正義論

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (844ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314010740

感想・レビュー・書評

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  • ジョン・ロールズはずっと前に『公正としての正義』を読んだきりで、本書『正義論』についてはもちろん知ってはいたのだが、あまりにも分厚く高価なため、これまで読まずに来てしまった。
    ようやく今回意を決して読んでみたのだが、しんどかった。ロールズの文章は非常に読みにくく、わかりづらい。これはたぶん翻訳が悪いのではなく、原文がひねくれ、錯綜しているのである。厳密を期して練り上げられた文章なのだろうが、読者がこれを完全に読み解いていくのは相当にしんどいと思う。
    さて1971年初版の本書でロールズが掲げる原理<公正としての正義>は二つの原理から成っている。
    (1)各人は平等な基本的諸自由の最も広範なシステムに対する対等な権利を保持するべきである。ただし、それはすべての人の自由の同様な体系と両立可能なものでなければならない。(自由は自由のためにのみ制限されうる。)
    (2)社会的・経済的な不平等が正義にかなうのは、それらの不平等が結果として全員の便益を補正する場合に限られる。

    要するに個人の自由を最大限に尊重しつつ、能力差等によって生まれてくるあらゆる不平等な格差を、万人が納得できるまでに是正しなければならないという、社会福祉(社会主義的)-自由主義ということになろう。
    この<原理>がどのように出立するかというと、ロールズは<無知のヴェール>によって規定された<原初状態>を想定する。これは社会契約説の一種となる。
    「誰も自分の階級上の地位、身分、能力、運不運について知らず、互いに各人の善の構想やおのおのに特有な心理的な性向も知らない」(P18)
    という、完全に合理的な思考が可能な知性を持つが、同時に新生児のように何も知らない人々が協議して、社会を導く原理を編み出すということだ。このおよそありえない状況が、純粋な思考実験によって設定される。
    このような不可能性に立脚しなければ「正義」を社会に維持できないのならば、ロールズの意図とは逆に、現実世界において「正義は不可能なのではないか?」という濃厚な疑念がもたげてしまう。
    安倍首相につづいてトランプ大統領などというものさえ登場した現代社会では、すでに「正義」は人々の思考の基準にすらならなくなってきている、という絶望的状況から見れば、このロールズの壮大な思考の研磨の営みが、涙ぐましくさえ見える。
    しかしロールズが緻密に構成したこの書物は非常に堅固な理論を示している。問題を慎重に限定しておいて、重厚な思考が非常にゆっくりと石を積み上げていく印象だった(読みにくいけれど)。
    ただ少し気になったのは、ロールズは当時のアメリカ社会を前提として思考したのであり、「民主主義」「自由-資本主義」「人権思想」「法治主義」「立憲主義」などの社会的要素は、「前提」として考慮されてはいても、それらがいかに構築されうるか、という点についてはあまり煮詰められていないように見える点だ。その辺は別の書物の中で論じられているのかもしれない。
    この本を読むというしんどい経験が、「もはや正義がありえない」現代社会のしんどさと重なって、奇妙なまでに重苦しい読書となった。
    だが、集団社会を形成する動物はたくさんあるものの、個体間格差を社会として是正しようなどと企図するのは人間だけだ。人間社会において、いまだ可能であるのはどのようなことか?

