消費社会の神話と構造 新装版

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314011167

作品紹介・あらすじ

他人との差異を示すためのファッション、インテリア、自動車からメディア、教養、娯楽、余暇、美しさ・健康への強迫観念、セックス、疲労、暴力・非暴力まで――すべては消費される「記号」にすぎない。
1970年にいち早く「消費社会」という概念を提示し時代を拓いた名著に新たに「索引」と幻の原書初版からボードリヤール自身による写真2点を追加した決定版!

感想・レビュー・書評

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  • 内容は興味深いが、最強に読みにくい。
    これは訳文のせいなのか私の頭のせいなのか。

    序盤の 生産ー欲求ー消費 の関係などはなるほどと思って読めた(「消費があるから生産するのではなく、生産が消費を求めてる」のくだりなど)。
    本文でも言及があるが、マルクスを復習してから読むと理解しやすくなると思う。
    消費(という名の商品選択)が差異化を生むというのはもちろんわかるが、でもそれって別に現代の消費社会だけの特徴じゃなくないか?例えば平安時代だって十二単を着ることで位をかなり明確に差異化してた。
    ボードリヤールは、現代は「自由に選択」してるように見えて実は差異化のシステムに参加させられてる、それが特徴ですよと言いたいのかな。わからん。

    私は消費社会に結構疲れていて、どうしたら逃れられるか自分をそこから解き放てられるか、ヒントがほしいと思ってよんだのにその答えは全然得られた気がしない。
    読めば読むほど「自分の意思とは無関係にシステムがあるんだからしょうがない」と読めてしまうし、筆者も最後に「ある日突然氾濫と解体の過程が始まり…この白いミサをぶち壊すのを待つとしよう」とかバリ無責任なこと言ってて困る!

  • 消費行動がわかれば、いわゆる売れる仕掛けを考えられると思い購読したが期待と違っていた。現代の消費行動が本来必要なものでなく、他人との差異を示すためのものであり、ファッション、インテリア、自動車、教養、娯楽、余暇、健康、疲労、暴力など、全て消費することが目的となっていることを批判する書。確かに、ついつい無駄なものを買ったり、他人と比較したりすることはあるわけで、反省のきっかけとしてはよかった。

  • 「消費社会とそれに踊らされる人間を批判する」というようなありふれた批判ではない。ソシュールの記号論がベースになっており、それを元に、消費とはどういう意味を持つのかを整理した本である。

  • 特に面白かったのはメディアの目的はメディアを通して情報を得ることを当たり前にすることだみたいな話

  • 圧倒された。早く出会いたかったわ。
    まず記号論の現代性、というかSNS時代の今だからこそ加速しているこの感覚を、70年代の時点で敏感に察知し、それを論理的かつ多方面から分析するボードリヤールの視野の広さと先見性にはやられた。
    ポップアート、エロス、広告、パノプリ、面白すぎる読み解きを十分に堪能できる。
    女性の解放という文化的進歩が通らざるを得なかった「物神化」には納得。現在はさらにそこから進歩してるとは思うけど。
    広告やSNSが「悪意」を持ってないという、これこそ最も恐ろしいシステムの透明さ。

  • 佐藤のメディア論の名著30に入っていた本である。最後の章の映画で、大学生が金持ちになる代わりに分身を与えるという契約を悪魔とかわし、分身が勝手に行動するという話や影の男の話が寓話として面白かった。しかし、他の箇所は具体的な説明がほとんどないのでわかりにくい。
     学生に薦められるかどうか不明。

  •  この本は私にとっては有益だった。現代人は常に不安に苛まれているが、このような不安の大半が消費社会に由来していることを認識するのは重要なことだと思う。不安を感じた時、「これは誰もがxxxをしないといけないと強制する消費社会の呪いなのだ。」と思い込むことで不安を封じ込めるのか、それとも消費社会の掟に従って消費社会の負のスパイラルにのめりこむのかは読者次第だろう。

     消費社会を支配するのは「雰囲気」である。雰囲気はコミュニケーションを通して形成されるがコミュニケーションは消費行動を通じて行われる。「雰囲気」が支配する社会なのだから、個人の主体性も社会の主体性ももはや意味をなさなくなる。動機なき犯罪も社会の無目的性の裏返し。こんな時代にもてはやされる人材はといえば当然コミュニケーションの達者な者達になるわけで、内向的な人間をどう勇気づけてもどうにもならないという身もふたもない結論に達してしまった。

     私としてはこんな時代で幸せにやっていくためには「象徴性」を自分の中に取り戻すこと以外にないと思っているが、消費社会そのものが象徴性をやっきになって否定しているわけだから困難な時代だと思った。

  • 表現が難解…

    消費はモノの機能的消費や所持ではなくなった,それは他者との差異を確立する記号・言語活動的なものになった.つまり,社会は消費を通じたマウンティング社会になってしまった.
    人々は自分の意志で行動していると思いながら,企業,広告,消費する他者などを通じて消費に振り回されている.互いに振り回し合っている.

