アドルフ (光文社古典新訳文庫 Aコ 7-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334752873

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  • 18世紀末から19世紀初頭のフランスの作家コンスタン(1767-1830)の唯一の小説、執筆は1806年、初版は1816年。

    本作品はフランス心理小説の先駆けと云われ、人間心理の動きをどこまでも細密かつ合理的に記述しようとしている(逆に、本作中には心理描写以外の情景描写などは殆どない)。その巧みさは見事なもので、自分自身が言語化できずにいた己の内面の運動を表現してくれているように読めて、ああ自分があのとき感じていたこと考えていたことというのはこういうことだったのか、と気づかせてくれる描写が数多くある。幸福の有頂天にあるときの表現もなるほど確かにそういうものだと思わせるが、それ以上に痛切に身につまされるものは弱さや醜さなど自分では直視したくない自分の内なる感情が剔抉させられている場合だろう。そうした醜い心の動きというものは、当人が意識する際には、既に自己欺瞞という歪んだフィルターを通過することで変造され矮小化されてしまっていることが殆どであり、ひどい場合には無かったこととして無意識下に隠匿されてしまうこともある。このように普段からずっと自分の内に潜んでいながら遣り過ごしてきた自分自身の内面が、人間心理に通じた作家の作品によって、あたかも外化されているのを目の当たりにすること。そこには、自らの裸体が晒されるにも似たどこか被虐的な快楽が伴っているように思う。ここの一節には自分だけの秘密にしてきた"あの事"が書かれてしまっているのだ、と。そしてこの物語には、いつの時代にもありふれた男女の悲劇が描かれている。だから訳者が云うように、「いまを生きる人間であれば誰であれ、この小説を最後まで他人事として読み通せはしない」。



    男は、或る女を手に入れようと一見情熱を燃やしていたかに見えたが、いったんその女を手に入れてしまえば、次第にその女の存在が疎ましく感じられてくる。「彼女はすでにある種のしがらみになっていた」。「一方わたしはというと、エレノールが幸せそうだと、こちらの幸せを犠牲にして成り立っている状況を喜ぶ彼女にいらいらする」。しかもそれでいながら、優柔不断ゆえに自らその女へ別れを切り出す決断もできず、ずるずるとどこまでも遅延されていく終局。これは、ありふれたという以上に、普遍的な物語であると思う。

    アドルフは、生来の内気な性質からか、女に対して独りであること(孤立)の確保を求めた。一方エレノールは、金持ちの愛人という世間から卑しい女として蔑まされる身分から来る欠落感からか、男と一体であること(合一)の確証を求めた。アドルフを自らの内に包摂したかったのか、或いは自らをアドルフの内に溶け込ませたかったのか、ともかくアドルフの生活全体を(その愛情も身体も時間も)支配しようとした。そしてアドルフは、その支配から逃れようとしながらも、「他者嫌悪」が昂じた「他者恐怖」という自分の弱さからエレノールときちんと向き合って関係を清算することもできず、寧ろ彼女との宙吊り状態に依存していく。

    いづれにせよ、双方とも「他者」ではなく「エゴ」を、相手の他者性とともに「二者」たることではなくその相手の他者性を無視して「一者」たることを、求めたのではないか。他者の他者性を尊重した関係を築くことに、二人は失敗している。そこに必要だったのは、「適切な距離の感覚」ではなかったかと思う。その「距離」によって、他者は他者として現出し、そこで初めて他者に対するに相応しい敬意ある態度が可能となる。アドルフとエレノールは、互いに互いへの「距離感」が両極端だった。アドルフはその「距離」が遠過ぎたし、エレノールは余りにも近かった。

    「愛がわたしのすべてでした。でもそれは、あなたのすべてにはなりえなかったのです」。

    これは両者のエゴイズムが惹き起こした一種の地獄であると思う。

    「つまりこの物語が示しているのは、人があれほどに誇る、かの精神なるものは、幸せを見つけることにも、それを与えることにも役に立たない、ということなのです」。

  • ストーリーがアドルフの目線で語られるので、アドルフが自分の都合のいいように自分の行動や心の動きを正当化しているのが手に取るようにわかる。女性の読者は、相当不快に思う方もいるのではないかと。はっきり言って男性目線でもアドルフは救い難いやつだなと思う反面、アドルフ程ではないにしろ少なからずそういう人間的弱さが自分にも必ずあることを否定できないし、そういう弱さがあることを常に意識して、間違っても「自分はアドルフのようには決してならない」などと高を括ることはしないようにしなければならないと思う。


