新装版文芸まんがシリーズ 武者小路実篤:友情 (文芸まんがシリーズ 新装版 11)

  • ぎょうせい
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784324090190

感想・レビュー・書評

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  • マンガだから、頭に内容が入ってきた気がする。
    これは小説で読むには挫折してしまう気がする。

    大昔の恋愛小説と言った感じ。
    一人の女性(杉子)を好きになるのだが、その女性は友人(大宮)を。
    友人は、主人公(野島)に好きな人がいると打ち明けられるも
    その女性は、何となくに気になってた人。
    寂しい三角関係。

    大宮は杉子が自分をすいてくれてる事に気づくが友情を取るために杉子へキツくあたる。
    杉子を忘れるために欧州へ…

    野島は杉子へプロポーズ
    しかし、振られ

    杉子は大宮へ手紙を。
    大宮は自分の気持ちに正直になり杉子の気持ちに応える。

    その結末を大宮は野島に告げる。
    杉子は、野島と一緒になるつもりは全くないと。

    野島の失恋話し

  • 以前、小説で読んだ時には内容があまり頭に入ってこず、卓球のシーンばかりがやけに印象的だったが、漫画だからか、それとも自身の経験値が増えたのか、共感しかない内容だった。野島にも、大宮にも、杉子にも感情移入できた。切ない。

  • 大昔の恋愛小説だが、全く古さを感じなかった。恋の苦悩や喜びは、いつの時代も同じだということを強く感じた。特に、恋する主人公が相手のことを語るときの喜びが伝わってきて幸せな気分になった。

  • 新潮文庫のものだったけど、絶版なのかなかったので、こちらに登録。
    いつの世も、恋愛、友情、将来についてもがき悩む時期はみな同じなんだと実感。大宮の最後に飾らず全てを告白するところが男らしさと真の友情を感じさせました。自分だったら…考えただけで怖い。

  • 野島は杉子の外見と雰囲気に惹かれたのに対し、大宮は外見もあるだろうが、手紙のやりとりをする中で、彼女の内面も知った上で、一緒になることを決めた。
    男が一度惚れてしまえば、誰だろうと冷静さを失い、我を忘れそうになる。友情というより恋をした男の葛藤とか不安に共感した。

  • 19歳で初読、そして10年近く経ってから再読。
    とても面白かった。

    恋した相手にフラれ、相手は自分の友人とカップルになる。 シナリオは夏目漱石の こころ に酷似していて、そちらと比べてしまう。
    後者では親友は死んでしまうが、この話は誰も死なない。
    むしろ、芸術の舞台で戦おう、と猛々しく熱意に燃えているのだ。
    なんて清々しい、熱いハートに溢れている青春なんだろうと。

    この大宮という友人は、主人公を絶妙に助太刀する。他人からバカにされめんぼくを潰されそうになるとき、彼はサラッと庇うのである。自然に。言動が自然で爽やか。
    だからこそ、杉子は彼を選んだのだろう。

    失恋しそうな主人公に、 「君の幸福を祈る」と声をかけ、いざ杉子が自らに恋の矢を放ってきたとなると、繊細で素直な言葉を紡ぎ合わせて自らを肯定する。
    君(主人公)との関係を思うと、杉子と恋愛関係になるのは良くない。と思ったが、心に嘘は受けない。と。 あっぱれな弁解(という負け惜しみのような言い方にしておく)

    P27の 文章が大変胸に響いた。

    「ともかく恋は馬鹿にしないがいい。人間に恋という特別なものが与えられている以上それを馬鹿猿する権利は我々にはない。それはどうしてもダメな時は仕方がない。しかしダメになるところまでは進むべきだ。恋があって相手の運命が気になり、相手の運命を自分の運命と結びつけたくなるのだ。それでこそ家庭というものが自然になるのだ。恋をバカにするから結婚が卑しくなり男女の関係が歪になる。本当の恋というものを知らない人が多いので、純金を知らないものがメッキを捕まえるのだ」


    その通り。
    なーんで好きな人ができると、ああこの人と自分は出会う運命だったのかな!?なんて考えてしまうんだろう。

  • まんがシリーズは理解するのに大変役立つ。小説では読んだら挫折したはずだが、恋に落ちた青年の心の葛藤のストーリーは真に迫っていた。読んで良かった。

  • タイトルが「友情」ということで友情について考えてみようと思いまして、勉強をする、部活をする、仕事をする、遊ぶ等これまですごした様々な友人との時間のなかで私が友情を感じるのはどんな時だろうかと自問するとこれがなかなか難しい。友人の中には共通の目的を持っている人間もいれば、全く別の目的を持った人間もいます。教育的背景が近い人間も居れば、そうでない人間も、物事の考え方が似ている人間も居れば、似ていない人間もいます。
    (本の感想の前に話が逸れてしまうのですが)そのような中で、私が最も心動かされる瞬間は、なかなか会えない友人との旅行の帰り道かなと思うのです。
    楽しかった時間が終わり、「またね」と言って手を振る。
    一人で帰り道を歩く。
    一気に現実の世界に帰る。
    友人も、今の友人が住んでいる世界に帰る。帰るけれどもしばらくはふとした瞬間に「今頃友人も仕事かな」と思い出す。
    やがて思い出さなくなって仕事や勉強を頑張る。
    また遊ぶ。
    こうした淋しさと自分を奮い立たせる気持ちが自分の心の中に共存している時に「友情」というものを感じるのです。まぁつまり「離れていてもまた会えるし、あなたが頑張っているから私も頑張ろう」という気持ちですね。
    このような意味で考えると、野島と大宮を繋いでいるものが「杉子を奪われた・奪った」という関係で結びついていたとしても相手の存在によって自分が頑張れる、(それはつまり野島は大宮を理由にこれまで以上に仕事に力を入れる、大宮もおそらくは物語最後の野島の手紙を受け取れば彼の気持ちに応えようと仕事に力を入れる)ということははたから見たら友情が壊れてしまったように見えますが、当人たちからすればこれもまた別の形の「友情」ではないでしょうか。
    強敵と書いて友と読むのです。

  • 熱い。ひたすら青臭い。すごく良かった

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著者プロフィール

東京・麹町生れ。子爵家の末子。1910(明治43)年、志賀直哉らと「白樺」を創刊、「文壇の天窓」を開け放ったと称された。1918(大正7)年、宮崎県で「新しき村」のユートピア運動を実践、『幸福者』『友情』『人間万歳』等を著す。昭和初期には『井原西鶴』はじめ伝記を多作、欧米歴遊を機に美術論を執筆、自らも画を描きはじめる。戦後、一時公職追放となるが、『真理先生』で復帰後は、悠々たる脱俗の境地を貫いた。1951(昭和26)年、文化勲章受章。

「2023年 『馬鹿一』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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