楽園への道 (河出文庫 ハ 9-1)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (648ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309464411

感想・レビュー・書評

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  • 池澤夏樹さんの文学集にも選ばれている人気作。図書館に行くたびに背表紙をながめて秋波を送ってきたのですが、うひひ~♫ 美しい文庫本が出たので読んでみました。
    物語の舞台は19世紀のフランスと南の島タヒチ、そしてそれを繋ぐ南米ペルー!

    ***
    女性解放運動家のフローラ・トリスタン(1803~1844)。夫の酒乱や暴力、社会から蔑まれ服従を強いられる女性たちを解放し、さらに低賃金・長時間・搾取的労働から人々を解き放つため労働者の権利を求めていくフローラ。
    かたやフローラの孫、ポール・ゴーギャン(1848~1903)。押しも押されもしない株式仲買人として大金を稼ぎ、確固たるブルジョワとしての地歩を固めながら、芸術に目覚めた彼は、何もかも打ち捨てて絵の道へまい進します。

    作家バルガス=リョサは、なかば狂乱したかのようなこの二人を対比させながら、みごとな大河小説に仕上げています。史実の謎の部分を奔放な創造力で物語り、それを巧みに繋げて読ませます。まるで騎士道物語のように語り手がフローラとゴーギャンを叱咤し、やさしく激励しながら語りかけます……古くて新しい小説作法に思わずにんまり!

    執拗に追いかけまわす暴力夫からのがれ、男社会の中でもみくちゃになり、満身創痍で各地を巡りながら改革のための活動をしていくフローラ。はたから見ているだけでも痛々しくて胸がつまります。でも自由とユートピアを求めて奔走する彼女の姿は、言いようのない輝きにあふれていて痛快! このパートでは、これまた破天荒なフランスの女性作家ジョルジュ・サンド、若き日のカール・マルクスが顔を出して興味深いこと。

    一方、すべてを捨ててタヒチへ渡ったゴーギャンは、貧窮に喘ぎながら魂の自由をもとめて描きます。酒や女にのめり込み、目をおおいたくなるほどの零落ぶり。しかし文明社会の汚辱をぬぎ棄てて、ひたすら内なる声を聴こうともがき、なにやら求道的で、孤高の光さえはなっています。ここではセザンヌ、ドガ、ゴッホらも登場。

    フローラとゴーギャンのそれぞれの物語だけでも十分に一冊ずつの本になりえるほどの仕上がりです。でもこの二つの物語は決して切り離すことはできない。
    ひどく野生的で、縛りつけようとする何ものかに逆らい、自由を勝ちとろうとする彼らの反逆的な精神は、たい廃した社会や権威に大きな風穴をあけています。中世ルネサンスしかり、きっと芸術とミューズはこれらを打破しようと抗い、もがく側に味方し、霊感を与えるのでしょう。
    洋の東西を問わず、多くの人々がそれを目のあたりにして圧倒され、思わず笑みをこぼし、感涙にむせぶような音楽や絵画や文学といった芸術の中に、まちがっても人間の自由や多様性を憎悪したナチズムやアパルトヘイトのようなものを称揚し、擁護するものはない。

    「芸術とは、世界に開かれたものであり、諸文化と交錯し、異なる空気、異なる風景、異なる価値観、異なる民族、異なる信仰、異なる生活様式や道徳を取り込む必要がある。このようにしてのみ、パリの人々の享楽的で安易で軽薄で商業的な存在が芸術から奪ってしまった勢いを、取り戻すことができるだろう」

    バルガス=リョサは、「作品の文学性はテーマよりもテーマを処理する技法にある」と述べていてとても興味深い。確かに大小散りばめられた美しい小説作法には脱帽……でも彼の作品をのぞけばのぞくほど、どれも素晴らしいテーマ性を孕んでいます。だからこそ本作の二つの物語も切り離すことはできないのですよね~それは本のタイトルにも表れているようです。

