- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344023307
作品紹介・あらすじ
18世紀終わりに生を享けた伝説の男ラロン・フォキル。彼が作った千以上の"バウルの歌"は、譜面に遺されることなく、脈々と口頭伝承され、今日もベンガル地方のどこかで誰かが口ずさむ。教えが暗号のように隠された詩は、何のために、数百年もの間、彼の地で歌い継がれているのか。アジア最貧国バングラデシュに飛び込み、追いかけた12日間の濃密な旅の記録。
感想・レビュー・書評
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バングラデシュに口伝で伝わる歌がある。その名は「バウルの歌」。18世紀から19世紀にかけて生きた伝説の男、ラロン・フォキルが残した膨大な数の歌だ。
国連職員であった著者は、理想としてきたことと実際の仕事の内容のギャップに違和感を感じ、退職を決意した。そして住んでいたフランスを離れ、日本に帰国した。ぶらぶらと暮らすうち、何かしなければと焦りを感じ、旅に出ることにした。旅の目的に選んだのが、仕事をしていた頃に知った「バウルの歌」を聴くこと。著者は友人のカメラマンとともに、バングラデシュに向けて旅立つ。
冒頭は、いささかふわふわとした印象である。著者は「バウル」に惹かれてはいるのだが、なぜかといえば「何となく」としか答えようのない掴み所のなさである。よくいえばしなやかさと言えるのかもしれないが、やや心許ない感じもする。
一方で、バウルについて知っている人を探しだし、同行者を確保し、現地の案内人も見つけてしまうあたり、有能な人でもあるのだろう。
そんな著者が綴る、12日間に渡るバングラデシュ紀行である。
バングラデシュの人々は温かく、親切である。
甘い「チャ」やさまざまなカレー、ぎゅうぎゅう詰めの列車や、めちゃめちゃに揺れるバスなど、「バウルの歌」を探す途上の旅の記録は楽しい。
「イキアタリバッタリ」の旅を続けながら、著者は徐々に、何人かのバウルに出会い、数多くの「バウルの歌」を聴き、理解を深めていく。
その途上で、著者は自らの父のこと、仕事のことを重ね合わせ、しみじみと灌漑にふける。こうして読み進めてくると、著者が「バウルの歌」を探す旅に出たのも、何か必然があったのかとも思えてくる。
「バウルの歌」を歌うのは「バウル」と呼ばれる人々である。
「バウル」はなかなかに捉えにくい存在であるようで、人によっては卑しい人々とみなし、バウルは子どもを作らないという人もいれば、修行だけで歌は歌わないバウルもいる。そうかと思えば「バウルの歌」を歌う「バウル」ではない「ミュージシャン」もいるのだという。
「バウルの歌」の歌詞は謎めいており、例えばこんな調子である。
<BLOCKQUOTE>鳥籠の中、見知らぬ鳥は、どうやって往き来する?
