- Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309463162
作品紹介・あらすじ
人類の歴史を揺り動かした五〇〇年前の気候大変動とは、いったい何だったのか?人口大移動や農業革命、産業革命と深く結びついた「小さな氷河期」を、民衆はどのように生き延びたのか?現在、地球規模の温暖化に直面しているわれわれが決して無視できない問題に、気候学と歴史学の双方からアプローチした名著。
感想・レビュー・書評
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手に入れたかったが、書店にはすでに無し。
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ヨーロッパ中世〜現代の歴史の動きに気候変動がどう関わっていたかを、最近明らかになってきた資料から解説した本。とても有用。 気候の変動はゆるやかなものではなくて、気まぐれにも見えるほどくるくると変わりうる(最近数十年間は穏やかな変化にとどまっているがそれは例外的)という結論が、これからのことを考えるとかなり怖い。
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事例の羅列は良いのだが主張のポイントが見えづらい。海外の人文系書物にたまにあるような。。。翻訳の問題もあるのか?学生のコピペレポートみたいな感じ。
いくつか面白いポイントも
・太陽黒点の活動と気候、マウンダー極小期
・英仏の農業技術進歩の違い
・CO2濃度(19世紀後半から20世紀初頭)赤祖父説との違い
・グリーンランド(「文明崩壊」に寒冷化は一因として挙げられていたか?) -
小氷期の暮らしぶりが詳細にまとめられている。内容はヨーロッパが主体で、数年ごとの気候変動がNAO振動で説明されている。
北大西洋振動(NAO)は、アゾレス諸島上空の強い高気圧と、アイスランド上空の低気圧の間で繰り返す変動で、海面水温の変化が主な要因。NAO指数が高いときは西風が吹いて大西洋の海面の熱をヨーロッパ中央部に運ぶ。南ヨーロッパの冬は乾燥し、北ヨーロッパの夏は雨が多くなる。NAO指数が低く気圧傾度が小さいと、偏西風が弱まってヨーロッパの気温が下がる。
専門家の多くは小氷期を1300〜1850年としているが、最も気温が低くなった17世紀末から19世紀半ばに限定する人もいる。アジアでは、17世紀に大陸のほぼ全域で大混乱が起きた。
南極海で生成される深層水の量は、今日よりも小氷期の方がはるかに多く、最終氷期の最盛期やヤンガー・ドリアス期も多かった。
8世紀、カトリック教会は塩漬けのタラとニシンを食べてよいことにした。タラは1950年にはまだ大量にいたが、その後の40年間に水温が下がって激減した。
14〜15世紀、休耕地に牧草、エンドウなどの豆などを植える農業革命が始まり、16〜17世紀にはクローバーやカブが植えられるようになった。囲い込みは生産性の高い大きな土地にまとめて、羊毛の生産性を高めるために進められた。土地に肥料を与えるために家畜を、家畜を育てるために冬季用の飼料が必要だったためで、1650年頃から進んだ。
18世紀末のフランスでは、農村の人口が増えて土地が不足し、貧しい放浪者が増えた。1770年以降は気候変動が激しくなって不作が続き、1784〜85年はアイスランドのラーキ山の噴火によって冷夏が訪れた。1788年の春は乾燥のため作物が不作になり、トルコがオーストリアとロシアに宣戦布告したため、バルト海の航行が危険になって穀類の輸入が落ち込んだ。1788年の気候は、フランス革命の時期を決定するのに大きな役割を果たした。
1812年にセント・ヴィンセント島のスーフリエール山、1814年にフィリピンのマヨン山、1815年にインドネシアのタンボラ山が噴火した。1883年に噴火し、世界のほぼ全域で直射日光を15〜20%遮ったクラカタウの噴煙による火山灰の厚さを1000とした指数は、1811〜1818年に4400だった。
