パタゴニア/老いぼれグリンゴ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-8)
- 河出書房新社 (2009年6月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (568ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309709604
作品紹介・あらすじ
「パタゴニア」不毛の大地に漂着した見果てぬ夢の物語。黄金の都市、マゼランが見た巨人、アメリカ人の強盗団、世界各地からの移住者たち…。幼い頃に魅せられた一片の毛皮の記憶をもとに綴られる、イギリス紀行文学の究極の形。「老いぼれグリンゴ」死と呼ばれるものは最後の苦痛にすぎない。死地を求めてメキシコに渡った『悪魔の辞典』の作者ビアス。反乱軍に加わった彼は愛と憎しみに引き裂かれつつ、移動と戦闘を続けていく。多様な視点で描かれる現代のドン・キホーテ。
感想・レビュー・書評
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◆パタゴニア/チャトウィン◆
「われわれは夜を行く船のようなものである」
ヨーロッパのじめっとした旅から、からりと明るく乾燥したバタゴニアへとやってきたわけだけれど、なんだか妖しい。神聖さが、靄 のなかで息をしている。諦念にも似た哀しみがやはり此処にもおちている。
わたしのなかのパタゴニアといえば、パトリシオ・グスマン監督のドキュメンタリーで、その神秘と、インディオたちの身体に描かれた星のように映える哀しみに虜になった。
通りすぎる気持ちのいい風のように、彼と人びととの刹那な触れ合いがとおりぬけ、すこしの郷愁をはこんでくる。けっして過剰に干渉することのない、やわらかな敬意とともに。どこまでも写実的。そして、夢と伝説や史実、そこから創作された物語たちが、そこにときどき毛布をかけてくれる。恬淡としたような語り口からじんわりと感じる彼の心のなかの焔に、わたしもすこし顔を火照らせた。
本の途中でまとめて見せてくれる写真もとてもいい。たったいま、旅から帰ってきて、思い出に浸っているみたいで。なんだかわたしじしんがほんとうに旅をしている、という幻想にもおちていっていたから。幻想なんかでなくて、実際に、牧夫の小屋の折りたたみベッドのうえで黒いポンチョに包まれながら寒さに震えている、まさに 体感 だった。語り手と、同化してしまうことはよくあるけれど、あんなに遠くまでいってしまったのは初めてだった。わたしは、わたしのむかし描いていた夢を、思い出したのだった。
プレシオサウルスのくだりは笑っちゃった。本棚にねむっているドイルの「失われた世界」を読まなくっちゃ。いい加減でドラマチックな映画も。「Good old days! 」って聴こえてきそうだけれど、あのころつくられた虚構とほんものの涙と怒りとはやっぱりすこし隔たれている。
「Oh,Dios。Qué conocimientos!」。
「今朝は、とくに宗教を持っていません。僕の神様は歩く人の神様なんです。たっぷり歩いたら、たぶんほかの神様は必要ないでしょう」
「「原始的」言語の中に道徳観念を表す言葉が見出せないとき、多くの人はそのような概念は存在しないものと見なす。しかし「良い」とか「美しい」といった西洋思想におけるもっとも本質的な概念は、具体的な事物に根ざしていないかぎり意味をなさない。」
◆老いぼれグリンゴ/フエンテス◆
「わかってるのか、わたしたちはみんな他人の想像の対象だってことが?」
幻想のなかでひろがる詩のような会話。語り手が、とけあってゆくような感覚。まるで彼(フエンテス)じしんがなにかに眩惑されているかのように(彷徨う亡霊たち。砂漠の砂埃。虚実を探り、語ることに)。
内戦のさなか、彼らの想いは交差しまきあがる砂嵐のよう。遥かな夢や思い出までもが捲られ、丸裸にされる。そしてそれらはひとつの大きな 魔獣 のように、わたしたちにも彼らにも幻影をみせてゆく。
舞踏室の鏡。映る(知る)いくつものわたしたち。決して越えられない(そして顕になる)それぞれの心のborder。灰に帰した約束。果てしなく旅をする言葉たちと伝説。
なんてクールで、なんてさびしいのだろう。
死は、囚われのわたしたちを解放してくれる。
「死と呼ばれるものは最後の苦痛にすぎない」。傑作。
「砂漠というこの古文書は流れていく。それがどこまで行くのかわたしは知らない。わたしにはわからない」
「客観的な実体があけっぴろげの人たちがいる。なぜならそれが透明だからだ。人はそうした人たちのすべてを読み、受け入れ、理解することができるからだ。そうした人たちは自分の太陽を持っており、それで自分自身を輝かせているのだ」