    「ここは楽園ですか?」
    「いえいえ、楽園は次の角ですよ~」
    「では、ここは楽園ですか?」
    「いえいえ、楽園は……」

    鬼ごっこのような子どもたちの遊びが延々と続きます。そうやって人は永遠に楽園と呼ばれるものを求めてさまよい続けるのかもしれません。

    「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか」

    途方もない命題を模索したゴーギャンの魂の叫びに、そして命を賭したフローラの希求に、作家バルガスリョサはその筆で力強く共鳴しています。いやはや、すさまじい迫力ですな♪

  • たぶん本書の「正しい邦題」は、「楽園への道なかば」、だと思う。
    「ここは楽園ですか」と問うが、
    「いいえ、楽園は次の角ですよ」と延々先送りされてしまう。
    叛逆者ふたりは、ふたりとも、至れない。

    楽園、なんてばかばかしいね、と生まれた瞬間から白けていた読者が、【1983年生まれが、2017年に読む】(何を見ても、はいはい「ここではないどこかへ症候群ね」)
    楽園、という概念は発生当初から頓挫していたのだ、とわかっている現代の作者が書いた、【1936生まれが、2003年に書いた】
    楽園、を求めて場所も身分も移動した画家の、身体的・精神的挫折や(とはいえ人食いへの無邪気な憧れは保たれていた)、【1848年生まれ1903年死去】
    楽園、という概念を、宗教に依拠せず、労働者と女性の団結を通じて実践しようとした近代の行動家、【1803年生まれ1844年死去】
    を読む。
    社会やニュースに疎い私だが、精神や気分やイズムへの傾倒やがいかに変容したかを、実感した。

    フローラ・トリスタンは高潔な生き方を字義通り必死に行おうとしているが、
    被害者面の裏に、実のところ他人を騙したり、子に対しては加害者と同様の仕打ちをしたりしている。
    またポール・ゴーギャンは、家族を蔑ろにし、エキゾチスムへの憧れの背後で、
    少女略奪(14歳が好きなんだね!)を始めとし、野蛮人への憧れと裏腹の差別に導かれているという、西洋的簒奪を嘆きつつその一部でもあった。

    どちらも純粋でもなく純白でもない。
    強者が弱者を毟り取るという社会の構図の中で、ふたりとも可能な限り強者であろうとし、性格上不可能な場面では弱者だった。
    弱者(労働者/芸術家)としての発言だけでなく、強者(なんだかんだ恵まれた生まれ/西洋人)としての振る舞いも書き落としていない、のが「長い小説」としては優れている。

    また、対位法。
    衰えつつある者が、その活動に至る経緯や活動初期の活気を思い出す、という小説の構図は、
    いわば人生の開始と終焉を網羅するという意味で、正しく伝記であり正しく歴史小説である。
    それでいながら死去の瞬間の本人の思考を追うという意味では、伝記や歴史を逸脱した、正しい小説なのだ。
    さらには祖母と孫の人生の対位法で、個人を離れ人類へ、という目論見も。

    さらには、性の少数者というテーマ。→反権力。
    同性愛や男-女への希求は、権力的マチズモへの明確な反旗のサインだ。
    作者が21世紀に書き上げてくれたおかげで、前世紀の先進的なジェンダー意識は、更新されながらも今後百年通用するに違いない。

    リョサの得意とする時間のねとねとした融和ではない、奇数と偶数は独立しているが、同じ本に仕立てられたことで物質的に融和する、それが精神的に融和する、おお、これはテキストファイルではありえない、本ならではの愉しみであった。

    「おまえは……だよね」と語りかける語り手の口調は、優しくて、よい。
    また語り手→作者に拠って考えれば、バルガス=リョサの作品にはマチズモへの極めて有効な反旗が多数描かれている。
    マチズモはもはや南米特有ではなく、日本にも「濃い霧」のように侵食しつつある風潮なので、頻繁に思い返す小説になるであろう。

