- Amazon.co.jp ・本 (552ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309467443
感想・レビュー・書評
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タイムトラベルの形を取って黒人奴隷制度について克明に描いた本格的な小説。SFジャンルとなっているが、歴史小説寄りで、ここまでリアルな奴隷制度を体感できる作品はそうそうないのではないかと思う。
1976年に生きる黒人女性デイナがめまいとともに19世紀初頭のメリーランド州にワープする。高祖父ルーファス・ウェイリンが命の危機に直面する度、デイナは不意にルーファスに呼ばれ、彼の命を助けることとなる。最初は短時間で元の時代に戻って来るが、ワープの回を重ねるごとに19世紀にとどまる期間が長くなり、デイナ自身が身の危険にさらされていく。
教養ある黒人女性として生きてきたデイナが奴隷制度真っ只中の世界で生きるとはどういうことか。黒人というだけで人権はなく、差別や暴力が当たり前にあった時代の描写は読むだけでもなかなか辛い…
それでも最後の帰還の旅で左腕を失ったとの冒頭の一文まで、デイナがどんなタイムトラベルを体験したのか、気になってページを捲る手を止められなかった。
幼少期から繰り返し命を救ってくれた存在であるものの、白人であるルーファスは黒人のデイナを奴隷制度の中でしか接することができない。命の恩人だが黒人、黒人だが恩人であり、不可欠の存在というデイナの複雑な立ち位置がそのままルーファスへの複雑な心境と重なる。
たとえ後世で奴隷制度について知識として知っていても、もしその渦中に投げ込まれたら、その制度に組み込まれてしまう恐ろしさ。嫌なら逃げればいい、抵抗すればいいと口だけで言うのは簡単だが、それがどれほど難しく、厳しい現実だったかをデイナの旅を通して思い知らされる。
デイナは夫のケヴィンに「私には祖先の持っていた忍耐力がない」と語る。誰かの「財産」「所有物」になることに耐えなければ生きていけなかったし、子孫も残らなかった時代の人々に直面した彼女の言葉から、人種にかかわらず人権や人間としての誇りを取り戻す道のりの過酷さを思った。
辛い描写はあるものの、人種差別や奴隷制度について触れて考えるために読まれてほしい良作。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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https://mdn.co.jp/news/19962022/07/22
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人が人を買うという、圧倒的に非常識な常識が存在していた時代。その時代に現代より強制タイムスリップ。それも自分は買われる側のリスクを持つ人種として……。
今も根深く存在する人種差別。どうしたらなくせるのか? それを考えてしまう時点でもうダメなのだろう。いつの日か差別と言う言葉が死語になることを切に願う。 -
「私は最後の帰還の旅で腕を失った。左腕だ。」こんな衝撃的な一文から始まる、タイムスリップ物のSF小説(著者は、ファンタジーだといっています)。
時は、1976年6月9日のロサンジェルス。新居に引越してきたばかりの、白人を夫に持つ黒人女性。彼女は夫と荷解きをしているとめまいに襲われ、南北戦争のはるか以前、1815年のメリーランド州にタイムスリップしてしまいます。そう、黒人にとって最も生きづらい、過酷な労働や人間の尊厳を踏みにじる人身売買、そして差別と暴虐が当たり前の世界に。
彼女がその世界に踏み入れてすぐ、河で溺れている白人少年を助けたところ、元の時代にびしょ濡れで泥だらけの姿で戻ってきます。後に、この白人少年の来歴、命の危機と助かったという状況が、何度もタイムスリップする事に関係していることがわかってきます。そのタイムスリップ先の19世紀初頭は、白人ですら本を読めない人が多いのに、20世紀に生きる教育ある女性が行けばどうなるか。しかも、それが黒人であったなら…。周りからの風当たりや当人自身の耐え難い苦痛も、察して余りあります。また、当人の意志では現代に戻ることができないという設定が、絶望感に拍車をかけていて、読んでいてとてもハラハラドキドキします。
