自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究

著者 :
  • 勁草書房
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感想 : 23
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326653720

作品紹介・あらすじ

「本当の私」を知りたい、自分を変えたい、高めたい…なぜ多くの人が自己啓発書を買い求めるのか?根底にある心性を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • 驚くほど大量の自己啓発本を渉猟し、分析した労作。
    「自分探し」「自分らしさ」などという言葉に欺瞞を感じる私のような人間には、腑に落ちる箇所がたくさんあった。
    とは言え、自己啓発プロジェクトに努力するひとを決して否定する内容ではない。
    自己啓発のその先を見据えた、牧野さんの初の著書は博士論文の書籍化だ。

    文章はきわめて読みやすく、データが図版化されて理解を助ける。
    自己啓発本はどのような歴史を経て、どのように社会に浸透したか。
    また、ひとは何故自己啓発本を読むのかを考察する。
    「自分探し」「自分らしさ」などは、古代人だったらおよそ考えもしないことだろう。
    江戸の職人も武家の娘も考えはしない。たぶん。
    おそらくは現代文化が生み出したものだろうと予想はつく。

    本書では主に1945年から2010年までの自己啓発本のベストセラー104冊と、女性誌のan•an、人気のビジネス誌から機能を解いていく。
    「人生論」のタイプから「脳内革命」への流れはかなり興味深い。
    なりたい自分になるために、自分が本当にやりたいことをやる。
    それを自分の内面から発見して自分を習慣づける。
    私たちの生きている時代は、かつてないほど「自己への配慮」に専心していると分析する。

    「就職用自己分析マニュアル」がバブル崩壊後に慣例化してくるのも見逃せない。
    「やりたいことを見つける」ために、過去・現在・未来から自分の内面を分析し明確化することが就職に有利とされたというのだ。
    就職に向けての付け焼刃という感は否めないが、「自己をめぐる問い」は、社会問題を処理する形式のひとつだったのではないかという納得の指摘だ。

    an•anやビジネス誌では様々に変化して自己啓発を語ってきているが、基本的な「男らしさ」「女らしさ」を自己テクノロジーに埋め込んでいるのは変わりない。
    つまり、メディアから提供される問題解決は、まさに問題の再生産になる可能性を秘めている。
    自己啓発とは、自分自身だけを塗り替えて済むようなテクノロジーではないからだ。

    正解のある生き方を消失した後期近代になって誕生した自己啓発というカテゴリー。
    自分とは何かという「問い」にすぐ答えを出して行動するばかりでなく、「問い」が生まれる社会構成に目を向けるのも、ひとつのアプローチではないかと著者は終章でまとめている。

    社会的要因の影響で生まれた自己啓発だが、背景には自己を定義づける基盤が瓦解したことによる不安があるかと。
    次々に自己啓発メディアを購入して束の間の安心を得る。
    しかし決定的な処方箋とはなりえない。
    焦りや不安が生じたら、圧力を感じている要因は何かとしばし立ち止まって考えるとことをお勧めする。
    自己啓発の対抗言説が欲しいところだ。
    自己啓発本を読まない私には、未読本の多さにたじろぐものがあったが、読み応えの深さにおおいに満足した。
    確かな解はないが、他に類例のない力作。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      夜型さん
      「少年易老学難成」
      きっと急がされる理由があるのでしょう。ご本人が望んでいなくても、、、
      その所為か、手段と目的が逆転してし...
      夜型さん
      「少年易老学難成」
      きっと急がされる理由があるのでしょう。ご本人が望んでいなくても、、、
      その所為か、手段と目的が逆転してしまっている方がいらっしゃいますよね。
      2021/03/16
    • nejidonさん
      夜型さん♪
      猫丸さん♪
      おふたりの言われること、どちらも「わかりみ」です。
      さる教育機関で働いていた時、研修のたびに課題図書があり、読...
      夜型さん♪
      猫丸さん♪
      おふたりの言われること、どちらも「わかりみ」です。
      さる教育機関で働いていた時、研修のたびに課題図書があり、読書週間のないひとは本当に辛そうでした。
      「僕は本は読みません」と堂々と宣う人が人前で教える立場なのです(+_+)
      大人はもうだめだから、子どもからですね。
      読書が身に付くように、大人がしなければならないことは山のようにあります。
      そこもまた足並みがそろわないのですが、そんなことを言っている時間もないようです。
      私も、本は繰り返し読み、咀嚼し、考える。そういった本が好きですし、分からなかったことが分かったときの喜びは大切にしていきたいです。
      2021/03/16
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      nejidonさん
      子どもが疑問に感じるコトがあれば、前を照らしてあげ。発見をしたら感嘆符を送ってあげられる大人でありたい、、!
      nejidonさん
      子どもが疑問に感じるコトがあれば、前を照らしてあげ。発見をしたら感嘆符を送ってあげられる大人でありたい、、!
      2021/03/16
  • 向上心つよつよ人間なので 
    (向上心は不安症だからかな。不安から逃げたいからかも)
    去年のゼミで、
    「なぜ現代では自己啓発がこんなにも受容されうるのか?」
    自己啓発の内部にいる人間として、客観的に社会を分析することはとても難しかった。