「痛ましい、あるいは、いまわしい病気に苦しむ人間、恥をかかされた人間、どうしても酒と手をきれない人間・・・・・そんな人間たちが自殺したとき、どうして崇めてやらないのだろう?勇敢な兵隊や献身的な消防士をほめたたえるみたいに」
「まえにここに来たことがある。でも、立ち去るときにしか、それに気づかない」
「実際、男と女はたがいに利用しあっている。ただ、あなたたち女性のほうがそれをわたしたち男よりもこっそりやっているにすぎない。それだけのことだ」
「「おれたちはみんな復讐が好きだ。ここじゃ、復讐は復讐と言っている。あんたたちはどう呼んでるんだ?」
「寛容・・・・運命・・・・」」
「我々の粉々になった意識は必要なら、愛を創る、想像する、あるいは偽る。だが、愛なしには生きられない。なぜなら、終わりのない離散のなかで、愛は、たとえ口実にされても、我々が無くしたものを測る物差しを与えてくれるからだ。」
「わたしたちはみんな、高潔であろうとしている。それがわたしたちの国民的な気晴らしなんだ」
「残念だよ。もっともな話だな。これは国境じゃない、傷痕だ」
「人類のこの一片、鋭い感性のこの見本、人間と獣が作り上げたもの、この卑しいプロメテウスは祈りながら、そう、無の恵みを願いながらやってきたのだ。
地にも空にも、砂漠の植物にも、彼がやってくるのを見た人たちにも、この悩める化身は無言の祈りを捧げていた──私は死ににきた。とどめをさしてくれ」
「死を恐れないときに勇敢であるのはそれほど難しいことじゃない」
「わたしは愛情をまるで大きな謎のように考え、守っている」
「三人で時を交換するんだ」
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230531*読了
パタゴニア、老いぼれグリンゴ、共に南米の暑さを感じる作品だった。
「パタゴニア」は叔父が持ち帰った恐竜(と思っていたが実際はオオナマケモノ)の皮をきっかけとして、イギリスからパタゴニアに赴き、たくさんの人と出会い、交流していく紀行文。
紀行文といってもそこで生きる人を通して、この地域が描かれているので、ドキュメンタリーと表現する方がいいかもしれない。
私はこんな風に旅できない、と思う。だからこそ、読むのだけれど。
読んで、南米の熱気を肌で感じたり、自分とは違う生き方、価値観を持つ人を知ったりするのがおもしろい。
「老いぼれグリンゴ」は国境を徒歩でも越えられる大陸ならではの話と言える。
実在する人物であり、突然メキシコに消えてしまったアンブローズ・ビアスをグリンゴのじいさんとして描いている。
グリンゴじいさんは、メキシコで起きた革命に飛び込み、死にに来た。
一方で生きがいを求めて国境を越え、家庭教師になろうとやってきたハリエットは、望んでもいない革命に巻き込まれてしまう。
二人の出会い、そして荒々しい別れ。愛と憎しみ、苦しみと哀しさ。
その当時だからこそ、その国だからこその悲劇。
ドラマチックなストーリーは疾風のようにやってきて、わたしの心をかき乱した。 -
面白い。パタゴニアのみ。純な小説では無く、ルポルタージュやエッセイといいった趣なのに、とても小説的。アルゼンチンの人々がチャトウィンの涼やかな語りで風が大地に吹くように一人、一人と語られていく様は、読んでいて癒されました。
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パタゴニアは別で読んでいたのですが欲しくなって購入。
なので初読は老いぼれグリンゴ。
埃っぽく血なまぐさい土地、メキシコよ。 -
とりあえずパタゴニアだけ読んだ
最果ての地にいきた伝説の荒くれ者の歴史をたどる旅
やっぱりアルゼンチンて憧れるなー -
もう一つのアメリカへ。
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「パタゴニア」部分読了。チャトウィンは細かく説明をしないので、内容がいささか掴みづらい。
パタゴニアの風土ではなく、そこで生活した人々、特にミルワード船長とブッチ・キャシディが印象に残った。 -
パタゴニア素晴らしい大地
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「パタゴニア」
旅行記なのだが、ブルース・チャトウィンの思索の中を旅させられているような、彼と一緒に旅をしながらその考えをずっと聞かされているような気持ちになる。
いわゆる経路順や行った土地について書かれたものに慣れていると、そっちをきたしてしまいがちだが、こういった書き方もいいではないかと、読み進める内に気持ちを許したくなる。
「老いぼれグリンコ」
日本とは違ったたくましさ。乾いているのだが薄情ではなく、強く強く押し上げてくるような濃さがある。個々の主張と生き方も、血を流すことも、性も、風土も、何もかも。この国は「もののあはれ」とは真逆の世界なのだ。