アイルランドでは1740〜41年に寒冷となって不作になり、30万〜40万人が赤痢、飢え、発疹チフスで死亡した。1800年、イングランドとアイルランドが連合したため、アイルランドの産業はイギリスとの競争に負け、穀物の4分の1と家畜の大半はイングランドに輸出され、大半のアイルランド人はジャガイモで質素な暮らしを送っていた。夏が来なかった1816年は、食糧不足のため6万5000人以上が死亡した。1845〜1848年はジャガイモ疫病菌の被害を受けて、1841年に817万人だった人口は1851年には655万人に減少した(100万人は移民として国を脱出した)。
1850〜1870年の間に、世界各地で開拓農業が爆発的に進んだため、大気中のCO2濃度が10%増加した。
黒点などの太陽の活動の変化についても記述があるが、アジアの記述やエルニーニョはほとんど登場せず、世界的な視点ではなかったのがやや物足りなかった。 -
中世から近世までのヨーロッパにおける歴史上の出来事に対して、気候変動が与えた事実を一つ一つほりさげている。やや冗長な感もあるが、そのことがかえって、当時の悲劇が克明に浮き上がってくる。高校では世界史を履修したが、当然のことながら、世界史の出来事と気候変動の関連など教わるはずもなく。新鮮さを感じるとともに、歴史に限らず、社会を見るうえで、人類が制御できない気候変動という要因が、今後ますます重要になってくると認識した次第です。
B・フェイガンには同文庫から『古代文明と気候大変動』もあり、お勧めの1冊です。単行本でも『千年前の人類を襲った大温暖化』もありますが、こちらは未読です。文庫化を期待しています。 -
歴史変動や人口動態を踏まえない歴史の叙述はカスだ。太古の気候を正確に把握するのは難しいし、気候変動が歴史的事象の直接的かつ主要な原因だったというのも短絡的に過ぎるが、無視して通ることは出来まい。
今は間氷期(氷河期と氷河期の間)であること、16世紀は全世界的に寒冷であったこと、1960年代は氷河期の再来が噂されていたことは覚えておこう。
欧米人の著作なだけあって(というか想定読者が主に欧米人だったからかもしれないが)話題が欧米にほぼ限られているのが、それでも面白い。現状でわかっている気候変動や人口動態の資料ってネットに公開されてたりしないのかなぁ。
10世紀前後5世紀:中世温暖期(今より耕作可能地が広かった!アイスランドで大麦が再び栽培できるようになったのは1900)
スカンジナビア元気
余剰穀物→献金→大聖堂建設(ゴシック)パリのノートルダム聖堂、イングランドのカンタベリー大聖堂など
1315~1319 大飢饉
餓死・病死・耕作放棄→共同体解体、耕作地減少、小作人増加、農地の集約(→後の囲い込みへ)
牧草減→家畜減→畑の肥料、農業労働力減
ペスト(何度読んでも信じられないがガチで人口半減とか街全滅とかしてる)
百年戦争
10年おきに凶作
1500 悪天候から予測不能の気候変動期へ
(太陽活動が停滞していたらしい)
1600 ペルー南部の火山大噴火
アルプス氷河前進→麓の村を飲み込む
魔女狩り多発
(同時期明では旱魃、反乱、満州族の侵攻、日本や朝鮮半島でも大飢饉)
かねてからの農地集約と、農業生産をあげる必要性から農業革命が進展@英国、オランダ地域などで進んでいた技術を導入
←→フランスは立ち遅れる。ルイ14世のころ
←→アイルランドはじゃがいもの単一栽培。いっきに養える人口増加、後の大飢饉の布石
1641 フィンランドミンダナオ島の火山大噴火
1680~1730 最寒冷期。寒さによる死者続出
ノルウェーの農業不振→木材輸出への転換
魚群の移動→アイスランド漁業に痛手
フランス
人口密度増加、不作→都市への人口流入
1776英仏通商条約→遅れていたフランスの繊維業壊滅→失業者増
1788不作
→生命の危機が頂点に→フランス革命へ
1815 タンボラ山噴火(→全世界的に日光の15~20%減少。「夏のない年」)→社会不安
アイルランド
1820年代人口急増
1845じゃがいも不作
(イングランドは「自由市場」が大切、といいはり、人道的援助をせず。餓死者多数。→アイルランドのイングランドへの恨み)
(アイルランドに限らないが)→新大陸への大量移民
新大陸への大量移民→森林の大量伐採→大気中CO2急増(化石燃料時代でもないのに、1850~1870年で10%増加)→(?)→1900年以降の温暖化