東京プリズン (河出文庫 あ 9-4)

著者 :
  • 河出書房新社
2.87
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本棚登録 : 916
感想 : 98
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  • Amazon.co.jp ・本 (533ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309412993

感想・レビュー・書評

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  • すごい、すごいよ!この小説は。
    よくこれだけのものを書き切れたと思う。
    メインは「天皇の戦争責任」に関してのディベートなのだが、それまでの狩やスピリチュアルが全て意味を持ちマリのスピーチに繋がっていく。
    アメリカ人の横暴な考えや日本人の卑屈な事なかれ主義、真珠湾、原爆、東京大空襲、はては人間キリストなど目から鱗が落ちた気がした。
    今、若い世代にぜひ読んで欲しい。そして現在の日本政府の在り方を考えて欲しい。

  • 日本の学校に馴染めずアメリカに留学、氷点下20度の極寒地メイン州の高校に通う16才の少女<アカサカ マリ>に課せられたディベ-ト(肯定と否定の二組に分かれて行う討論)は〝天皇の戦争責任〟について弁明せよというものだった。 マッカサ-統治の「東京裁判」は、A級戦犯(平和に対する罪)、B級戦犯(通例の戦争犯罪)、C級戦犯(人道に対する罪)にクラス分けされたが、天皇は戦犯指名されずに終結した・・・ <マリ アカサカ>は〝TENNOUの言葉〟として弁論を展開する。会場は静まり返り、痛いほどの沈黙を破って拍手が起きた。〝彼らの過ちの非はすべてこの私にある。子供たちの非道を詫びるように私は詫びねばならない...彼らが狂気のほうへと身を委ねてしまった時の拠り所が、私であり、私の名であったことを、私は恥じ、悔い、私の名においてそれを止められなかったことを罪だと感じるのだ。私はその罪を負いたい...積極的に責任を引き受けようとしなかったことが、私の罪である...戦争前に、戦争中に、そう思い至らなかったことを悔いている〟

  • 若い娘にこういう事を聞くのはかなりむちゃだなあ…と思いました。
    私も同じ年頃に聞かれたらわからなかったと思う…。

  • 過去と現在、妄想と現実のパラレルがだらだらと続く。
    一番興味の対象であった最終章にたどり着くまでにこの作品、作家への嫌悪感が高まりすぎて途中で断念。

  • 赤坂真理の自伝的な小説?

    初めは、様々な時空をいったりきたりしながら「我が家の秘密」にたどり着くお話なのだろう、と思っていたら、「天皇の戦争責任」というテーマに真正面からポジションをとった話だった。

    めくるめく表現のメリーゴーランド。抽象的文章やありきたりの日常の後に、具体的・非日常的文章に浸るのは心地よい。と同時に、最後の章までは、辻褄がどうあってくるのがわからず、若干つらい思いもする。

    東京裁判、平成最後、天皇、日本の戦後、1964年東京都生まれ、高円寺、落合、ハンティング、ビートル、ハロウィン、インディアン、ヘラジカ、大君、ベトナムといったあたりがキーワード。

    最後の章になって、見えてくるのが「罪の次元の違い」といった視点である。国が組織的に相手の国を焼き尽くすような罪と戦争に送り込まれた人間が狂気にかられて虐殺を行うような罪とでは罪の次元が異なるということだ。前者は、国や集団としてどのような宗教を信じるかということに連動した罪であり、後者は個人としてどのような信念にもとづき行動するか(あるいはしないか)という罪としてとらえられていると理解できる。

    その前提で、天皇の戦争責任は「英霊」に対して「はしごをはずした罪」「軍部に利用されるがままになっていた罪」といったことが指摘される。これが、国の罪なのか個人の罪なのか、というあたりの二重性を起点にした議論につながるかがテーマの困難さにつながっているような気がするがそういう理解でよいのかどうか。

  • 著者初読み。
    ブクログでのレビューが気になって、読んでみた。
    レビューの評価もいまいちだったが、題材が東京裁判だったので、どうしても読みたくなった。
    結果…
    とてつもなく、がっかり。
    哲学的な表現を意識しているのかもしれないが、9割が妄想。270ページにして、やっと東京裁判の話になったかと思えば、また妄想シーンに戻る。
    最終章でディベートの形で、戦争責任が天皇陛下にあるか?と言うところに切り込むが、いかんせん話が中途半端。
    何故、アメリカに留学して、その先で日本人が天皇陛下の戦争責任を問われる設定が必要だったのか?日本の文化では決して議論する場がないから、そのような設定をしたのであれば、もっと突っ込むべき。
    平成が終わり、戦争も遠ざかり、戦争の真実を語れる人がいなくなる一方、天皇自らが戦争を語る時代になった。
    今でもおめでたい場で「天皇陛下、万歳」と言う風潮は、戦争経験者にはどう映るのだろうか?
    わざわざ東日本大震災を盛り込むぐらいならば、もっと戦争に対する日本人の本音を盛り込んで欲しかった。
    最後まで読んでも、全く理解出来なかったのが、本当に残念。