  • 自由放任主義はだめ。自由競争は不平等をもたらす。財貨の不平等は、生まれた環境や家族に左右される。個人ではどうしようもない。努力不足だけでは片づけられない。アメリカ南部を中心に黒人は奴隷に近い状態。白人の善い生活は黒人の犠牲によって成り立っている。功利主義だと、全体の幸福を最大化するため、少数者の権利が犠牲になりがち。全体の功利のために、各人が手段にされてはならない(cf.カント)。少数者の権利を保障する基準が必要。所得再分配を積極的に受け入れる自由主義を考えたい。▼リベラリズム(アメリカ)。各人は他人の自由と両立する限り、基本的な自由に対する平等な権利をもつ。一番大切。次に、財貨は最も不利な状態にある者にとって利益になるよう配分すべき。権威や命令にかかわる組織は万人に開かれるべき。▼ある自由で平等な人格たちを考える。各人は自分が金持ちか貧乏か、能力があるかないか、まったく無知とする。自分の性別・人種・教育水準も分からない。すると、各人は何よりもまず市民的・政治的自由を求める。選挙権、公職に就く権利、適正な刑事手続きを要求する権利、言論の自由、集会の自由、信仰の自由、私的財産を所有する権利。次に、人は自分の社会的リスクを最小限にしたいと考える。「自分は社会的に強者である」と予想して当たれば見返りは大きいが、外れたらリスクも大きい。自分は最弱者かもしれない。最悪死んでしまう。最低限の生や安全は確保したい。不確実な状態では人は安全確実な選択をする。だから最低限の再分配は必要という結論になる。最低限の福祉、その財源を得るための課税は正当化される。ただし、経済発展を阻害しない範囲、将来世代に借金を負わせない範囲で行う。▼人が大切にする価値(何が善い・善くない)は多様でそれぞれ異なる。絶対の価値なんてない。特定の価値を選択できない。だから価値にたいして中立的であるべきだ。「何が善いか」「全体の善いの最大化」ではなく「何が正しいか」を優先すべき。自由を平等に保障し、不利な人間を出さないことが「正しい」。ジョン・ロールズRawls『正義論』1971

    リバタリアニズム(アメリカ)。国家や共同体が財の再分配に関与すべきでない。個人の自由な活動を最大限確保すべきだ。勤労所得に課税するのは、他人のために強制労働させているに等しい。課税は所有権を侵害している。国家は福祉や教育に口を出すな。司法と治安維持のみすべき。▼自然状態。個々人による私的な自己防衛・権利回復は限界がある。なので自然発生的に紛争を調停する私的な集団(保護協会)がいくつも形成される。その中から紛争解決が上手な保護協会に人気が集まって支配的な存在になる。ただ、無政府(治安が悪い)状態であることに変わりなく、自分の生命・財産がいつ侵害されるか不安。そこで、全ての人々の私的な権利行使をすべて禁止するかわりに、国家に警察・国防(最低限の役割だけ)を独占させ、無料で人々の権利を守らせた。ロバート・ノーズィックNozick『アナーキー・国家・ユートピア』1974

    身体障がいにより十分な収入を得られないなど、不平等の中でも本人の選択によらないものは公的に救済すべき。一方、自分で選んだ商売を、自分で選んだやり方で営んで失敗して十分な収入を得られないなど、不平等の中でも本人の選択によるものは公的に救済しない。保険を購入してリスク対策すればよい。ロナルド・ドゥオーキンDworkin『平等とは何か』2000

    課税前の所得に所有権はない。私たちが所得を得ることができるのは警察が治安維持したり、公教育が施されたり、金融を安定させたり、政府が色々やってくれているから。私たちが得た所得の中には、政府がいなければ得られなった部分が含まれる。その部分を政府が税として回収しているだけだ。マーフィー&ネーゲル『税と正義』2002

著者プロフィール

ジョン・ロールズ (John Rawls)
1921-2002年。アメリカの倫理学者。元ハーヴァード大学教授。1950年プリンストン大学にて「倫理の知の諸根拠に関する研究」で博士号取得。コーネル大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)を経て、1962年ハーヴァード大学哲学部教授に就任、哲学科主任を経て、1991年より名誉教授。ほかの著書に『正義論』(改訂版、川本隆史・福間聡・神島裕子訳、紀伊國屋書店、2010年)、『万民の法』(中山竜一訳、岩波書店、2006年)、『公正としての正義 再説』(エリン・ケリー編、田中成明ほか訳、岩波現代文庫、2020年)、『ロールズ政治哲学史講義』(Ⅰ・Ⅱ、サミュエル・フリーマン編、齋藤純一ほか訳、2020年)などがある。

「2022年 『政治的リベラリズム 増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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