友人から借してもらった本。
現代は自由資本主義が恋愛みたいな個人的関係に入り込んでいるために、持たざる者は孤立するという小説なんだけど、ちょうど最近読んだフロムの「愛するということ」がまさにそういう話をしていたのですんなり入ってきた。
主人公はびっくりするくらい人の容姿の話ばかりしている。ブサイクな同僚やデブスの高校の同級生を心中でこきおろし、たきつけてあざ笑うけれど、私は本当にブスだしデブなのでそうやって実際にあざ笑われてきた側の人間だからしんどかった。そうか、こういう価値観のもとに、実験の体で、私はああ言われたり笑われたりしたのか、と思ったりして。何でこの主人公は被害者ぶってるんだろ。お前がそういう世界にしたんじゃないか。
確かに、そんな風に笑われて交流から閉め出されることで尊厳は傷つくし、価値交換的な世界観がこの世のすべてであるような気持ちになったりもするけど、だからなんなの、と思う。自分が市場において魅力的でなく、プレイヤーになれないことは動かしようもない事実なのに、頭の中でそんな価値観の再生産に終始してたら気が狂うのもそうだろうねとしか…。
自分は持たざるもので孤独だっていう虚しさは分かるけど、この人の愛とかセックスってシステムに従って与えられるものみたいな解釈で、自分の身を切らず、傷付かずにそういったものをあわよくば得ようだとか理解してやろうという姿勢を取るのが全く相いれない感じ。せこいし諦めが悪い。
フロムはセックスと愛の同一視について、フロイトの思想と資本主義の強い結びつきを指摘し、現代西洋社会の病んだ愛と断じていた(この時点で1950年代!)が、結局のところこうした未成熟な愛は自分の人格の成長が不十分なことに起因すると切り捨てていた。そして人は自分の愛の段階に無自覚なことが多いとも言っていた。それがこうまでしっくりくる話があるとは。ざまあみろ、というべき話なんだろうか。そう言った時に彼を馬鹿にする私の愛の段階は彼とどれほど違うんだろう?
闘争に負け続けた男は拗らせ続けて悪循環にハマっていく
男の自分には経験があるので共感できま...
闘争に負け続けた男は拗らせ続けて悪循環にハマっていく
男の自分には経験があるので共感できましたよ
気持ちのいい内容でない事は間違いないですが
私も拗らせた人間なので主人公の考えもよく分かるのですが、まさに自分の嫌いだったところを晒されたようで嫌悪感が...
私も拗らせた人間なので主人公の考えもよく分かるのですが、まさに自分の嫌いだったところを晒されたようで嫌悪感が爆発してしまいました。そういう子供っぽさ、蓋をしてきた醜さを鏡のように直視させられるという容赦ない残酷さ、おっしゃる通り良書なのかもしれません。