    ==============

     ”計量可能であるという意味だけでタバコの売上は成長にカウントされ,学術研究や文化活動はそこに考慮されない.”


    ”消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが,この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない”

    消費文明が持つ人間疎外的性格

    もの=記号 記号に振り回される人々と社会を論じる=大衆社会論
    社会現象の分析道具としてのソシュールの記号論+マルクスの価値形態論

    消費社会で商品化されたあらゆるもの・サービスは
    消費者相互間の微妙な差異を表示する言語記号

    集団的消費社会:貴族集団と同じものを消費し続けないと誰もが不安になる社会

    消費という言語→コミュニケーション手段

    P11
    モノはもはやはっきり規定された機能や欲求には全く結びついていない.
    電気洗濯機は道具として用いられるとともに,幸福や権威などの要素としての役割を演じている,

    P14
    人は他社ではなく物(財)に対してメッセージの受け取りと交換
    ”「環境」とか「雰囲気」とかいう概念がこれほど流行するようになったのは,実を言えばわれわれが他人の近くに生きるよりもむしろ従順で幻惑的なモノの無言の視線のもとで生きるようになってからである”

    大量性産・消費礼賛が公害を産む。公害を和らげる活動自体にも消費が発生しGDPの糧になる
    →消費社会がもたらしたマイナスをゼロにする活動も、全てが"経済成長"、"生活水準の向上"と解釈される。(アルコール、軍事費、麻薬、見せびらかし的支出)

    計量可能であるという意味だけでタバコの売上は成長にカウントされ,学術研究や文化活動はそこに考慮されない.

    個人主義的諸原則の上に成り立つ、幸福というイデオロギー

    大量の金を使うことによるマウンティングから金の使い方 (センス)によるマウンティングへ。量から差へ。金銭から教養 (の見せびらかし)へ。
    →金以外の資源にも当てはまる?


    権利という皮肉
    →みんなのもの・誰のものでもなかった財が一部の人の特権になり持たざる者が現れているということ。自然、綺麗な空気、水、静かな空間という財
    共有財産だった「きれいな空気」は商品の地位へ移行し不平等に配分されるものに資本主義的に進歩.
    あらゆる具体的自然的価値は経済的利潤と社会特権の源泉へ変質


    使用価値、交換価値 社会的価値?(見せびらかし、マウンティング価値?)

    ある集団への所属や、今の集団を抜けより地位の高い集団への所属、自分と他者を区別するための記号としての消費。


    "消費は一つの社会的労働"
    消費に関して慎ましい行動や態度を取ることも、一つの差異化の現れ、"メタ消費"

    成り上がりの人間との境界を築きアイデンティティを保つべく、ブルジョワは控えめな消費をするという戦略をとる

    消費はもはやモノの機能的な使用や所有ではない
    消費はもはや個人や集団の単なる権威づけの機能ではない
    消費はコミュニケーションと交換のシステムとして、絶えず発せられ、受け取られ再生させる記号のコードとして、つまり言語活動として定義される

    余暇が何とかして取り戻そうとしている時間の心を使用価値、それは浪費されることに他ならない。

    余暇の根本的な意味は労働時間との差異を示せという強制
    だから余暇は自律的にではなく、労働時間の不在によって規定される

  • 消費社会の批判のようにも読み取ることができるが、現代としてはそのまま消費社会よくない!と受け取るのではなく「そういうものということを認識して行動してね」というところだろうか。
    消費には虚しい側面もあることは事実だが、だからといって一個人が生きるためにすべて不要なものではない。しっかりと判断していくことが大切である…と個人的には受け取った。

  • 指摘のとおり、ひとは消費から逃れられない。同様に共通のモードを下敷きにした、闘争関係、親和関係から離れられない。だけど、共通のモードを持てない故に、そもそも闘争や親和が成り立たないという悩みを持つのが今世。所有の価値自体も廃れてきた。この本からすると、まるで理想社会だ。

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著者プロフィール

【著者】ジャン・ボードリヤール :  1929年生まれ。元パリ大学教授(社会学)。マルクスの経済理論の批判的乗り越えを企て、ソシュールの記号論、フロイトの精神分析、モースの文化人類学などを大胆に導入、現代消費社会を読み解く独自の視点を提示して世界的注目を浴びた。その後オリジナルとコピーの対立を逆転させるシミュレーションと現実のデータ化・メディア化によるハイパーリアルの時代の社会文化論を大胆に提案、9・11以降は他者性の側から根源的な社会批判を展開した。写真家としても著名。2007年没。著書に『物の体系』『記号の経済学批判』『シミュラークルとシミュレーション』(以上、法政大学出版局)、『象徴交換と死』(ちくま学芸文庫)、『透きとおった悪』『湾岸戦争は起こらなかった』『不可能な交換』(以上、紀伊國屋書店)、『パワー・インフェルノ』『暴力とグローバリゼーション』『芸術の陰謀』(以上、NTT出版)、ほか多数。

「2015年 『消費社会の神話と構造 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジャン・ボードリヤールの作品

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