- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326153886
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4編の論文を収録しています。
「原始キリスト教徒アフリカ」「ウィリヤム」の2編では、アフリカにおけるキリスト教受容と、ローマ帝国におけるキリスト教の国教化を重ねあわせつつ、帝国主義イデオロギーが支配する側と支配される側の双方をがんじがらめにしていることが鋭く掘り下げられていきます。「ウェーバーと現代」は、大塚久雄と内田芳明の議論を取り上げ、ウェーバーの問題をみずからの問題として引き受けなおすことを怠っていることを批判しています。最後の「『マチウ書試論』論」は、タイトルの通り吉本隆明の『マチウ書試論』をとりあげ、吉本の格闘した「関係の絶対性」と「観念の絶対性」という問題を、まさに観念的な仕方で解釈してしまう批評家たちを批判しています。
いずれの論考も、実証的な緻密さと、学問上の問題をみずからの問題として状況のなかで引き受けなおす著者の真摯な態度が緊密に結びついており、緊迫した議論が展開されています。
ただ、一つ気になったのは、現代のアフリカにおける帝国主義を批判する著者の語り口が、国際常識を知らない日本人を教え諭そうとするイザヤ・ベンダサンこと山本七平のそれに似てしまうのは、いったいどういうことなのか、ということです。むろん著者と山本ではイデオロギー上の立場は正反対ですし、何より教養の深さにおいて天と地ほどの開きがあるのですが、それにもかかわらず、まさにイデオロギー的に議論を展開するという点において、両者の間に共通するものがあるといえないでしょうか。そして、こうした問題を誰よりも鋭く考察していたのが吉本隆明だったのではないかと考えます。たとえば吉本・埴谷論争において決定的だったのは、埴谷がわざわざ東南アジアにまで赴かなければ搾取されている賃労働者を見いだすことができなかったという事実でした。おそらく吉本であれば、キリスト教がアフリカにおいて帝国主義の先兵の役割を果たしていることを批判するよりも、キリスト教に帰依するアフリカの人々の「大衆の原像を繰り込む」ことへと向かったのではないかという気がするのですが。