    【あらすじ】
    恋愛をすること自体を目的とする実験の開始 →  籠絡するつもりが気が付けば女性の魅力にハマって付き合うまでの悶々とした気持ち爆発 → 付き合って万歳!(ただし、ハッピーなのは最初の数か月) → 女性拘束されて鬱陶しくなる → お互い「自分はこんなに色々犠牲にしてるのに!」モード発動 → 周りから別れろと言われると「お前になにがわかる!」と突っぱねて一時的によりが戻る → 別れる別れると言いながら延々引っ張る(3年くらい) → そして結末。

  • 傑作だが誰にも読ませたくない本。出版を渋ったのもわかる。

  • 恋の儚さ、うまくいかなさを上手に描写
    落ち着いて読めなかったが素晴らしかった
    生きることへの絶望、苦渋を示した人間失格のように
    恋の苦しさ、儚さ、それ故の幸福をコンスタンは教えてくれる

  • 読み終わるまでに何度も早く別れてしまえばいいのにとじりじりした。
    エレノールに死が訪れなければ一生あのままだった可能性もあるのかと思うとぞっとする。

  • 「読書会という幸福」つながりで。そこで、事前に優柔不断と読んではいたが聞きしに勝る優柔不断、アドルフ。伯爵の愛人に熱烈にせまるも、ついに関係を結ぶが、あっという間に熱は覚めてしまい、なのに別れられない。周囲からどんだけ言われても、逆に意固地になり、別れると決意する、果たせず、心にもなく愛してるとつげてしまう、以下ループという道行きは最後には…と。三島由紀夫は再読三読に耐える小説といえば「アドルフ」と言ったそうだが、今はその気にはなれないぐったりとした読後感。解説の"『アドルフ』はたしかに小さな物語だ。延々ぐずぐずとして、最初から最後まで正解らしい正解のでてこない、なるほど「性質のパッとしない」小説だ。しかし、その小ささに、そのぐずぐずさに、その正解のなさに、その「性質のパッとしな」さに、読むものは身につまされる思いをするのである。"という一節に頭をたれる。◆存在するものはなんであれ、おのずと伝わってしまうものなのだ。◆消えかけた愛情を搔きたてようとしたところで、義務感からなされた決意などに、なにができるだろう?◆ずるずると長引く恋愛関係には、それほど根深いなにかがある! そうした関係は、気づかぬうちに、われわれの生活の深部になってしまう。◆わたしは自由だ。わたしはもう誰かの愛しいひとではなかった。世界じゅうの誰にとっても異邦人だった。

  • 傑作だ。この小説を読み、「なるほど。つまり幸福になるためには人は恋愛をしなければいいのだな」などと結論する蛆虫など死んでしまえ!

  • 三島由紀夫が「再読三読に堪える小説」と評した作品。将来有望な青年アドルフが主人公。物語としては恋仲となったエレノールと別れようとして別れられないという物語。アドルフの内面の動きが読んでいてとても面白い。人は様々な感情が入り混じるもの、精神が優れていても幸せにはつながらない、というのは現代にも通じる。あと解説で作者のコンスタンも次々女性を好きになり、かつ優柔不断で関係をきっぱり終わらせることがないため、女性関係がカオス状態というのは面白かった。

  • P伯爵、T男爵、愛人、社交界。この時代のヨーロッパを感じます。それなのに話の9割は2人だけのことになります。
    これまでに読んだ多くの恋愛ストーリーは、付き合うまでが波瀾万丈で想いが伝わるとハッピーエンドです。この小説では付き合うまではかなりあっさりで、その後の2人の葛藤が話のメインとなります。アドルフの優柔不断には毎回ヤキモキしますが、終末へ盛り上げるための準備段階ですね。エレノールの一途な愛はとても心に残ります。
    今の時代の人間が読んでも、充分に心が揺さぶられる古典文学ですね。

  • 全てが当てはまるという訳ではないのですが全く他人事だとも思えない内容でした。私はアドルフの優柔不断で振り回されがちで、なのに結局は自分が一番可愛く、最後には自分が最も信頼し愛した人間に対してさえ冷酷になれてしまう未熟さにとても共感します。それゆえ私は終始エレノールの強く重たい愛情を煩わしく感じ、アドルフに同情しつつもなかなか下されない決断に焦れったい思いをしていましたが、これは読む人によって姿を変えるような気がしています。私とは反対にアドルフが酷く冷たい人間に映ったり、エレノールに可哀想な女性だと同情する人もいるかもしれません。またもっと違う視点から読む人もいるかもしれません。読者の数だけ違う答えが生まれる本は傑作だと思っています。もっと多くの人に読んでもらいたいです。

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