- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334034269
感想・レビュー・書評
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いまや日本サッカー協会の会長にまで上り詰めた
田嶋氏によるサッカー育成論。
トップにまで上り詰めてしまっただけあって、
何かと、ダーティーな印象を持ちがちですが、
田嶋氏も下積み時代には、日本のサッカーを強くするために、
色々な取り組みをしていたことが分かります。
当時としては、ドイツにまで行って
育成を学んだ人は珍しかったのでしょう。
言語化能力が低いという問題意識は、理解できるし、
その向上のために育成年代から
色々と施策を打ってきたこと自体は素晴らしいと思います。
が、それだけじゃないだろう、とも突っ込みたくなる。
少し古い本なので、まず最初に打つ手はここだ、
ってことかもしれませんが。
逆に興味深かったことは、
日本のサッカーの強みを見出すために、
日本の文化的な側面に着目し、
トレーニングの中に日本の文化理解の様子を
入れているところ。
確かにヨーロッパの強豪は、
時刻の文化に根差したサッカーのプレーモデルが存在し、
日本も他国の猿真似ではなく、
日本独自のプレーモデルを見出したいところではあります。
(って、サッカーど素人の自分が偉そうに言うてますが。)
この辺りは、日本は歴史が足りないとか言われたりもしますが、
そもそも文化に根差した自国独自の…と言っている時点で、
ヨーロッパの猿真似だったりするので、難しいところですね。
難しい問題なので、答えが見つかった訳ではないですが、
日本の過去のサッカー育成の経緯を知れたという意味では有意義でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何が書かれているのだろうという好奇心から、田嶋幸三著『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(集英社新書)を読みました。著者はかつての日本代表プレーヤーで、現在はJFA(日本サッカー協会)専務理事、JFAアカデミー福島(中高一環のサッカー選手養成学校)スクールマスターです。
サッカーでは正確な判断から正しい動きが生まれる、判断ができないとサッカーはうまくならない、日本人は判断が苦手である、判断力の基礎は言語と論理である、ゆえに日本サッカーを強化するには言語と論理の教育から始めなくてはならない……というのが著者の切実な問題意識であり、本書のテーマです。
本書で「言語技術」という言葉には、自分で考えてプレーする能力、プレー中に自分の考えを味方に伝える能力、指導者が選手指導やチーム統率のために的確なコミュニケーションを取る能力といった幅広い意味が含まれています。なぜ今のプレーを選択したのかを説明できること。そこにパスを出すことを味方に瞬間的に伝えられること。この方法がいちばんいいのだと根拠をもって選手たちを納得させること。ピッチ上でもピッチ外でも、瞬時にも長期的にも、言語技術はなくてはならない、というのが著者の考えです。
言語技術強化の取り組みの現状として、本書では、著者が創設したJFAアカデミー福島で行なわれているロジカルコミュニケーションの授業内容や、JAFがS級ライセンス(5段階あるJFA公認指導者資格の最高位で、プロチームおよびプロ選手を指導できる)の講習で行なわれているディベートのカリキュラムなどが、相当な紙幅を割いて紹介されています。
これを読んでなるほどと思っても、そこから自分のチームを強化していこうとする指導者は少ないでしょう。そんな国語の授業のようなことをやっている暇があったら、明日の試合のためにドリブルやシュートの練習をさせようと思うのが人情です。その意味で、著者の長期的視野に立った努力には頭が下がります。周囲の無理解に屈することなく、サッカー技術と人間性を養う理想の学校を創立することから始めたのですから。
JFAは、2050年までに、①サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが1000万人になる、②FIFAワールドカップを日本で主催し日本代表チームが優勝する、ことを約束として掲げています。この目標が実現するとき、日本サッカーの言語技術、ひいては日本のスポーツ文化が、どのような成熟を見せているのか楽しみです。
最後に、自分のテニスの参考にしたいと思った気づきをひとつ紹介します。
90年代に川渕三郎をはじめとする強化委員会は、最初に、つねにボールとゴールを見ることのできる良い身体の向きをつくること、正確に判断ができる視野を確保することの指導に取り組んだそうです。
