自由論 (光文社古典新訳文庫)

著者 :
制作 : 山岡 洋一 
  • 光文社
3.75
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本棚登録 : 238
レビュー : 28
  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751197

作品紹介・あらすじ

簡潔にして明解な訳で甦るイギリス経験論の白眉。「自由」の本質を理解するために。

感想・レビュー・書評

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  • 大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本。

  • w

  • 自由がなぜ大事なのかについて語っている。意見の自由な表明が抑圧されると社会にとってどれだけマイナスかといった話だとか、官僚組織に優秀な人が集まり過ぎて起きる弊害だとかは100年前の本とはいえ今にも通じるものだと思う。

  • その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することに(この小論の目的が)あるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、だれかの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。(p.27)

    自分の正確に適した人生を計画する自由、自分が好む行動をとる自由であり、その結果を本人が受け入れるのであれば、他人に害を与えないかぎり、他人には愚かな行動、不合理な行動、誤った行動だと思われても、他人に妨害されることなく自由に行動できなければならない。(p.33)

    誰でも自分が間違える可能性があることは十分に知っているのだが、自分が間違える場合に備えておく必要があるとは、ほとんど誰も考えないし、どのような意見も間違いである可能性があるとは認めても、自分が確実だと感じている意見がその一例かもしれないとは、ほとんど誰も考えないのである。(p.45)

    人がある問題の全体を知っているといえる状態に近づくためには、その問題についてさまざまな首長に耳を傾け、それぞれがその問題をどのようにみているかを研究する以外に方法がないと感じているからだ。(p.52)

    どのような意見をもっている人であっても、反対意見とそれを主張する相手の実像を冷静に判断して誠実に説明し、論争相手に不利になることは何ひとつ誇張せず、論争相手に有利な点や有利にみられる点は何ひとつ隠さないようにしているのであれば、その人にふさわしい称賛を与える。以上が、公の場での議論にあたって守るべき真の道徳である。(p.124)

    人間の能力は近く、判断力、違いを見分ける感覚、思考力のいずれも、道徳感情すらも、選択を行うことによって鍛えられる。それが慣習だからという理由で行動する人は、選択を行わない。(中略)他人が信じているからという理由で他人と同じ行動をとっていては、人間の能力は鍛えられない。他人がそうしているからという理由である意見を信じる人が能力を鍛えられないのと同様である。(p.132)

    社会は教育の権限をすべて握っているうえ、主流の意見がもつ権威によって、自分でものごとを考える能力がそれほど優れているわけではない人に対して圧倒的な影響力をつねにもっており、主流の意見に反する行動をとれば、周囲の人たちの嫌悪と軽視という自然な罰がふりかかってくるのは避けられない。社会はこれらの武器をもっているのだから、そのうえ、各人の個人的な関心事についてまで、命令をくだし、服従を強制する必要があるなどと主張してはならない。(p.184)

    賛否両論ある問題で、政府が国民の結論をどちらかに導こうとするのは、すべて害悪である。しかし、考える価値のある問題について自分で結論をくだすのに必要な知識を各人がもっているかどうか、国が確認し証明しようとするのは、適正だといえよう。(p.237)

    市民としての能力を育てる訓練、自由な国民の政治教育のうち実地訓練の部分であり、個人や家族の利己的で狭い世界から抜け出して、共同の利益の理解と共同の問題の処理に慣れるようにするものである。つまり、公共的な動機かそれに近い動機で行動する習慣を育て、個人が孤立するような目的ではなく、団結するような目的に向かって行動するように導くものである。こうした習慣や能力がなければ、自由に基づく政治体制はうまく機能しないし、維持できない。(p.241)

    (訳者解説)強制というと相手の意向を無視した、一方的で高圧的な強制といったものがすぐに頭に浮かぶが、ミルは、相手のことを慮る善意の強制についても、それが不用意に個人の自由に干渉することを許さない。(中略)善意の強制といえども、個人の「絶対的な自主独立を」、個人のもつ自分の体と心にたいする「主権を」侵す恐れが十分にあるからだ。(p.260)

  • 自由とはなんであるか、そして今語られている「民主主義」「○○の自由」について、だいたい答えが書いてある。まるで、教科書のよう。

    彼は東洋と西洋を対比し、「教育」「交通の発達」「そもそも自由度の発達に差があった」と説明している。これも大体あてはまっていよう。

    かつ、宗教観の対立は「宗派の教理の矛盾が生じない程度」に互いに自由を尊重すべきであるとする。宗教の教理は組織の問題であるようで、習慣の問題であるのだ。

    あとは、愚行権の問題であるとか、自由と財産の問題であるとか、ありがちな議論だ。とにかく一度通読すると、「このときから人間は変わっていないし、議論の主題も大して変わってない。」と痛感させられる。