つかまえたら、「心の枷」をその足にはめたのに。
八つの部屋は九つの扉で鎖され
中をときたま閃光がよぎる、
その上には、母屋がある---
そしてそこには、鏡の間。</BLOCKQUOTE>
(「知らない鳥」:本書p.257より)
哲学のようでもあり、宗教のようでもあり、謎かけのようでもある。ヨガや禅も連想させ、アジア的な印象を受ける。
旅の後半で著者が参加する、3日3晩続くという「バウル」の祭は圧巻だ。ものすごいエネルギーである。
あとがきで、著者は自らがたどり着いた「バウル」の意味を明かす。
旅先で聴いた「バウルの歌」を心のどこかに感じながら、著者はこの先も歩んでいくのだろう。
*詩人・タゴールは、ラロンに会ったことがあるという伝説があるのだそうだ。著者は「タゴールとラロン」として1章を割いており、この部分、興味深く読んだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第1章 はじまりの糸
第2章 バラバラの船と映画監督
第3章 聖地行きの列車
第4章 二人のグル
第5章 タゴールとラロン、自由への闘争
第6章 メラという静かな狂乱
第7章 「知らない鳥」の秘密
最終章 ガンジスの祭宴 -
「バウル」という歌を著者がほぼ前知識ゼロの状態から探す2週間の旅の話。
一見すると共通性がないバウルについての情報のかけらが旅での出会いを通してパチリパチリと合わさっていく様はある意味謎解き小説を読んでいるかのような楽しさがあった。旅を通して垣間見れるバウルの姿は一部地域で受け継がれている歌というよりは物事の考え方、人のあり方であり、その考えの伝達方法のひとつとして歌があるという表現の方がしっくりくるようなかんじ。読み終えた時に自分の感覚を軽視せずに自由なココロで生きることの重要さに想いを馳せてしまった(それが全く簡単なことではないのだけど)。
国連での勤務歴があるということでどんなにすごい人なのかと思っていたが、いい意味で普通の人のため旅で起こることに対するリアクションや考え・葛藤にも違和感なく共感できた。同時にところどころで展開される歴史の解説や国や構造に対する問題提起は今までの経験や知識に裏打ちされた様子があり説得力があった。
著者の目で見たものを正確に伝える情景描写のおかげでバングラデシュという土地を思い浮かべながら一緒に旅しているような感覚を得られる。 -
バングラデシュへの旅。
何年かに一度、こういう「自分探しの旅」が出るんだな。インドとか。
若いころなら、素直に読めたが。今は年かな。
あたりまえじゃん、という印象。 -
18世紀終わりに生を享けた伝説の男ラロン・フォキル。
彼が作った千以上の"バウルの歌"は、譜面に遺されることなく脈々と口頭伝承され、今日もベンガル地方のどこかで誰かが口ずさむ。
教えが暗号のように隠された詩は何のために数百年もの間、彼の地で歌い継がれているのか。
アジア最貧国バングラデシュに飛び込み追いかけた12日間の濃密な旅の記録。 -
クシュティア県のラロン廟でのバウルとの衝撃の遭遇(P113)は人生の道が広がった瞬間。グルであるユヌス・シャが教えてくれた聖なる場所へたどり着く道は「愛すること」。執着を手放し、平等に人間を愛すること。▼フォキル・バウジャは修行を経てグルになったバウル。ラロンを神と崇め、ラロンの全てを正しいとする原理主義的な雰囲気で少し心配(P265)。『バウルの鳥』の歌詞を説明してくれた。「知らない鳥はココロ、鳥かごは体、身体はいつか壊れる、どこへ飛んでゆくかはココロ次第」。▼世俗に生きる自分がいて、もう一人の冨や欲望から自由になりたいと切望する自分がいる。でもどうやってそこに行けるのか、彼にも分からない(p285)。▼バウルとは、命の風を探す人々(P292)。
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4年前、インドでバウルを聴いたときのことを思い出した
単なる音楽でなく、思いや考えが深いからこそ、あんな音楽を奏でられるのだとよくわかった
ノヨンデワン -
バングラデシュに行こうと思ってたときに読んだ。結局行けなかったので(2015年の初めは情勢がよくなかった)思いは募るばかり。また行けそうになったら読み返したい。バウルをめぐる旅行記もおもしろく読めるし、引用される詩がはっとするような美しさ。
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海外生活が長く、シンクタンクや国連で働いていたという恐れ多い肩書の割に(と言っては失礼だけど)自分と同年代ということもあって非常に親しみやすい感のある川内さん。例えばたかのてるこさんのパワー全開体当たり系とはまた違い少しゆるやかな感じ。本作も読み終えるとなんだかゆったりとした旅から帰って来たような気持ちになる。何より、これを読むとバングラデシュという国がとても好きになってしまう。ただ私がこれを☆3つにした理由は、本書へのレビューがバウルそのものよりもむしろ著者の生き方姿勢に対するものになってしまうということ。でもそれは川内さんの書くものが"新しいジャンル"だということでもあるのかもしれない。これからの執筆活動も楽しみにしています。