誰がタブーをつくるのか? (河出ブックス 74)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309624747

感想・レビュー・書評

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  • 憲法上、表現の自由が担保されている日本においても法的規制や社会通念としてのタブーが存在する。

    筆者はその出自について述べ、適切な議論を行わない限り、非本質的な規制が蔓延ることになると主張する。

    私は形骸化したタブーの発生起源について考える足掛かりとするために本書を読むこととした。

    タブーの起源は「恐ろしいことが起こる」「面倒くさいことになる」「社会経済的に不利になる」「単にみんながそうしているから」の4点に大別されるようである。

    形骸化したタブーについての興味を持つ私は「単にみんながそうしているから」的なタブーについての記述に得るものがあった。

    形骸化されたタブーはその起源に関する共通認識を失っており、「なぜそれがいけないのか」という対象の持つ性質に関する議論を通さずに「かれこれの属性を持つものはいけない」という社会通念となり果てているものだ。

    これは非常に解像度の低い見方であると言わざるを得ず、本質を突いた社会的改善につながらないばかりか、差別問題において「我々一般人はその差別語を使われないように強制されていることで、被差別者たちに表現の自由を侵害されている」などといったことを宣う頭の足りぬ大衆が出てくるせいでさらなる差別を助長しうる可能性がある。

    表現の自由は担保されるという前提を適切に運用するという立場に立つと、「ある表現を使用しないこと」は各個人が獲得した本質的理解からの自発的な選択であるべきであり、「ある表現に対する抵抗」にも本質的理解からの根拠ある主張が求められるべきだと強く感じる。

    「○○の性質を持つから即ダメ」という、あまりに短絡的で野蛮な主張がまかり通ってしまいがちな現代において、表現する側と表現に対してNOを突き付ける側のどちらもが座に就いたうえで議論を進めなければならない。

    最後に、オルテガの言を引こう。
    「支配するとは、拳より、むしろ尻の問題である。」

  • 12/5

  • ・第一章は、「出版と報道のタブー」。出版や報道に関する「タブー」は、その多くが何かによって禁止されたものではなく、自主規制によるものである。圧力や暴力、そして、ビジネスがらみの理由から自主規制をするのだが、極端に言えば「事なかれ主義」という印象が強い。民衆に事実を伝えるための出版・報道機関として、その姿勢はいかがなものかと思う。
    ・変わって第二章は、「外側からの規制」である。法律や条例などによるもの。
    p.187
    時代が変われば価値観も変わる。法律や条例がつくられたときと、社会や人びとの感覚が変わっているものもある。また、法律や条例がつくられたときには想定していなかったことが起きたり、想像もしていなかったものが登場することもある。ことの性質上、法律や条例は社会の変化を追いかけるようにしてしかつくることができない。そして、時代に合わなくなった法律や条例を変えたり捨てたりするのは意外と難しい。名誉棄損やプライバシー権侵害、著作権侵害についても、これからさらに変わっていくだろう。

    しかし、法律や条例の中には、首をかしげてしまうようなものもある。

    p.178
    「愚かな民草はほうっておくと何をするかわからないから、我々がコントロールしてやらなきゃいけない」という役人の大きなお世話&上から目線の大衆蔑視的感覚が根底にあるものと思われる。国民を子ども扱いして、信用していない。

    ・現代日本には、言論の自由はないと思ったほうがよい。インターネットの登場で、言論の自由が確保されたかと思いきや、実はそうでもないということである。
    p.214
    一定方向の発言しか許さない空気がインターネットのなかにはある。ネットのなかでは「マスゴミ」などといって、既存メディアを蔑視する発言も多いが、言論の不自由さはネットのなかのほうが厳しいのではないか。ネットにはタブーを破壊する力があるかもしれないけれども、それと同じく、新たなタブーをつくったり古くからあるタブーを強化してしまう力もある。言い換えれば、匿名の大衆は常にタブーを求め、タブーを侵犯する者を監視し、侵犯する者を処罰しようとする。タブーとは我々大衆自身の欲望だ。

    表現の自由、報道の自由、国民の知る権利、そして報道される側の各権利など、難しいかもしれないが、バランスよく守られないかと思う。

  • 社会
    ことば

  • 日本と言う国はそこそこ自由な国である。あくまで自由なのは「そこそこ」であり「ある程度」なのだ。
    国家による「法規制」や自主規制である「タブー」などを主に、表現に関する自由を考える。

