不妊: 赤ちゃんがほしい (幻冬舎アウトロー文庫 O 23-7)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344410626

感想・レビュー・書評

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  • 私がこの本を取った直接のきっかけは、映画SATC2で当たり前のことのように「来月赤ちゃんが生まれるの。代理出産なの。」と言っていた脇役がいて、子供を生まないつもりの主人公が「赤ちゃんは?」と聞かれて腹を立てるシーンを見たからかもしれない。
    まづひとつめ、「代理母」が当たり前に存在するアメリカへの違和感。人工授精はいいんじゃないの、でもいくらなんでも代理母は、人として人類ができる事を超えてるんじゃないのか、神への冒涜、とかではいかなくても、クローン人間だとかへの危機感、みたいなものがあった。でも私は何もしらないから。果たしてそんな事が言えるのか。
    次にふたつめ、結婚している夫婦に「子供は?」と聞いて腹を立てるとシチュエーションが気になった。

    「不妊症」や「不妊治療」に対して、私がこの本を読むまでに抱いていた知識や感想は以下。
    不妊症はかわいそう。電車でみかける安い不妊治療の広告をみていたとき、「あ、たったの10万円払ったら、人工授精でセックスしなくても子供できるのか。楽でいいなぁ。」
    不妊治療、とは、イメージ的には、女性のおりものか何かを性器の表面ちょっとさわって、取って、それに精子を振りかけて、受精させて、人差し指奥にいれるくらいの位置に、また置いてあげたら、妊娠する、みたいなイメージ。それくらい簡単なイメージだった。

    この本を読んで、まったく考えが変わった。
    不妊治療はとても費用が高い。健康な人なら費用は何もかからないところに、一回50万円だとか、卵子提供なら500万とかかかる。
    赤ちゃんをほしい気持ちは健康な人も、そうでない人も同じ、いや、できないって診断された人の方が大きいのに。なんて不公平なんだ、と思った。保険適用はした方がいい、せめて3割負担。
    望んで、望んで、赤ちゃんが、人が生まれるのだから、これくらい保険適用した方がいい。ホントに。

    不妊治療は、痛い。
    これはまったく予想していなかった。かつての私がAIDSが痛い、と知らなかったのと同じ。「AIDSは死ぬ。」の知識はあっても、それにる過程が痛みが伴う、という感覚が完璧に欠如していた。私はキンダベートを3日間直径3センチくらいの皮膚に塗るのさえ、ビビりまくって、ネットで調べたりしていたのに、不妊治療をする人たちは、ホルモン剤を毎日注射で打ったり、卵子に針を刺して(あー考えただけでも痛い!)、その後も痛みに耐えて寝込んだりしている。知らなかった。むしろ私は「不妊治療=セックスをせずに子供ができて、楽でいいなあ。」なんて思っていたのだから!
    何て失礼だったんだろうと思った。しかも、早く更年期が来たりだとか、副作用も多い、そしてそれの説明がなされていない。

    不妊の人たちが、そろって言っていたのが、「子供の写真付きの年賀状を見るのがつらい、腹がたつ。」これは本当に何回も何回も本の中ででてきた。「子供はまだ?」の質問に傷つく、というもの。
    この本を読んで、結婚して子供のいない夫婦に、自分の子供の写真つきの年賀状を送ることと、子供はまだ?と聞く事をしないでおこうと思った。
    この2つを決心できただけでも、この本を読んだ意味があったとおもう。

    あとは、テレビの「幸せ家族」のステレオタイプが、見てて悲しくなる、とのこと。だったら、テレビなんて捨ててしまえ。
    『こんな風にステレオタイプを皆にすりこんできて、だからこそ、周りの人は私たちに子供はなだ?と聞いてくるし、私たちに「あなた夫婦は子供がいないから不完全だ。」と言っているような感じだして、つらいのです(被害者 談)』、というのであれば、テレビは捨てた方がいい。そうやって、被害者でいつづける事もできるけど、あなたがそうやってテレビを見て、他のステレオタイプを植え付けられるのを選択し続けている以上、あなたは、誰かの加害者になるのだ。不妊以外の。

    そして、子供を見るだけでもつらい、とか妊婦さんを見ると流産してしまえ、とか思ってしまう自分が(人の幸せを素直に喜べない自分)つらい、というもの。
    私は、自分がまだ結婚できていなくても、他の人が結婚するのをねたんだりするのって、健康な考えじゃないし、例え、その感情が第一に出てきたとしても、自分でそこは大人なんだから、コントロールして、祝福できるように持っていかないといけないんじゃないか、と常々思っている。そして、未婚の私は、結婚する人たちを祝福できる。
    でも、どうやら、不妊の場合は、そう単純ではないみたいなのです。実際、とても大人な考えをもった普段客観的に物事を見れる女性も、一度の流産と、その後の不妊を経験して、その時のブログが本当にひどくて、「きっとなにか流産とか不妊って、そうやって頭でどうにか、できるもんでもないのかもしれない。」とは前から思っていた。この本を見ていても、ほんと、そうなのだ。
    でも、どうだろう?私は、不妊を経験したわけでもなく、私は絶対にあかちゃんが産める、と思っている。ので、今は外野だ。
    外野だからこそ、「きっと不妊の人は、すごくすごくしんどいのだから、人をねたんでも仕方がない。(人をねたむ権利がある)」みたいな感じで思っているような気もする。
    なんか、それも違うよな…。

    代理母情報センターも最初のイメージとても悪かった。「人身売買金儲けセンター」みたいな。でも、読むと、違った。
    本当に、人助けなのだ。

    読むまでは、代理出産に対して、「そこまでするぅ?」派だった。
    何も考えずに。でも読み終わったら、「そこまで、するやろ。だって方法があるんやもん。赤ちゃんがほしいんやもん。」になっていた。

著者プロフィール

愛知県に生まれる。作家。僧侶。高野山本山布教師。行者。日本大学芸術学部を卒業し、女優など10以上の職業に就いたあと、作家に転身。
1991年『私を抱いてそしてキスして――エイズ患者と過した一年の壮絶記録』(文藝春秋)で、第22回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2007年、高野山大学で伝法灌頂を受け僧侶となり、同大学大学院修士課程を修了する。高野山高校特任講師。
著書には映画化された『極道の妻たち®』(青志社)、『少女犯罪』(ポプラ新書)、『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』(ベストセラーズ)、『女性のための般若心経』(サンマーク出版)、『熟年婚活』(角川新書)、『孤独という名の生き方』『大人の女といわれる生き方』(以上、さくら舎)などがある。
現在も執筆と取材の他、山行、水行、歩き遍路を欠かさない。高野山奥之院または総本山金剛峯寺に駐在し(不定期)、法話をおこなっている。

「2020年 『別れる勇気 男と女のいい関係のカタチ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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