインの怪物、人体冷凍保存施設、セックスボット、超人類、しゃべる頭、不死者…。」とあるので、SFホラーみたいな小説の印象を受けてしまうが、「愉快で真面目」というアトウッドの言葉の方がぴったりだった。
確かに帯の「フランケンシュタインの…」の要素はあるが、テーマはもっと大きい。人間と人間が作ったものの関係(社会、歴史、機械、AIなど)、ジェンダー(特にないものとされてきたトランスジェンダー、女性の問題)、生と死、魂と肉体、名付けること…。
あまりに盛りだくさんのテーマなので、どうやってまとめるのかと思いながら読んだが、まとまってはいない。しかし、これらのテーマは現在進行形なのだから、それが正しい結末と言える。
現代パートの主人公ライはトランスジェンダーで、私のような平凡な一般人は女から男とかその逆とか思いがちだが、そうじゃないんだ、ということがわかった。(初歩的なことかもしれないけど)
ライは見た目は男で、生まれた時の性別は女。テストステロンの注射をしており、乳房も除去している。が、それ以上のことはしていない。「私は今も女です。と同時に男でもある。私にとってはそうなんです。私は自分が好む体の中にいる。」(p147)これがライにとってはいごごちのいい体なのである。決して手術を途中でやめたわけではない。そういう人の存在を、むりやり「男」「女」に分けるのは間違っている気がする。
ライは「男か?」ときかれると「トランスです」と答える。しかしライは「私は自分が間違った体の中にいると感じているのに、肉体にとってはそれが正しい体だということ。私は自分がやったことで心の平安を取り戻す一方で、体の化学的状態を攪乱している」(p369)とも感じている。
ヴィクターが目指している、人間を肉体から解放することは、ライのように生まれ持った肉体と「私」の間に齟齬のある人にとっても大きいテーマではないか。
19世紀に生きる(出産しては子どもを亡くすことを繰り返した、社会的に認められず抑圧された性である女性の)メアリーが「私たちが身体に縛られていなければ、これほど苦しむこともない」(p304)という思いと、これは大きくつながっている。
とはいえ、この本は愉快で笑える本でもある。
キリストはマグダラのマリアと子どもを作ったんじゃないか?というロンに「ダン・ブラウンの小説に書いてあることをいちいち真に受けないで」と突っ込んだり。
神と人間の間にできた子は何かの力や才能を持つと同時に何かの形で呪われるか悲劇の運命を背負う、という話の例として「イエスもディオニソスもヘラクレスもギルガメシュも、ワンダーウーマンも。」(p354)
重いテーマを描きながらハチャメチャで笑える。おまけに新しい視点が得られる、とても良い本だった。
ジャネット・ウィンターソンすごいな。 -
つまらないわけでないのだが、いろいろ放り出されたままで終わってしまった感じがある。精神をアップロードといえば攻殻機動隊を思い出し、肉体不要の脳といえば倉橋由美子の『ポポイ』を思い出しと連想するものはあった。しかし各項目が連動してなんらかのイメージが喚起されたかというとそうでもない。舞台と登場人物は共通にして、それぞれのテーマで連作短編集だったら「ああ今のウィンターソンはこういうことを気にかけているのか」という態度で読めたかもしれない。好みの問題だが、400ページを超えるような長編だと、やはり起承転結が欲しい。
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面白かったんだけど、なんだろうなこれ、何が、なんで、面白いんだろう。
まず、200年前のメアリー・シェリーの世界と、現代とが、そう、相似形というか模倣というか変奏になって入り組んでいる構造が面白い。
そして、身体と心(或いは脳)、生命と死、性自認、トランスジェンダー、AI など今日的な関心事がクラクラするほど盛り込まれている。
読んでいると、時代や性別などが(文字通り)トランスする感覚に陥る。こういう読書体験はなかなかないのでは。 -
近い未来、脳はダウンロードされて肉体なんかいらないよ!セックスもロボット相手で充分、そもそもダウンロードされちゃえば性差なんてなくなるさ!
ってのを書いたのが「灯台守の話」の著者ジャネットウィンターソンなの、装丁通りまじサイケ。
いやくそ面白いんだけどさ。 -
生命の原理はどこから生まれるのか、精神だけを取り出して永遠の命を作ることはできるのか。
フランケンシュタインを産んだ、メアリー・シェリーの話と現代より少し未来の世界で生きるトランスジェンダーのライの交互の語りで物語が紡がれる。
「私は君の光の中にあるのか?」(ロバート・オッペンハイマー)
現実は、私の心臓の上に置かれたあなたの手。 -
大当たりだった。フランケンシュタインを書いたメアリーシェリーの章と現代の医師ライ(メアリー)シェリーの章を交互に進めていくのだけれどそのどちらもが非常に面白い。テーマが複層的なので一口には説明出来ないのだけれど、メアリーの時代、女性が人として扱われないその時にメアリーが感じる事は現代のライ(女性の身体で生まれたトランス)が世間に受け入れてもらえない事への移し替えだし、女性というものを表層的に表した性産業ボット(いわゆるダッチワイフ)についての描写が滑稽ではありながら何故かいたく胸に刺さる。ライの愛した男性ヴィクターの、AIに人間の精神を保存し死を克服しようとする姿はメアリーが描いたヴィクターフランケンシュタインの移し替え。現代でAIと人間と死の話が織り込まれていく中、メアリーの小説は書き進められていく。今どこにいるのかわからなくなるような浮遊感があるのだけれど、それはこの本の手法によるところが大きい。この本には鉤括弧がほぼ存在しない。会話が中心の小説だというのに。読者はこの会話を外から見ているのか、それともメアリーやライの内側から覗いているのかわからなくなってくる。
その不可思議な感じがたまらなくよかった。
おすすめ。もう一回読みたい。
ただし、物語としては意味はわからないと思う。起承転結のある話ではない。 -
初めてのジャネットウィンターソン。これを読むに当たって他の著作を調べてみたらどれも面白そうだったので、いつか読む。
フランケンシュタインの物語を書いたメアリーシェリーの部と、現代のトランスジェンダーであるライシェリーとその恋人?ヴィクターの部に分かれている。
死んでしまった愛する人を、もしくは自分自身を、蘇らせたり永遠に生きさせることができたら。
私達の本質は脳にあるのか、体にあるのか。
名付けること、生きること、など。ぶっちゃけ現代編はなにを言っているのか分からないところも多かった。