    なんとなく読んでいて違和感を感じた。
    著者は規制はない方がよい、最小限にとどめるべきだ。タブーに関しても然りと言う。確かにそうなのだろうが、社会性のある種としてはやはりルールは必要だろう。むしろ在った方が安心して生活できるというものだ。まあもともとそういう暮らししか知らないせいかもしれないが、今規制されているものを不自由とは感じられない。こう言うとすでに権力のコントロール下に置かれていると言われてしまうのだろうか。
    タブーの方がもっと複雑だろう。ここで多く取り上げられているのは報道に関してだが、スポンサーに対するタブーは、相手のことを考えてというよりは自己の利を考えてと言うべきだろうから、私的にはちょっと別にしたい。最近の風潮として正義と言う名の個人たたきが行き過ぎているような気がする。当人ならいざ知らず、無関係の人間が口を挟まなくてもいいようなことまで大騒ぎをするのは如何なものか。というか、人それぞれなんだからもっと曖昧でもいいんじゃないかな。自分には厳しめで他人には寛容なくらいが丁度いいと思うのだが。
    配慮しすぎるのもどうなんだろう?もちろん他人を傷つけたり差別するのは良くない。とだこれも人によって感じ方が違うし、言葉さえ謹めばよいものでもないだろう。問題は言葉ではなく、その後ろに垣間見える気持ちの方なのだから。と『ちびくろさんぼ』好きの私としては、とても哀しく思う。

  • 【目次】
    目次 [003-005]

    序章 「言論の自由」と「自由な言論」、「表現の自由」と「自由な表現」 007

    第一章 出版と報道タブー 029
    1 いってはいけないこと、報じてはいけないこと 031
    報道協定/皇室タブー/宗教というタブー
    2 ビジネスにまつわるタブー 064
     クライアントというタブー/書店・コンビニ・キヨスクというタブー/取次というタブー/著者というタブー
    3 差別とタブー 089
     部落差別/コリアン差別/黒人差別/障害者差別/職業差別/差別と言葉狩りとタブー

    第二章 外側からの規制 105
    1 刑法第175条「わいせつ罪」 107
     チャタレイ事件/『四畳半襖の下張』裁判/模索舎裁判
    2 プライバシーと出版――民法第710条「名誉毀損」 131
     「北方ジャーナル」事件/プライバシー権/名誉毀損と高額訴訟
    3 青少年保護育成条例 148
     青少年保護育成条例/改正都条例をめぐる問題/コミック規制
    4 そのほかの、法による出版規制 163
     少年法/関税法/著作権法

    第三章 じぶんからの規制 189
    タブーと規制 191
     報道する側、される側、読む側/タブーがなければハッピーか/自由な言論はあるか/タブーと快感と世間と

    参考文献一覧 [216-217]

  • もっとオドロオドロしいタブーを期待してたんだけど、意外と普通の話しでした。
    ジャニーズに触れてないのは何でだろ?タブーかな?

    暮らしの手帖に広告がない理由が、自分でアートディレクションできないページがあるのが我慢ならん、というのは大変興味深い。なぜ他人がデザインしたページを許容するのか、と。

  • 日本のタブーにおける歴史について調べる際に
    とっかかりとして最適な書籍だと思う。

    書籍の中でも紹介されている皇室タブー関連の小説、

    深沢七郎「風流夢譚」
    http://azure2004.sakura.ne.jp/s_hukazawa/huryumutan.htm
    大江健三郎「政治少年死す」
    http://azure2004.sakura.ne.jp/k_oe/seijishonen.htm
    桐山襲「パルチザン伝説」
    http://azure2004.sakura.ne.jp/k_kiriyama/partisandensetsu.htm

    がここで読むことができる。
    本当にこれらの作品が封印すべき作品なのかどうか
    己の目で確かめることができるのがうれしい。

  • いろいろなタブーについて書いてあるが、でどうなんだろう?エッセーとして読むならいいかもしれない。

  • 日本におけるタブーについての検証で、内容は網羅的ではあるが、各事項についての深い論考まではなく、入門的解説書。

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著者プロフィール

1958年生まれ。ライター。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。90~93年、「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。その後はライター専業。「アサヒ芸能」「週刊朝日」「週刊エコノミスト」などで連載をもつ。ラジオ「ナルミッツ!!! 永江朗ニューブックワールド」(HBC)、「ラジオ深夜便 やっぱり本が好き」(NHK第一)に出演。
おもな著書に『インタビュー術!』(講談社現代新書)、『本を読むということ』(河出文庫)、『筑摩書房 それからの40年』(筑摩選書)、『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)、『小さな出版社のつくり方』(猿江商会)など。

「2019年 『私は本屋が好きでした』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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