- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309418391
感想・レビュー・書評
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・中野美代子「契丹伝奇集」(河出文庫)の「跋」によれば、「伝奇」といふ語は「せいぜい『文学的な私小説ではな い』といった程度」(333頁)の意味であるといふ。つまり、必ずしも伝奇的な作ではないといふことである。カバーの裏表紙には「博覧強記の中国文化史家が織りなす極上の幻想小説集。」とある。最後の幻想小説のあたりが気になるところで、これも売るためにはしかたのないことなのだらうと思ふ。
・まづ気になつたのは巻頭の「女俑」の表記である。固有名詞と一部の語を除いて、ほとんどが仮名書きされてゐる。最初の11ペー ジ目の漢字、章題以外は「旦那」「以外」の2語のみ、カタカナもあるが「ベンツ」「ドア」のみ、残りは全て平仮名である。「あたし」などといふ語に漢字は合はないが、「くろぬり」「まえぶれ」「かたて」「かたあし」等はむしろ仮名ではない方が分かり易いのではないか。「きんちょう」は普通は漢字で書く。70頁の作品である。かういふ調子で仮名書きされると、いささか疲れる。12頁 には「口迅に」といふ語がある。クチドと読むのだが、これはほとんど聞かない表現である。これを仮名書きしたらたぶん意味が分からない。それで漢字にしたのだらうと推測する。作者は中国文学者である。他の作品ではそれらしい漢語等が多く使はれてゐる。この 作品は難しい漢語はほとんどなささうである。内容は、語り手「あたし」が最期に女俑になつてしまふといふだけのものである。そこにベンツが出てきたりするのだから、これは一種の幻想小説とも言へる。難しい漢語を必要としない。だから「旦那」と「奥さま」は 漢字、意味の取りにくい語も漢字などとしたのかもしれない。「奥さま」の喪の関係では、「喪礼」「棺材」「絵師、裁縫師、指物師」などと漢字が多用されてゐる。ソウレイでは「喪礼」か「葬礼」か分からないといふことであらう。しかし、それなら最初から漢字で書くべき所は漢字で書けば良いのにと私などは思つてしまふ。それ以上の深い、大きな意味があるのであらうか。まさか字数かせ ぎではあるまい。同様の作品には「掌篇四話」の最後「屍体幻想」と翩篇七話の3話目「膏」がある。「屍体」は墓荒らしの話、これも「女俑」同様と思はれる。「膏」は鯨に飲み込まれた話、これはたぶん日本人2人の名と「引戸」といくつかのカタカナのみ、ごく短い作品である。いづれも幻想小説と言へさうな作品である。例へば2作目の「耀変」は耀変天目茶碗をめぐる話、これを幻想と言へるかどうか。あるいはミステリーであらうか。雰囲気は違ふ。だから漢字多用、といふより、普通に使つてゐる。固有名詞は漢字がほとんどであるが、中国文学をやつてゐる人が漢字を使えばかうなるよなといふ程度ではあらう。仮名多用は、いつもこんなに漢字を使つてゐるから、たまには仮名書きしたいといふことであらうか。あまり固有名詞にこだはらない内容ならばそれも良いといふことでもあらう。初出誌も関係なささうである。そのあたりの事情が分からないので気になるのである。作品は「女俑」がおもしろい。仮名書き多用で読むに疲れるにもかかはらずおもしろい。ベンツの走るやうな時代とも思へないが、「旦那」の息子はベンツを乗り回して女に明け暮れてゐる(らしい)。その2人の主導権争いを利用してその家を乗つ取ろうとするといふ物語は、ふと気づいてみれば幻想小説だつたといふ感じかもしれない。掌篇の類は別にしてそんな作品が多い。その意味で、カバーに「極上の」とあるのはいささかオーバーである。おもしろい。けれど、一部の作品のために、仮名書きが気になつてしまふ作品集であつた。 -
新年早々、行きつけの書店が閉店するときいて慌てていって出会った本。
ネット購入では絶対に出会えない。
棚に並んだ本のタイトルをじっと眺めて、これは!こんな本が!作者さんが結構昔の方だから、ネットではなかなかおすすめにも出てこない奴!!
と、狂喜乱舞して購入。
あの本屋さんは新刊、郷土の本、絵本、セミ専門書とありながら、文庫にマニアックなのを混ぜて取り揃えてくれるのがよい。だから行くと散財してしまうという自省の元、暫し遠ざかっていたのが悔やまれる。
本の感想はちゃんと契丹の世界に行ってから。 -
単行本を古書店で見かけるたび気になっていた。函入りの装丁が美しくて……。新たな文庫版が出ると聞いて悩んだものの、これも美しくてついに手が伸びた。カバーのタイトルは額つきで扉にも出現。河出文庫はいい仕事をする。
「女俑」「耀変」「蜃気楼三題」「青海<クク・ノール>」「敦煌」、掌篇四話、翩篇七話を収録。
開幕いきなり「女俑」の異様さに魅せられた。だらりとした平仮名ばかりの口語体、読み手の想定する世界観をベンツだのリンカーンコンチネンタルだのの言葉で攪乱してくるうえ(玉瑛の「むがく」な耳目で捉えたものを読者向けに翻訳した結果の語彙なのか)、豊かな叙述には事欠かず、「締まりのない」ラインは超えない絶妙な塩梅で読ませてくれる。玉瑛にはさっぱりピンとこない政治劇に、手玉にとっていると思っていた男性原理に対する敗北を加えて急な終幕に放り込む構成も巧み。「ばかでかいうそ」と自分でも考えながら、尹伯達の物語る勝者の歴史に取り込まれるしかないのがまた残酷でもある。
日本と中国を往還、さらに中国では時を越えて物語が進む「耀変」もお気に入り。洞窟の向こうの桃源郷と不死の夢が織り交ぜられて香しい。「星宿の点滅が自在に変化する」耀変天目が常に失われていくことに、これに魅せられる人間の儚さを思って何かしら神秘的なものを見たような気がする。「海獣人」の変身譚も好き。 -
長くても70頁程度の中篇、掌篇もあれば1頁で終わる翩篇というものまで。多様な形式で多様なお話が収められているが、どれも幻想性が高く、それが文化史家の方ならでは(?)の教養ある描写と相まってより物語世界に引き込まれる。だが大半の物語は唐突な幕引きを迎え、夢の中に置き去りにされた心地になる。その感覚がとっても好き。