眠れぬ夜に読む本 (光文社文庫 え 1-4)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334722876

感想・レビュー・書評

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  • 可もなく不可もなくまさしく眠れぬ夜に読むエッセイ。高齢者的な印象を感じる発言がありますが、真っ直ぐ歳を重ねているような印象を受けました。いくつになっても、自分の気になるものを勉強しようと思える人は溌剌としているんですね。

  • 気楽に読めるものから、深く心に響くものまで、1人の夜にパラリと開くのにぴったりだ。
    著者の本を数冊読んで生い立ちを見てイメージしていた人物像とは全く違った。
    好奇心旺盛な人柄がよくあらわれていた。
    おすすめとしてあげられていた本も読んでみたいなぁと思う。

  • 『沈黙』を読んで次に何を読もうかと物色していた時にこの本に出会った。
    タイトルがいい。
    しかし、内容の時代感、遠藤周作自身の価値観が思いの外軽くていい。
    特に非合理的なものに惹かれるという話と準備をしなければ遊びにならないという話は好きな話だ。

  • これまた可もなく不可もなく、ただ現在なら炎上モノの内容多々ありのエッセイであります。ただエッセイって作家の本性を露わにするものとも言い切れないのかもしれませんなぁ。『沈黙』の作家だと言ってもピンと来ないですもの。

  • 作者があとがき風の「しめくくり」でふれていますが、人間の内側の分からない部分に興味を持った時期の作者が書いたエッセイであり、先に読んだ『鹿の王』のテーマの一つと奇しくも符合し何やら偶然ではなく、因果律のなせる技か。ユングの心理学にも少し興味を持ちました。
    書いた時代から時が経て陳腐した内容はあるものの、全体として楽しく読ませていただきました。

  • P.57 人間、やろうと思えばやれるのだ。絶望してはいけない。勇猛果敢に難事に挑まねばいけない。

  • 冒頭,考えられるところが多かった。説教臭い?と感じてしまうところもあったけど,それだけの人だからだなぁと思う。

  • 尾篭な話で恐縮ですが、トイレでちびちびと約1カ月掛けて読了。
    肩のこらない本。でも、色々考えさせられることもあって、まさに厠書にふさわしい本でした。

    どうもなんだか、今日は眠りたくない。
    なぜなのか良く分からないけど。
    そんな夜はきっと誰にもある。

    そして
    なんだか眠れない夜。というのも、きっと誰にもある。

    遠藤の、あちこちに書いたエッセイや随想をまとめた1冊。
    全体は「生と死について考える」「東京について考える」「自分と他人と動物について考える」「趣味と興味について考える」の4章で構成。


    冒頭、末期がん患者へのインタビューを重ねてきたキューブラー・ロスというアメリカの女医を紹介した遠藤は、彼女が末期がんの子供たちに向かってこんな声を掛けていると紹介する。

     (前略)
     癌に侵された子供たちに、
    「ぼくたち、どうなるの?」ときかれると、ロス博士は

    「あなたはサナギのカラをここに残して、あの世で蝶になるのよ」
                                      (後略)
     
                                      「読む 観る 食べる」

     幼くして、死に直面する魂が、この一言で救われたと信じたい。



     戦後の文壇のワンシーンを写しているのが「神田の裏通りで…」という一文。
     著書「スキャンダル」のサイン会後の話というから、これは1986年のこと。
     遠藤はそのサイン会の後に神田の古本屋街をぶらぶら歩き、40年前、大学生のころ入り浸ったある酒場のことを回想する。それは「ランボオ」という酒場だ。
     出入りしていたのは武田泰淳、梅崎春生、椎名麟蔵など第一次戦後派の作家たち。
     当時、遠藤は大学三年生で、まだ映画の世界に進みたいと考えていた時期だという。

     あこがれのまなざしで見た店内には椎名や埴谷雄がテーブルを囲んでいて、一人の男が窓際に風呂敷づつみをおいて寝そべっていたという。それが遠藤の愛読していた『蝮のすゑ』の作者の武田泰淳だったという。
     そんな作家たちの間を給仕してまわっていたのは後にたけだの妻になる百合子だった。

     店に通ううち、そうした作家と面識を持つようになった遠藤は、例えば武田には「一生、とりくんでも飽きぬような世界の大作家を勉強しなさい」と教えられたという。
     
     いやすごい顔ぶれだ。でも、そのほとんどは、今は忘れられた作家たち。というか遠藤周作ですら、既に忘れられた存在だと言っていい。時間というものは、本当に残酷だ。

     1986年には「ランボオ」は既に「M」という喫茶店になっている。この後の遠藤の描写は時間がたっていくことの寂しさや切なさをよく表現している。

    「扉を押してなかに入る。昔とおなじ広さ。インテリアは変わっているが窓の位置もそのままだ。二人の客が本を読み、雑誌を読んでいる。天井も壁もおそらくあの時のままではないだろうか。
     私は隅の席で珈琲をのみながら、四十年前のこの場所での光景を心に蘇らせた。あちこちで聞こえてくる文学論、笑い声、焼酎の瓶。
     ローマやロンドンに行くと、芸術家の集まり場所だったキャフェが、それを記念して書いたプレートを壁にはって市の名所になっている。しかし、日本ではそういう習慣はない。だからこのM…という店の人たちも、二人の客も、この空間のなかで日本の戦後文学が作られたことを知らないだろう。」


     ある場所には、たくさんの時間が積み重なっている。私たちは、なかなかそれに気付かない。例えば、私がかつて住んだアパート。そこで私は新婚生活を送り、初めての子供が生まれ、日曜の朝には、家族三人で海を眺めながらベランダで食事をした。
     歴史に残るようなことではない。ささいな出来事や人々の暮らし。誰もが、今居る場所に思い出を重ねているし、その場所には以前いた誰かの思い出が潜んでいる。そう感じさせるエッセイだった。

  • 面白かったのは、超能力の話。頭の中に森が浮かび、動物に話しかけると回答を教えてくれるというのが良い。面白いエピソードもあったが、忘れてしまった。

  • 一度読んでいるのに覚えていないものだな。と、思いながら読んでいたら、一度読んだ本の内容を忘れているのは老人のボケだと書いてあった。そうなの?本当に〜?

著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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