  • 物語の途中に唐突に入ってくる空想なのか夢のシーンにまったくついていけない。結果、物語の構造が理解出来ず、途中挫折。無念。

  • 天皇の戦争責任のことを
    日本人の少女が
    アメリカで弁明する
    というあらすじに惹かれて手に取ってみた。

    これまで深く考えようと思ったことはなかったけど、確かに天皇って、世界に類を見ない不思議な存在だ。
    生と死、男と女、戦争と平和、傀儡と主体、人民と統治。
    色々な概念を総合して考えても、答えの出せない人?神?

    だから、この小説は正直とてもわかりづらい。
    色々なところへ飛んでいき、これはあれだと思った。
    難解な演劇によくあるやつ。
    ひとつの空間を色んなものにみせてくかんじ。
    演劇みたいな読書体験。
    でもこれはそうしないと、伝えられないからなんだ。
    それくらい、私たちは複雑に屈折したものを抱えている。
    それは天皇という範囲を超えて、太古の日本から、第二次世界大戦以降まで、私たち日本人が抱えているもの。
    もっと広く、世界中の「国民」と呼ばれる人たちが、かかえているものなのかもしれない。

    その国に生まれただけだけど、その国の国民となって、生きていく。
    その国のルールの中で、考え方の中で。
    これまで戦争ものって、人としての生死の尊厳を主題として感じることが多かった。
    でもこの本が私に提示してくれたのは、人として生き、行動し、意思を持つことに対する尊厳の根源のようなものだ。
    それを揺るがされてしまうものが、戦争ということそれ自体に内包されている。
    こんなことしていいのかっていう畏怖みたいなもの。
    それを抱えきれない、人は。
    そんなストレスフルなこと、絶対やめようよ。

  • R5.4.19~5.23

    (きっかけ)
    ・ブックオフで100円
    ・「天皇の戦争責任」がテーマの小説って面白そう

    (感想)
    ・抽象的な表現が多すぎて少し苦手でした。
    ・主人公とそれを構成する登場人物たちが、戦争責任や天皇の立ち位置などについて学び成長していくのだが、ここに描かれるほど、日本人は分かっていないものだろうか。と疑問。
    ・「ゴーマニズム宣言 戦争論」が流行る以前の日本はもしかするとこういう人が多かったのかなという印象はあるが、それにしても戦争について深掘りした名作は数々あり、多くの日本人はもっと理解しているように思う。

  • 戦後に生まれ、戦争のことを知らないまま、アメリカに留学した、高校生のマリの物語。
    アメリカン・ガヴァメントという授業で、天皇の戦争責任について、進級をかけディベートすることになる…という話は、この本が話題になった頃に知った。

    複雑な物語で、どう言っていいかわからない。

    たった一人で、カルチャーショックの中、母を国際電話で呼ぶ。
    その回路が、2010年前後の、現在のマリに繋がり、二人は母子を演じながら会話する。
    二人のマリは、両親の戦中、戦後を追い、バブル前後の自分たちも振り返る。
    こういう、日本の近代史を見返していく部分がある。

    その一方で、マリが留学中に地雷を踏むような形でアメリカ人の禁忌に触れていくところも描かれる。
    ベトナム戦争と、神のこと。
    もはやアメリカ人の思考停止に、マリと一緒に、フラストレーションをためてしまう。

    ベトナムの二重双生児や、ヘラジカの姿にもなる「大君」の幻が、マリを揺り動かす。
    母親と現代のマリが交錯することで、既に私たるものが何だかわからなくなるカオスが生まれていく。
    そこに、これらの幻影だ。
    もう、この小説がどんな結末を迎えるのか、さっぱりわからず、迷走するかのような気分。
    しかし、このカオスの中、ディベートをしながら、マリはほとんどシャーマンのように、生身の体を持ちながら神でもある、大君にして人々そのものでもある、矛盾に満ちた「天皇」というものを理解する。
    なるほど、カオスは周到に用意されたものであったか、と遅ればせながら気づく。
    不思議なことに、読者として、大君を語るマリにカタルシスを感じてしまうのだ。