  • 画家ポール・ゴーギャンとその祖母フローラ・トリスタン。2人の人生の軌跡を描いた長編。
    ゴーギャンの祖母がスカートを履いた扇動者と呼ばれ、19世紀フランスで女性解放と労働組合を作るため全土を奔走した政治活動家だったとは知らなかった。
    とにかくフローラの人生は波乱に富んでいて且つたくましい。最初の結婚に失敗し、DV夫のせいで男性嫌い、セックス嫌悪。夫との離婚から裁判、娘の親権を奪われ、また奪い返し、さらに執拗に追うDV夫から銃撃され胸に弾丸が残ってそれがもとで病気になるという凄まじい人生。食うために亡き父の一族を頼ってペルーに渡り、そこで貧困と奴隷制度を目の当たりにし胸を痛め、世の不条理を知り労働者と女性解放の闘士として目覚めフランス本国で活動家として生きていくことを決意する。フランス全土を駆け巡ったフローラの姿は強情ともいえるほどの行動力で、フーリエ主義者やサン=シモン主義者たちと議論し、女性や労働者に理解がないと分かると相手を罵り、金持ち資本家に組合の支援を頼み、断られると罵倒し口舌鋭く批判する。と、いろいろ忙しい。
    強靭な意思と信念に貫かれているが、ときにその姿は痛々しいほど。

    かたや反逆の芸術家・ゴーギャンは、西洋文明に背を向け、西欧絵画に新しい作風と考えを取り入れ、印象派をつくり、のちの絵画史に新風を注ぎ込んだ。
    そもそも株式仲介人として成功し、スーツ着たブルジョワだったゴーギャンは、たまたま同僚に薦められた絵描きに夢中になり、地位も名も家族も捨て、画家になるためタヒチに向かう。芸術の再生を願って、家庭を捨て、タヒチに渡ったゴーギャン。愛人や恋人を次々作って(多くは画のモデルとなった)、すぐ結婚し、離婚したり、現地で知り合ったタヒチ人やヨーロッパを捨て現地に住み着いたボヘミアンの白人どもと毎晩乱痴気騒ぎし、酒とクスリに溺れたり。行き当たりばったりの人生の放埓さはずいぶん自分勝手にみえるが、むしろその奔放さにこそ新しい芸術への創造の源とエネルギーがある。
    無節操な性衝動も西洋文明に抑圧された人間の本能として表現活動に昇華しようと利用している。ゴーギャンの代表作の成立背景やモデルとなった人物たちとの関わりも描かれており(著者の創作もあるだろうが)、ここはゴーギャンの画集を見ながら読むと楽しめる。

    そんな強情と放縦さが特徴の2人の人生も、病に冒され死を迎える。楽園を求め彷徨っても辿り着くことができなかった各々の人生は、それでも楽園を求め得ずにいられない人間の業を評しているようで圧倒される。

    600ページを超える長編を読むと、人物への感情移入と同時に、長年ひとりの人生に寄り添って生きてきた錯覚に陥る。だからゴーギャンやフローラが天に召される瞬間は、臨終の床で死を看取った気分で淋しい。これは著者の小説の技法がそうさせるのかもしれない。「このときは、~で、まだ・・・だったね、」と結末を知るがゆえに語り掛ける過去形の語り口と、ゴーギャンを「コケ」とあだ名でよび、フローラをときに「怒りんぼ夫人」「アンダルシア女」と呼びかえる三人称の視線は、神の視点から2人の人生を綴っている。神の俯瞰だが同時に寄り添う語り口は、どこか慈愛に満ちて優しい。

    長編小説として物語はもちろんおもしろかったが、同時に小説を読むという行為が為す多様な意味と、そこに含む豊饒な世界を思い知らされた作品だった。

  • 600頁ぶあついけど文庫化嬉しい。画家ポール・ゴーギャンと、その祖母で女性と労働者解放のために戦った活動家フローラ・トリスタン、それぞれの目指した「楽園」への道のりが交互に描かれている。