    だからこそ、本当の意味で初めて批判的に見ることが、否定的に見ることではないことを学んだ。そんな経験をくれた本!

    そして、やっぱり人から社会を見るってとても難しいけれど、、出来たらかっこいい。

    社会学の、当たり前を疑うってことの本質は、

    当たり前を疑うことで、そこからはみ出ている人やものが見えてくる。

    でもその人たちだって社会を構成するだいじな要因じゃないか!って。
    生きている全員で作るのが社会だよって。私は感じる。

    社会学は、自分が見えてるものが、いつまで経っても全部にはなりえないことを教えてくれる。

    でもその事実を知ってる人と知らない人なら、
    絶対知っている人の方が、
    人に優しくできる本当に強い人だと思う。

    そして今の私は、社会学の役目に対して一つそのような解釈をしている。

    社会学の価値観、、好きなんだよな。

    あと!!お世話になってる院生の先輩が、修士論文でこれに対して、牧野さんが気づけていない観点でバチーンってハマる説をだすのだが

  • 閉じた世界の論理を記述したい / 『日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ』著者、牧野智和氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-
    https://synodos.jp/newbook/14820

    「日常に侵入する自己啓発」書評 片づけも儀式、流行が社会を映す|好書好日
    https://book.asahi.com/article/11597469

    自己啓発の時代 - 株式会社 勁草書房
    https://www.keisoshobo.co.jp/book/b99589.html

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      コロナ禍で人気広がる自己啓発本、100万部突破も - 産経ニュース(2021.2.15)
      https://www.sankei.com/l...
      コロナ禍で人気広がる自己啓発本、100万部突破も - 産経ニュース(2021.2.15)
      https://www.sankei.com/life/news/210215/lif2102150003-n1.html
      2021/03/18
  •  春山らの著作は、潜在意識や未開発の右脳といった一見「不可視の」「不可触の」対象を論じながらも、それらに具体的に働きかけ変革していく、ポジティブ思考やイメージトレーニングといった実践的技法(倫理的作業)を提示した点に、それ以前の自己啓発書ベストセラーにはない特性があると筆者は考えている。すなわち、これまでは心がまえの体得や「心の充実」のように抽象的にしか論じられなかった人間の内面を技術的に具現化し、またそれが多くの読者を獲得した点にこれらの著作の意義があると考えるのである。ポジティブ思考等はこれらの著作に始まるものではない。しかしこれらのベストセラーは、人間の内面を技術的に処理しうるものとみなす感覚を拡散させていく社会的機能を果たしたという点で重要な著作だと考えられるのである。(p.59)

     自己への微細なまなざしそのものが新規大卒採用市場の状況認識や採用プロセスと結びつくその契機にこそ、社会問題を個人化する最もミクロな駆動員があるということ、また今日における「統治」の実践――すなわち行為者個々人による自動的な調整を促し、またその責任を個々人に引き受けさせるような社会問題の処理形式――が駆動する可能性があるということを私たちは認識しなければならないのである。(p.130)

     文化とは、あらゆる社会的闘争目標(賭金)がそうであるように、人がゲーム(賭け)に参加してそのゲームに夢中になることを前提とし、かつそうなるように強いる闘争目標の一つである。そして競走、競合、競争といったものは文化に対する関心なしではありえないが、こうした関心はまたそれが生み出す競走や競争それ自体によって生み出されるのだ。(Bourdieu 1979)(p.256)

     今日の社会において、人生のさまざまな問題を自己をめぐる問いへと絡め取ろうとするトラップ(ゲームへの誘い)が多く張り巡らされ、そこに知らず知らずのうちに、あるいは強制的に巻き込まれている人々がもしいるのであれば、そこに逃走線や抵抗線を、トラップを撹乱するような「トラブル」を起こすための資源を準備しておくこともまた意味のあることだと考えるのである。(p.258)