    二度とは読めない、読まない小説だと思うが、衝撃的だった。

  • 小説の面白さは素材選択の時点であらかた決まるようです。

    「天皇の戦争責任」という重いテーマを、戦勝国の米国で、そして理詰めだけの議論競技「ディベート」という場で、さらに日本人一人という孤立無援の状況で展開されるストーリーの着想は秀逸です。

    とはいえ、付随して展開されるサブストーリーは私には意味不明で、この小説の素晴らしさを減じたように感じました。

    そして私がこの小説から気づかされた点が2箇所ありましたので、紹介します。

    キリスト像はなぜ磔の図であるのか、なぜ拷問の果てに死んだ救世主の図を崇め、その後に復活した彼の方に興味を持たないのか?
    それは、イエスを教会が神の一人子として独占するために、子孫のない絶対唯一の存在とした方が都合がよかったからなのでは?という指摘が1つ。(P516)

    もう1点は、議論相手から真珠湾攻撃というだまし討ちを非難されたときに、これはあくまでも手違いの事故であってそもそも軍事施設を攻撃したもので民間人を狙ったものではないと主張すると、では南京大虐殺や731部隊が犯した残虐行為は?と問われたときの答えです。
    この時、当時の天皇が彼女に乗り移ったかのようにこう答えます。
    「彼らの過ちはすべて私にある。子供たちの非道を詫びるように、私は詫びなければならない。しかし、私の子供たちに対する気持ちを吐露する人の親であることをつかの間許していただけるなら、やはり、前線の兵士の狂気やはねっかえり行動と、民間人を消し去る周到な計画とはまた別次元であると言おう。そしてこの意味において、あなた方の東京大空襲や原爆投下は、ナチスのホロコーストと同次元だと言おう。だからといって何もわが方を正当化はしない。が、前線で極限状態の者は狂気に襲われうる。彼らが狂気の方へと身をゆだねてしまったときの拠り所が、私であり、私の名であったことを、私は恥じ、悔い、私の名においてそれを止められなかったことを罪だと感じるのだ。私はその罪を負いたい。」(P521)

    この小説を読んでよかったと心底思えた箇所でもありました。

    解説の池澤夏樹は「小説にはこんなこともできるのか」という言葉で締めくくっていましたが、間違いなく小説の可能性を味わうことができる1冊です。

  • 自分には合わない。現実と妄想あるいは夢の中を行き来しているのだと思うが、区別が全くつかず話が理解できなかった。クライマックはディベートの場面でそこに向かって話が進んでいるのだろうが、作者が何を訴えたかったのも理解できなかった。

    多くの人は「東京裁判」を描いている作品と捉えているようだが、本作の主題は、自分には日本人のイメージにはないアメリカを描いているように感じた。その歴史的な経緯も含め。

    本書は沢山の賞を受け絶賛されている。確かに、私も作中のマリと同じで、意識的にか無自覚かも分からないが、天皇の戦争責任などということは深く考えたこともなかった。そう言う意味では、一石を投じた作品ではあるのだろう。

  • 面白かったけど、話にまとまりがない。

  • 読みにくい話だと思う。

    主人公マリの1980年と2011年を、アメリカと日本を行き来しながら、更に彼女の実世界と精神世界を混沌としながら渡り歩いてゆく。
    初読では捉えられない、たった一人の女の子に翻弄されてしまった。

    東京裁判、敗戦国、天皇の戦争責任。
    ベトナム戦争、南北戦争、東日本大震災。

    散りばめられた点は、自分自身が考えて線にしていかなくてはならない。

    抗いようもなく蹂躙されるヘラジカも、マリも、敗者としての私たちの姿の代わりである。
    天皇とは何か、日本とか何か。
    神によって創られた国に住みながら、私たちは朧げにしかそのことを考えない。

    私たちは何故戦ったのか。
    原子爆弾は何故落とされたのか。

    負うた傷に涙は流せど、考えることはどんどんと阻害され、白痴化する現代が到来した。
    私たちの立場は、変わったか。

    この国は紛れもなく日本である。
    グローバルである前に、足下を見るべきだ。

    私たちにとって、天皇とは何か。

    なんだろう。ズキズキする話なのである。
    悲しいではなく、懐かしいでもない。
    紛れもなく日本にいるから、当たり前の問いを考えずにいられるのかもしれない。

    さて。2014年の私たちには『東京プリズン』を通じて、大きな問いが投げかけられてしまった。

    私たちは、何のために戦うのだろうか。

    補足的に。
    この小説にはリトルピープルと白い繭が出てくる。
    初出は村上春樹『1Q84』のおよそ一年後。
    オーウェルの『一九八四年』に対し、マリの時間軸は1981年。

    これらの相関性がどうであるかは分からないが、置いておきたい。

  • 16歳のマリが挑む現代の「東京裁判」とは? 少女の目から今もなおこの国に続く『戦後』の正体に迫り、毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞受賞。読書界の話題を独占し“文学史的事件”とまで呼ばれた名作!