欧米の選手たちを観察していると、ボールをもらう前に、事前に良い視野を確保しています。ボールが来たとしても、すでに自分がどのような状況にいるのか、という情報を収集し終わっていて、次の動作に入る準備ができています。だから、ボールが来たときにはどこへ蹴るのか、止めるか、クリアーするのか、も決まっているわけです。すなわち、ファーストタッチには、「論理」が働いていなければならない。(160ページ)
テニスはサッカーほど複雑な競技ではありませんが、それにしても私はあまりにも考えなさすぎなので(飛んで来た方向にただ打ち返している)、もう少し考えながらプレーしようと思いました。それには、相手の球を見てからどこに打ち返すかを考えるのではなく(時間が足りないのでとりあえず来た方向に打ち返している)、自分が打ち終わったら、相手の返球を予想して、それを次にどこへ打ち返すかを考えながら相手の球を待つ、ということでしょう。え、そんなこと誰でもやっている? 失礼しました。 -
サッカーは論理的なスポーツと言われる。論理的とはどういうことか。理屈があるということだ。パス一つにしてもそこにパスを出す理屈があり、考えがある。
欧米では幼いうちから論理的に考え、発言する力を養う。自分の考えと自分なりの理屈を言うことを子供に求める。だからこそ、日本のサッカーを強くするためには、言語技術を磨かなければならないと著者は主張する。
短期的にチームを強くするなら、もっと他のやり方もあっただろう。しかし、強い根を張れば大樹が育つ。水面下の氷山が大きいほど、水面上に現れる氷山の一角も大きい。日本サッカーを真摯に考えたとき、水面下の論理思考から養っていくのは本質論だ。その本質論に真正面から取り組んでいるのが素晴らしい。 -
確かに自分がやっていた頃も何も考えていなかったかな...
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「学ぶことをやめたら、教えることもやめなければならない。」
「指導者は選手の未来に触れている」とともいい言葉だ。 -
言語や話し方の観点から日本サッカーの向上について論じている。日本サッカーが強くなるためには子供のエリート教育が必要であり、しいては人としての成長が必須だと語っている。人としての身だしなみ、マナー、そして言語力。これらが充実することで真の日本のサッカーが生まれ、世界に通じる力を持つことができる。少年サッカーの指導法についても多く触れていて、指導者向けの本でもある
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「そのプレーの意図は?」と訊かれたとき、監督の目を見て答えを探ろうとする日本人。一方、世界の強国では子どもでさえ自分の考えを明確に説明し、クリエイティブなプレーをしている。日本サッカーに足りないのは自己決定力であり、その基盤となる論理力と言語力なのだ。
本書は公認指導者ライセンスやエリート養成機関・JFAアカデミー福島のカリキュラムで始まった「ディベート」「言語技術」といった画期的トレーニングの理論とメソッドを紹介しています。話しては田嶋幸三氏。現在は日本サッカー協会専務理事を務め、かつては元代表FW、その後ドイツに留学し、コーチライセンスを取得した人です。
本書では田嶋氏がドイツで経験したことを中心に書かれています。そしてドイツのサッカー少年と同年代の日本のサッカー少年の違いは何かということに彼は気づきます。その一つが日本人は自分の考えを言葉にする力がないということです。例えば練習中にプレーを止めて、監督が何故このプレーをしたのか?と選手に聞いても、選手は答えることができない。または監督の目をうかがい、答えを得ようとします。しかしドイツの少年であれば「あいつは足が速いからパスを出した」というし「ドリブルする為にパスを出さなかった」と言います。この差がかなり大きいらしいです。
他には自らの判断でプレーを決断する自己決定力や代表選手としての誇りなど色々日本は海外から引き離されていると改めて思いました。
またクラマーを始め、日本サッカーは多くの外国人に影響を受けてきました。その歴史があってこそ、今があると感じました。この本では様々な外国人監督への解釈も添えてあり、良かったです。特にトルシエは型にはめる、ジーコは個性を認めるというマスコミの報道に対する田嶋氏のプロとしての意見には納得できます。我々外の人間ももっと賢くならないといけないと思いました。 -
サッカーにおいて、やみくもにプレーするのでなく、何故そうしたのかを考え、そしてそれを言語という形にして伝えることが大切という主張を展開している。このような訓練が実を結べば、自分のプレーが整理できるだけでなく、プレーヤー同士の意思疎通がとれるようになり、監督の指示も理解できるようになるだろう。
著者の主張は、JFAアカデミーで実践されており、それについても多くページを割いている。ここから将来の日本を背負うプレーヤーが育つことを願う。