    ゴーギャンについての私の知識はモームの「月と六ペンス」レベル。小中学生の頃の美術の教科書に載っていたような画家の中でも、ゴーギャンなら名前は知っているし作品もインパクトはあるけれど、個人的には印象派は好きじゃないし、ダリやキリコのようなシュールレアリズムの絵のほうが当時から好きだった。正直今もそう。しかし改めてこうして、ゴーギャンの「人となり」みたいなものを知ると、がぜん描かれた作品にも興味が湧いてくる。

    この小説の中でもゴーギャンの章のほうには主に彼の作品タイトルがつけられており、物語の進行にしたがって「死霊が娘を見ている(マナオ・トゥパパウ)」「神秘の水(パペ・モエ)」「ジャワ女、アンナ(アイタ・タマリ・ヴァヒネ・ジュディット・テ・パラリ)」「アリーヌ・ゴーギャンの肖像」「ネヴァーモア」「われわれは何者か(われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか)」「天使との戦い」「ヒヴァ・オアの呪術師」等の絵を検索して物語中のエピソードと照らし合わせながら読むのはとても楽しかった。モデルとなった女性や男性との出会い、背景に書き込まれたものの意味等、もちろんリョサの創作もあるだろうけれど、とても興味深い。「ネヴァーモア」は、そうか、ポーの「大鴉」のことか!とか、目からウロコ感。またとなけめ、ですね。

    一方フローラのほうは、ゴーギャンサイドが回想を交えつつもタヒチに渡った1892年から1903年までの十数年にわたって後半生に焦点が当てられているのに対し、1844年に亡くなる前の数か月に絞らている。しかしやはり膨大な回想が織り交ぜられているのでどちらの章も読み応えはたっぷり。最初の結婚に失敗し、DV夫のせいで男性嫌悪、セックス嫌悪に陥ったフローラは、父の故郷ペルーに逃亡。内戦や奴隷制度を目の当たりにして、女性と労働者の解放のための活動を開始する。「怒りんぼ夫人」とあだ名のあるこの「アンダルシア女」フローラは確かにいつも怒っており、しかしその「怒り」こそが彼女を活動に駆り立てた原動力で、この怒りがなければ彼女はきっと平凡な幸せを求めて一生を終えられたはず。

    ポールとフローラの共通点は、比較的「遅咲き」で自分のやりたいことに目覚めたことと、そしてそれを見つけてからは、家族を顧みず自分のやりたいことの追及を優先したこと。そして男嫌いでありながら女性としての魅力をふりまいて数々の男性を虜にし、なおかつ女性の恋人をもったフローラ、一方ポールも数々の女性遍歴を重ねつつ、マフーと呼ばれる中世的な男性に惹かれる同性愛的側面ももっていた点かな。そして二人とも「楽園」に辿り着く前に力尽きた。どちらの生き様もとても魅力的(※真似はしたくないけれど)だけど、しかしやはり、ほったらかしにされた子供たちはちょっと不憫。とくにフローラの唯一の娘(息子二人は死亡)であり、ポールの母となるアリーヌの生い立ちは結構悲惨。過激な親と自由な息子に挟まれてさぞや苦労したであろう・・・とても気の毒。

    二人分の伝記が1冊になっているけれど、作者の文体というかフローラとコケ(ゴーギャンのタヒチでの呼び名)に対する呼びかけというか語りかけのような口調が優しいので、辛いことばかり起こっていてもなんだかほっとする。あと例えばゴッホのことはフィンセントだけでなく「狂ったオランダ人」、デンマーク人だったポールの妻メット・ガッドのことは「女ヴァイキング」等、フローラに対する「アンダルシア女」と同じく愛情込めた(?)あだ名で語っているのも独特の味になっていて好きだった。