  • 2024.02.12

  • テーマに興味があり購入しました 出だしは面白くて土地勘もあり面白かったのですが幻想的なところやエピソードは苦手な部類で最後までたどり着けづ辞めました

    後半だけ読もうかとも思いましたが、それも断念

  • アメリカの地で、『日本の天皇には第二次世界大戦の戦争責任がある』という議題でディベートすることになったら、どう議論を展開させていきますか。

    天皇制や東京裁判、アメリカの歴史など、もっといろんなことを勉強し、もっとちゃんと考えておかなくちゃと痛切に思いました。

    こんなにスピリチュアルな作品だとは思ってなかったので面食らいましたが、日本人としてのアイデンティティを改めて考えるきっかけを与えてくれました。

    私は日本人で良かったと、心から思うのでありました。

  • 「太平洋戦争では多くの日本人が天皇のために戦い、死んでいった。国の「元首」は天皇だった。戦争の終結を決めたのも昭和天皇だ。だがその天皇が、戦争犯罪を裁く東京裁判の法廷に立つことは無かった。ーなぜかー。
     主人公は15歳の少女、マリ。留学したアメリカの学校で、天皇の戦争責任を論じなけれればならないはめにおちいる。「天皇は戦争犯罪人である」という論題にイエスとノーの立場で論を戦わせるのだ。
     この国の「戦後」とは何だったのか。読者は問いをのど元に突きつけられる。」
    (『いつか君に出会ってほしい本』田村文著 の紹介より)

  • いやぁ、難しい本だった。
    なもんだから、すごく時間がかかってしまった。
    いわゆる文藝作品であり、物語小説ではないので書いてある事がちんぷんかんぷんなのだ。

    内容はアメリカに留学した16歳の少女が、授業の一環で「天皇の戦争責任」を題材にしたディベートに参加するするという内容。

    そもそも日本の社会科教育では、昭和史はほとんど勉強していない。
    私自信もそうだし、今でもそうでしょ。
    そんな少女がアメリカに留学してきた訳だから、日本人はそこんとこどう考えてるんだ?と興味が沸くのも解る。
    しかし、日本人は知らないんだなぁ。。。。
    で、必死に勉強する訳ですが、まあ解らない。
    日本人の誰もがわからない事なんですから。

    東京裁判とか日本国憲法とか。
    それらはすべて英語。
    英語を訳して、日本国憲法が出来てるわけだから、そんなの成立する訳ないのであって・・・

    例えば天皇は「Emperor」と訳されてるけど、外人が感じるヨーロッパの君主としての「Emperor」と天皇は本来違うでしょ。
    また、天皇に関しては、例えば「人間宣言」のくだりでは日本人さえわからない日本語が使われてて、それを英語に訳してアメリカ人(すなわち戦勝国)が理解しようとしてるし。

    わかりやすい所で言えば、A級戦犯。
    ほとんどの人が「rankA」と思ってるけど、元々は「classA」が訳されて「A級戦犯」になっちゃって、それが誤解を招いてるし、そういう事がいっぱいある訳ですよ。

    私もまだまだ解らない事だらけで、その辺の事を少しでも知りたいなぁと思ってこの本を手にしたわけだが、ますます解らなくなってしまった。

    ただし、解らない事さえ解らない人達は日本の事を論じてはいけないと感じます。
    憲法守れ!とか言ってる連中・・・
    それちょっと違うでしょ。
    平和を守れ!なら百歩譲って理解しても良いけどね。
    日本国憲法はもともと英語なんだから、英語で理解した上で「憲法守れ!」って言ってる?

    その辺の事を考えさせられる本でした。
    ただし、最初にも書きましたが、文章が凄く難しいです。
    覚悟してください。
    この本の後では、村上春樹だって簡単な文章に感じると思います。

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著者プロフィール

1964年、東京都生まれ。作家。95年に「起爆者」でデビュー。著書に『ヴァイブレータ』(講談社文庫)、『ヴォイセズ/ヴァニーユ/太陽の涙』『ミューズ/コーリング』(共に河出文庫)、『モテたい理由』『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)など。2012年に刊行した『東京プリズン』(河出書房新社)で毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞・紫式部文学賞を受賞。

「2015年 『日本の反知性主義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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