  • ああそうか、私の受容の仕方って、割とメジャーな一部取り入れに当てはまるんだが、ともかく数を欲しがるのは自己確認なんだな、とか、読みながら楽しかった。日常に侵入する自己啓発よりも後に読んだのだが、こちらが先だと入りにくかったかもしれない。この順番でよかった気がする。

  • 本研究は、巷に溢れる「自己啓発」という概念を、今一度社会学の枠組みで丹念に捉えなおした力作とえる。「自己啓発」という語は用いられる文脈により意味が多様に変化する多義語でもある。そうした中で著者は、一定の範囲の中でいわば新たな概念創出を試み、単行本や雑誌記事を分析対象とし、主にグラウンデッド・セオリーの手法を用いて分析・考察している。

    個人的には、目下、大学職員論における自己啓発に在り様に関心があった。しかし著者は冒頭で、男女を問わず、就職・転職活動、ビジネス、各種ライフイベント、広義の人生論で、自己啓発に係る言説が繰り広げられていることを示している。自己啓発という単語は想像以上に汎用的だった。こうした漠とした自己啓発の「世界観」ないし「教理」に対して、冷徹に分析したのが本書でもある。

    各媒体ごとに「自己啓発」を語る話者を集計・分類するだけでも大きな仕事であり、そこで扱われている内容を抽象化し類型化することは、筆者が大学院に在学して時間を費やさなければできなかったことと確信する。

    分析からは、様々な媒体は、「○○力」という多様な能力指標を例示しながらも、つまるところ「「自己の自己との関係」の調整自体を自己目的化し、追求に値するもの」(p.238)として、読者に認識させていることを実証した。そして、著者は「自己の再帰的プロジェクト」(p.253)という新しい概念を提起した。

    分野を問わず、自己啓発の活動には終わりがなく、ある程度の進捗状況で自己評価の上、自分自身が「自己の体制」を補強していくことを繰り返すことが常例であることがわかった。終わりのない自己啓発に明日からも取り組むとしよう。

    なお、この本の元になった博士論文は以下から閲覧することができる。審査の講評における指摘は特に重要だと思う。
    http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/37663

  • 売れ続ける自己啓発、というジャンルについて、その構造、特性について研究した一冊。
    特に90年代〜00年代にかけて顕著になる「自己は知識・技法による構築が可能である」という前提に基づいた自己啓発メディアは受け手自身との親和性、その消費性もあいまって拡大を続けてきた。
    自己啓発メディアは、それぞれの文脈における諸前提(そもそも就活市場の在り方はこれでよいのか?など)を根本的には問い直さず、いわば対処療法的な手法によることで再生産させる。しかし自己啓発の権威となるものは意外と流動的で、そこには鈴木謙介の言うような断定的消費に支えられている構造が見て取れる。さらに自己啓発そのものも、終着点を示すこと、提供することができず、ひたすら再帰し続ける(ゆえに消費し続けられる)プロジェクトになっていると指摘する。
    決して自己啓発を否定するものではないという前提と、自己啓発の姿を一歩引いて考えることによって前提となる問いに目を向けさせようという問いかけは、自らも自己啓発にハマった風である著者の意図の絶妙なバランスによるものかも。

  • 「自己をめぐる問いに、はっきりとした答えをすぐ出し、行動に移すことばかりがつねに『正しい』あるいは『善い』わけではないだろう。『自己とは何か、どうあるべきか、そのために何をすべきか』そのものではなく、『自己とは何か、どうあるべきか、そのために何をすべきか』を自然と考えさせられてしまうような社会の構成に目を向けることも、正しいかどうか、善いかどうかは全く定かではないが、自己という対象に向き合う一つのアプローチとしてありえるはずなのだ、そう筆者は考えるのである。」(258)


    自己という対象の本質やあるべき姿ではなく、自己へのまなざしが社会に流通する、自己をめぐる知識・技法によって構築されるという観点から、本著は書かれている。主導する問いは、自己啓発メディアにおける「自己と自己との関係」がいかなるものであるのか、すなわちそこにおいて示されている「自己の可能かつ望ましいあり方(=自己の体制)」はどのようなものか、というものである。そのもとで、自己啓発書ベストセラー(第二章)、大学生向け就職用自己分析マニュアル(第三章)、『an・an』(第四章)、男性向けビジネス誌(第五章)が検討に付される。