  • ふたりの頑固者の人生に伴走して、大河ドラマを見終わった満足感。つまり「あーいろいろあったが終わりましたなあ」という気持ち。たくさん取材してたっぷり盛ったバルガス=リョサの大盤振る舞いを堪能した。文庫で600ページ、2週間かかってしまったが途中でダレないドラマ性の強い小説だった。夏休みやお正月、思い切り小説を読むぞ!というときにも良いと思う。

    モーム『月と六ペンス』でゴーギャンがモデルになったストリックランドより、本書のゴーギャンのほうが我慢できる。というのもゴーギャンの内面を語り手がなんやかやと類推してくれるのだ。ストリックランドはだれの介入も受け付けない鉱物のような存在だったが、本書のコケは梅毒でボロボロになりながら絵をかき曲がったことをやる、どうしようもない奴ながらも一人の人間だった。振る舞いが一緒でも、心中が測れる人物には耐えられる。

    語り手が主人公たちに語りかける形で、当然ながら読み手に話しかけていたんだなと今さら気付く。声が聞こえる本だから、600ページが長すぎなかったんだということにも。

  • 自らの意思を徹底して貫くという生き方は、どうしようもなく苦しいものだ。
    意思を貫き自分の理想とする楽園へと突き進む道のり、それはまさに地獄の道である。
    楽園への道とは、地獄なのだ。地獄が楽園へと誘ってくれるのだ。
    そう考えると、楽園と地獄は表裏一体なのかもしれない。

  • 直訳は「次の角の楽園」だそうだ。どうしてこのタイトルにしなかったんだろう。子供の遊びみたいに、無邪気に、でも必死に「楽園」を求めるフローラとゴーギャンの物語。
    章ごとに入れ替わる二人の伝説は、ストーリーとしてではなく、魂のレベルでどこかリンクしているように思えて凄まじい。しかも二人称小説。これがノーベル賞作家か。そりゃ村上さん無理だよ。
    地名や人名の固有名詞が多くてたまについていけなくなるけど、どんな壮大な物語も、結局は一人の人間自身の自分語りから始まるのだなと思わされる。次の角を曲がれば、楽園がある、曲がったら、さらにその次の角。生きることは苦しくて、つらくて、ややこしいことばっかりだけど、そうやって目の前の壁を乗り越え続けてたら、ある種の世界観とか縁とか作品とか、切り開いて来たなりの足跡が続いていて、後の時代の人たちが、そこに何かしらの価値を見出してくれる、かもしれない。でもそんな評価が欲しいわけじゃないストイックなわれわれは、結局は自分を満たしてくれる何かを見つけるまで、戦い続けるしかないんだよなと思わされる。
    きっと楽園なんて、最初からなかったんだよね、フロリータ。それでも次の角を曲がるまで、描くしかなかったんだよね、コケ。

  • 記録

  • 人生の物語の中に深く跳び込み、作中人物たちをぎゅうっと抱きしめたくなった。このような衝動にかられるのは、主要な二人の①追求②衝動(痙攣/陶酔/奪還)③幻滅のサイクルが全頁を通じて統一したハーモニーを与えてくれたからだと思う。「自然のままに」「あらゆることに大胆に挑戦する」ときに、生命は進行し、ゆらめき、めぐり逢う人や物と融合し、遠くから届く楽園の光は存続することを教えてくれ、感動とともに、生命力を充実させてくれた。ゴーギャンの絵は彼の熱情の有り様をそのまま映し出しており、芸術的痙攣の感触が掌に残っている。


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著者プロフィール

1936年ペルー生れ。ラテンアメリカを代表する作家。2010年ノーベル文学賞。著書『都会と犬ども』『緑の家』『ラ・カテドラルでの対話』『世界終末戦争』『楽園への道』『チボの狂宴』『つつましい英雄』他。

「2019年 『プリンストン大学で文学/政治を語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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