- Amazon.co.jp ・本 (146ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314009553
作品紹介・あらすじ
フランスで人気の哲学者が、クリスマスの午後の子ども、病気の友へ手紙をだす話、さらにはナンパ撃退法などをあげながら語る、かろやかな幸福論。
感想・レビュー・書評
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哲学とは、言論や推論とを用いて、我々に幸福な人生を与える一つの活動である。
エピクロス
哲学とは言論を用いた一つの実践であって、その対象は人生であり、その手立ては理性であり、その目標は幸福である。
作者
欲望は欠如だ。
プラトン詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(幸福とは)自分の持っているものを、自分の行っていることを、あるがままのものを欲することであって、けっして欠けているものを欲することではありません。言いかえるなら、享受し喜ぶことです。ですが、現にはたらいているこの幸福は、同時にある意味では絶望的な幸福であります。それは、なにも望むことのない幸福なのです。
願望と恐れは、一枚のコインの裏表。
「恐れることがなければ願望することもないし、願望することがなければ恐れることもない」(「エチカ」スピノザ)
真の叡智とは愛のなかにしか、愛によってしか存在しない。
「あざ笑うのでも、嘆くのでも、嫌悪するのでもなく、理解しよう」(「国家論」スピノザ)
★叡智とは、そこに到達すれば突如としてみなさんのカップルや仕事や社会のすべてがよくなるような別の人生はなく、あるがままのいまのこの人生を別なふうに生きる仕方なのです。叡智を別の人生であるかのように願望してみても無意味です。あるがままのいまのこの人生を愛することー強調しておきますが、そこには私たちに左右しうる部分に関しては、それを変えていくためのあらゆる手だてを自らに講じることもふくまれていますーをこそ学ばなければなりません。
1105 -
哲学をあまり知らない初心者にも分かりやすく書いた、幸福について考察がまとまった本。
まず、哲学は幸福を目的とし、真理を規範とする営みであるとする。
その上で、人間の本質である欲望から考えを始める。
ソクラテス・プラトン的な『欲望とは欠如である』という欲望の考え方に疑問を呈し、これは欲望と願望を混同してしまった見方であるとする。
願望は欲望の一つであり、その特徴は
1、自分のもっていないものに向けられる欲望
2、その欲望が満たされているのかこれから満たされるのかどうかもわからない欲望
3、最後にそれを満たすことが私たちに左右できないような欲望
こういった願望と合わせて、欲望の現れ方としてなるのが、愛と意志である。
この愛は絶望(願望のゼロ度、純然たる願望の不在状態を指す)することによって見えてくる。そういった状態の中で、享受する力である、
こういった議論を経て、願望の対極には恐れではなく(恐れと願望はセットで存在している)、知と力と享受、すなわち認識と活動と愛。
もっていないものや存在しないものを欲するのではなく、あるがままのものを認識し、できることを意志し、最後に起こることを愛する。
こういった姿勢が幸せにつながるし、この幸せを実践するためには絶望によって愛を覚えなければいけない。
こんな感じの話で、中には暗い話と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
むしろ、希望等の有用性もしっかり考えていて、かなり実践していく上で、役に立つものと感じます。 -
哲学の目標は幸福です。
絶望しよう、絶望を楽しもう
著者はフランスの哲学者
要点は、余分な欲望を持つなということ。
これはキリスト教で世界にとって、画期的なことだそうです。
しかし、絶望をdespairと使っている。違和感を感じるな。絶望を辞書で引くと 「lost hope」 「hope less」とかが載っているが、どれもいまいち。
そこで 東洋的な「無」とか「空」を思い出してみた。決して悪い意味ではない。
英語だと、実際いい訳があるだろうか?
聖書にも無は使われるが、「信仰がなければ、一切は無だ All is vanityといいほうに解釈されない。
般若心経の日英対訳をみると「空」はemptnessと使われているが、「むなしいさ」を感じる。イキイキしてない。
一切を削り取り、削り取ったことすら削り取ることが無であり平安なのだ。