    自己啓発メディアはいわゆる後期近代の「自己の再帰的プロジェクト」を無限に駆動させるものではなく、その「打ち止まり点」をも示している、という指摘が、自分としては非常に興味深かった。自己分析マニュアルでは労働への順応、女性誌では「女らしさ」や恋愛至上主義、ビジネス誌や仕事術本では「仕事をアイデンティティとする男らしさ」が、自己のモニタリングを読み手に促す際の、常に揺らぐことのない基底的参照項となっているのである。


    言説研究においてよい文献になりうるだけでなく、働いている方にもおすすめできる。自己啓発以外のゲームを作動させるもよし、「自分をモニタリングしなければいけない」そう仕向けてくる社会の戦略にあえて乗っかり、またモニタリング仕返してみるのもよし。そうしたステップのための「水路図」(261f)を、謙虚に指し示してくれる好著。

  • 十数年前には決して自明ではなかった、自己をめぐる濃密な意味の網の目への囚われが、今を生きる私たちにとっての望ましいあり方となった。そのために利用する様々なテクノロジーが、その体制をさらに強め自明化している。

    だれもが自己啓発する社会においては、その理論やテクニックを提供するということが、大きなビジネスになっているわけで、それは社会の余裕なのか必然なのか。

  • 世の中に溢れる「自己啓発」的な文章群を横割りに分析しているという、これまでにない研究資料だと思います。ベストセラーからの自己啓発書、就職活動における自己分析手法、女性誌『anan』の自己啓発特集の分析の3つの分析を手掛かりに、各分野で「自己分析」と言うテーマが1970年代以降、「自己の所在定着」⇒「自己改造の手法定着」と変遷していくことを明らかにします。つまり、嘗ては人々が各目的に向かう過程に"自己"を意識していなかったのに、バブル期あたりから、だんだんとそこには"自己"が関わっているという認識が芽生えます。バブル崩壊後あたりから、さらにその"自己"を自分自身でコントロールする方法の所在について語られるようになり、また世間もその認識に疑いを持たないようになって行くのです。これが現代我々が書店で、ウェブで散見する「自己啓発」なのでしょう。更に、その内容について、ギデンズの「脱埋め込み」としての後期近代における「再帰的プロジェクト」と対比し、要はどれも自己の発見とストーリーの連続性について気づきを与える活動だ、と、そこまで平たくは言わないまでも、自己啓発の手法が平準化し、再生産される様子を観察し、「自己の固有性を」「標準化された手法で理解する」矛盾を指摘しています。

    私も自己啓発的な言説が次々現れることに時代の形を追いかけていたため、本書は極めて重要な知見の宝庫でした。あとがきにあるように、筆者の博士論文だそうです。そのため、恐らく同じ研究室か、近い同期の論文参照があって、ちょっと微笑ましい(私も最近社会科学系で修論書いたため、様子がなんだか想像できます)。その所為か、定性データの指標化については、少し乱暴なデータ分析もあるように思ったりもするのですが
    (例えば、すべてのメディアの記載内容を倫理的素材、様式、理論的作業、目的論で指標化して定性分析しているですが、筆者のセンスで内容を解釈しているように見えるなど)、これらの膨大な文書データ(1970年代以降すべての自己啓発的書面が対象です!)に目を通したことは間違いなく、その整理群だけでも迫力があります。

    筆者は、この論文を書く以前、そもそも自己啓発書をたくさんたくさん読んだのでしょう。それらが結局は、ギデンズの言う後期近代在り様、すなわち、コミュニティの所在が失われ、人びとから守るべき規律や、ロールモデルを曖昧にし、個人のよって立つものを個人によって成立させねばならないと言う言説に基づく(だけの)ことだ、と。そして、やはりギデンズが言うように、その手法(様式)は、その人のストーリーの連続性であり、その担保は心理学者やカウンセラーである、と。そうシニカルに語りたいんだけど、それじゃ研究の意義がないとか批判されて、「自己啓発」を主語にした社会的構造分析と言う論文にしたのかなーなどと

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著者プロフィール

牧野 智和(まきの ともかず) 1980年、東京都生まれ。2009年、早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(教育学)。現在:大妻女子大学人間関係学部准教授。主著:『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探究』(勁草書房、2012)、『日常に侵入する自己啓発――生き方・手帳術・片づけ』(勁草書房、2015)、『ファシリテーションとは何か――コミュニケーション幻想を超えて』(共編著、ナカニシヤ出版、2021)。

「2022年 『創造性をデザインする 建築空間の社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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