  • 11/08/08。

  • 2011/04/26 kuro<br />岩波文庫版もあり

  • 功利主義者として知られるミルの自由論。
    この「自由」とは個人の政治的態度としての自由を意味している。


    二章の「思想と言論の自由」が秀逸というか、この本はこの章だけを読めばいいだろう。


    ミルの主張は章末にまとめがあるからそれを読めばわかるのだけど僕の好きなようにまとめるとだいたい次の①~④のようになる。

    ①あらゆる意見は真理の一面を含み、どんなに支配的で優れた意見でも真理の全体をつかんでいることはないから、あらゆる意見の発表を禁じるべきでない。

    これは、本文中の

    「人類の意見がほぼ一致していて、たったひとり異論を唱える人がいる場合、そのひとりを沈黙させるのは、意見の違うひとりが権力を握っていて圧倒的多数の意見を沈黙させるのと変わらないほど不当な好意である。」

    という言葉に強く表れている。

    ②真理の残りの部分が補完されるのは、相反する意見が衝突するときだけである。

    これも本文中の

    「教師か書物だけに頼って学んでいるものは、学んだことを丸暗記するだけで自己満足に陥るという甘い罠を逃れたとしても、賛否の両論を聞く必要に迫られることはない。」

    という言葉に強く表れている。

    ③主流の意見と反対意見との間の論争が活発に熱心に繰り広げられる状況がないかぎり、主流の意見はあやまった意見が定着して偏見になり、正しい意見も誇張されて誤りになり、その合理的な根拠を理解することも実感することもないだろう。

    ④支配的な意見が定着し、意見の意味が失われたり、弱まったりして、教義や信条が表看板にすぎなくななる。そうするとそれらが人格や行動にあたえる好影響がないまま、理性や個人の体験に基づいて心の奥底から本当の確信が生まれるのを妨げる。


    ほとんど受け売りになってしまったがこんなところである。



    ミルというと功利主義という言葉が思い浮かび、自分さえよければいいという主張に否定的な意見になってしまうのだけど、この自由論は主張やその言葉の選択も痒いところに手が届くようで、日ごろ自分が思っていてもうまく思考としてまとめられないものをみごとに提供してくれた良書であったと思う。

    なお、クーリエ・ジャポンという雑誌の2月号の特集ではミルの功利主義的幸福指数が世界の地域別にグラフ化されているが、日本は最下位に近く、ミルの功利主義的哲学は日本人に合わないようである。

      

  • この書名が示すように、ミルという人は単純に自由の擁護者だと思っていた。加藤尚武の『現代倫理学入門』で彼の「他者危害原則」を最初に知った時の印象がそうさせたのだと思う。「他人に危害を加えなければ、何をしてもよい」という原則。この『自由論』を以前に読んだ時も、その印象が強くて、第2章の「言論と思想の自由」で、「たとえ100人のうちたった1人の反論でも、その反論を言う自由を守ることは、100人全員の利益になる」というくだりを読んだ時は感動したものだ。

    ただ、今回読んで少し印象が変わった。彼は自由の擁護者であると同じくらい、「どういう場合に自由が制限されねばならないか(個人が社会に対して義務を負わなければならないか)」を考え抜いた人だったんだ。とても困難な「自由」と「義務」の線引き問題に、あくまで社会の具体的問題に沿って取り組もうとした人、それがミルなんだなと思う。

    この本では、その「境界線」に近い問題として、こういう例があげられている。ミルは、以下の問題に関して決して自由を全面擁護しているわけではない。

    ・酒を飲むのは個人の自由。酒を飲んで酔っぱらって他人に危害を加えたらダメ。では、過去に酔って他人に危害を加えた前歴のある人が酒を飲むのは自由か?

    ・明らかに文明の退歩と思える一夫多妻制の社会に対して、一夫一妻制の社会が多妻制の廃止を求めるのは自由の侵害にあたるか?

    ・危険だとわかっている橋を渡ろうとしている人を止めることは自由の侵害か?

    ・直接には本人だけに害を与えても、それが多数派になれば風紀を乱すことになる行為は自由か?

    ・買春が自由だとして、買春の斡旋も自由だろうか?

    ・国が、望ましくない行為(例:飲酒)を禁止はしないにしても、その行為をとりにくくするような政策をとる(例:酒税を上げる)ことは容認できるか?

    ・自分の自由を売って奴隷となる自由はあるか?

    ・生まれてくる子供が人並みに幸福になる見込みがたたないのに出産をするのは親の自由か?

    ミルは、こういう微妙な、でも現実に存在する問題を取り上げ、それぞれに何とか整合性のある答えを出そうと奮闘する。その姿勢に今回はかなり感銘を受けた。『社会契約論』のような思考実験ではなく、あくまで現実にコミットして、自由の価値だけでなくその限界も見定めようとする姿勢に、だ。

    おそらく「『他人に危害を加えない』の『危害』の範囲なんて定義できない」とミルの原理の限界をわかったふうに指摘するのは簡単なのだろう。実際に、究極的な「危害」の定義は不可能だと僕も思う。でも、ミルもたぶんその限界は承知している。承知していて、「だから意味ないよ」ではなく「それでも現実の社会をよりマシにするために、現実社会の具体的な問題についてどういう線引きができるか、やってみよう」という挑戦に撃ってでたのがミル『自由論』なんだと思う。

    久しぶりに読んでここまで印象が変わるとは思っていなかった。以前は何を読んでいたんだろう。この本、★5つでもいいんだけど、今の僕にはまだ★5つに「昇格」させる勇気がない。それはひとえに僕のせいである。

  • 【再読】

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