この小説、書かれたのが1979年と、随分昔に書かれた小説ですが、まったく古さを感じません。奴隷制や人種差別について、改めて考えるきっかけにもなる、もっと知られていい名作だと思いました。 -
読んでいる間は怖くて消耗したし、日中仕事をしている間はヒロインが味合わされる屈辱を思い出して悔しかった。冒頭でヒロインが経緯を振り返っているからなんとか読み通せるけれど、読後感も渋かった。「代償を払いはしたものの、二人はその後幸せに暮らしました」な感じがしないのだ。奴隷じゃなくても、愛し合うふたりの間にも滲み出す不均衡をどうしても感じてしまう。SF/ファンタジーのジャンルでこんなに苦い後味の本は読んだことがなかった。
ルーファスの気違いじみている言動はほんとうにぞっとしたのだけれど、彼が常軌を逸しているからではなく、ああいう感情を持つ自分は正しいと心底信じている人間が今でもきっとたくさんいると思うから。奴隷制はなくなったけれど、DVはなくならない。
「訳者あとがき」にはストーリーの核心に触れる記述があるので、後回しがおすすめです。 -
1976年アメリカに生きる黒人女性が、奴隷制が存在していた1819年へとタイムスリップします。それも何度も現代に戻ってきては、いつともわからない瞬間にタイムスリップをくり返します。
いかに黒人といえど、20世紀後半に生きていれば奴隷制は学習するだけの過去の制度。それを想像を絶するほどの痛みをともなって実体験し、加えて現代に無事に戻れるのかわからないという不安も絶えずおぼえるというのは、SFということがわかっていても読んでいてつらいです。すなわち、主人公のデイナに同情以上の気もちをおぼえることもあるでしょう。
本書を通じて登場する、白人であり奴隷所有主の息子(のちに主人)であるルーファス。彼の幼稚さや未熟さに対するデイナの感情は、一様ではないです。どんなに彼が横暴にふるまおうと、彼を亡き者にしてしまえば、それは彼女の系譜となる祖先をひとり失うというだけでなく、自らを亡き者にすることにもなるからです。それゆえに最後まで読ませます。
たとえば、かつては命を救ってあげたにもかかわらず、ルーファスについに鞭を打たれたデイナは、奴隷としての実感を次のように述べます。
「顔が汗ばみ、欲求不満と怒りで無言の涙があふれ、汗と混じった。背中の痛みの感覚はすでに麻痺し始めた。恥ずかしいという感覚も麻痺しかけていた。奴隷制とは感覚を麻痺させる長いゆっくりした過程なのだ」
このように感覚を鈍麻させる奴隷制において、デイナは同じく奴隷である黒人女性に次のように言います。
「どうしてだか、私はあの男が私にすることをいつも許してしまうみたい。あの男が他の人々にすることを見るまでは、当然憎むべきなのに憎むことはできないの」。
このように、あるべき感情が失われていく様子に、読者は一喜一憂します。すなわち、ハラハラし、イライラもするでしょう。現代の視点を持ち込んで読んでしまうと、こうすればいいのに、ああすればいいのにと、どうしても思ってしまうからです。そして、これこそが奴隷制の文献資料を読み込んで本作を書いた作者の意図なのでしょう。作者の分身といってよいデイナという一人の黒人は、当時を生きた黒人たちの経験と感情を一身に引き受けるべくして創造されたのでしょうから。
最後のページに至るまで、ほんとうに気を抜けない、そしてほんとうに先が読めない作品でした。 -
待ち焦がれてた文庫化。
単行本発売時に読んだけど、薄らとしか覚えてなかったので再読。
改めて衝撃!生々しく伝わる奴隷制時代の描写。
歴史的な名著!と再認識。
バトラーの別の作品の翻訳化に更なる期待。 -
黒人女性が奴隷制下の19世紀へタイムスリップ。読んでいて辛くもあったが、その中に入り込み漠然としか分からなかったその当時の空気に触れたような感じがした。多くの人に読んでほしいと思う。
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1976年に生きる黒人女性が高祖父の生きる時代にタイムスリップしてしまう。
その時代は人種差別が〝当たり前〟の時代。
自らの祖先からの差別に耐え、元の世界に戻れるのか。
SF作品の枠に収まらない深い含意があちこちに。