世界の果てに、ぼくは見た (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344426412

感想・レビュー・書評

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  • 長い休みが取れる夏は、遠くへ旅行に行く絶好の機会。旅ごころを誘われます。
    目を奪われるようなキレイな表紙に惹かれました。

    著者の長沼毅先生は、「科学界のインディ・ジョーンズ」と呼ばれる研究者。
    極地や辺境の環境下で生存する生物の生態調査が専門で、国内外の極限環境地ばかり訪れています。

    もともとは海洋生物学者として、深海の研究をしていたのが その延長で地底や砂漠、火山や高山といった、なかなか人が行かないような場所に研究範囲を広げるようになり、棲んでいる生物を調べています。
    さらには、地球のさいての地となる南極や北極も研究フィールドになっているというダイナミックさ。

    辺境の地を訪れて考えたことなどを旅行記風エッセイにまとめています。
    さいはてを旅するにとどまらず、話は宇宙にまで展開していきます。
    ここまで旅の話を広げられる人は、そうそういませんね。

    「永遠とは何ですか?」という高校生からの問いを受けた著者。
    あまりにもむずかしい質問に、「宇宙の将来」と答えたそうです。
    時間の流れがないこと。変化のない状態。何の反応も、相互作用もない、何も起こらないことが永遠なのだそう。

    現代の宇宙論は、誰にも何にも出会うことがない寂しい世界となることを予感させるものばかりなのだとか。気になりますね。

    う~ん、「永遠の愛」とか「永遠の誓い」という感じのものを想像していましたが、何か違いますね。
    永遠を望まず、動き続ける方がよさそうです。

    地球や宇宙の神秘を語ってくれる中に、科学・数学の専門的な話もありますが、テンポよくどんどん読み進められる、ためになるエッセイです。

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    詳細レビューはこちら⇒
    科学者と遥かなる旅に出よう~『世界の果てに、ぼくは見た』
    https://fpcafe.jp/mocha/1092

  • 地理・科学に関する小ネタ集といった感じ。話題は地元の川のことから宇宙の未来のことまでとても幅広く、良くも悪くも広く浅い内容たった。でもこの中の何かをきっかけとして更なる好奇心へつながるという、いい出会いがあるかもしれない。
    わたしが一番印象に残ったのは、永遠=宇宙の未来 という作者がある学生さんに答えた話。永遠とは状態や変化の仕方が変わらないことであり、それはつまり他の物体の影響を受けないことである。そう考えると永遠って実は寂しいことなんじゃない?ざっくり言うとそんな内容だった。新鮮な考えだと思うと同時になんかしっくりきた。

    このような哲学的な話は割と少なくて、全体的には、作者が見聞きした事実と科学的根拠に基づいた話が多い。
    永遠の話も宇宙の誕生と未来を説明する途中で出てきた感じだった。
    そういった意味でも哲学的ひ難しく考えすぎたり感情的になる場面がなく、さっぱりとした読後感なので、ワクワクしたいときだけでなく、気分転換したいとになんかにもいいかもしれないです。

  • 小説でも映画でも冒険・探検譚が好きです。地理や歴史、理系の勉強は苦手だけど、それでも地球の誕生や宇宙の仕組み、行ったことのない世界の果てを想像するとワクワクします。砂漠、海洋、北極、南極、そして宇宙。未知なもの、神秘の数々。目の前に広がる言葉の世界は、本当に夢の地でした。長沼先生の話は一カ所にとどまりません。歴史、民俗、小説、詩などなどいろんな分野に広がっていきます。地球が生まれた過去から未来の宇宙の姿へ。知らない、興味がないなんて言ってる時間がもったいなくなります。
     時よ、来い、
     あゝ、陶酔の時よ、来い。

  •  昨日は都内某所で、生物学者の長沼毅さん(広島大学大学院教授)を取材。

     長沼さんの著書『世界の果てに、ぼくは見た』(幻冬舎文庫/626円)、『辺境生物はすごい! ――人生で大切なことは、すべて彼らから教わった』(幻冬舎新書/842円)を読んで臨む。

     私は理系の学問は苦手なのに、なぜか科学者を取材する機会がけっこう多い。
     まあ、一般向けの科学啓蒙書のたぐいを読むのは好きだし、科学者の方のお話は新鮮で楽しいのだが。

     『世界の果てに、ぼくは見た』は、ロマンの薫り高いサイエンス・エッセイ。
     極地・深海・砂漠など、極限環境の生物をおもに研究されてきた「辺境生物学者」「科学界のインディ・ジョーンズ」(これは茂木健一郎氏の命名)である長沼さんが、研究がらみの辺境への旅の思い出を主に綴った、“科学紀行エッセイ”ともいうべき内容だ。帯には、「『辺境科学者』と、知の旅に出よう。」という惹句が躍っている。

     科学のみならず、歴史についての該博な知識も駆使して、知的刺激に富むエッセイが展開される。上品なユーモアをちりばめながらも、文章は詩的で格調高い。

     もう一つの『辺境生物はすごい!』は、辺境生物研究から得た知見を人生論にブレイクダウンした内容。

     『世界の果てに、ぼくは見た』が純粋に知的な愉しみとして読むべき本であるのに対し、こちらはやや自己啓発書寄りである。

     とはいえ、凡百の自己啓発書が放つ独特の臭味のようなものはない。“科学者の目線で語られる生き方論”ゆえの説得力があるのだ。

     たとえば、「失敗は成功の元」という教訓を、著者は進化の仕組みをふまえて語る。
     進化(を促す突然変異)は遺伝子のミスコピーから始まるのだから、かりに地球の生物がミスをまったくしなかったら、我々はいまも海の中の単細胞生物のままだったかもしれない。ゆえに「ミスは成功のためのコスト」なのだ、と……。

  • ありとあらゆる辺境に赴く以上に、思考の融通無碍に、感服。

  • まさに世界の果てという果てに行き,生命の不可思議を追究する.浪漫.このような先生を容認する組織も天晴れ.

  • 著者の長沼毅氏は、生物海洋学、微生物生態学を専門とする生物学者。極限環境に生きる生物を探索調査する、極地・僻地でのフィールドワークを中心とする研究を行っており、「科学界のインディ・ジョーンズ」の異名を持つ。
    本書は、「生きるとは何か、どう生きるのか、人生の本質は何か」というテーマを深耕する月刊誌「MOKU」(2016年休刊)に2008年から連載された「時空の旅人」をまとめて2012年に書籍化された『時空の旅人 辺境の地をゆく』を文庫化したもの。
    書名の通り、主に著者が世界の辺境(サハラ砂漠、南米アタカマ、オマーン、北極、南極等)を歩いたときのことが綴られているが、著者自ら「ぼくのエッセイは収束するというより発散しがちだ。語る内容があっちへフラフラ、こっちへフワフワして、ちっとも落ち着かない」と書いているように、著者の興味と知識は恐ろしく広範である。
    例えば、「世界で最も乾燥した場所」である南米アタカマに行ったときの話。アタカマ→南米の形「南の錘」→自分が米国に住んでいたときの鉛管工→アタカマの鉱脈「虹の谷」→アタカマの積み石(アパチェタ)と呪術→イヌイットの積み石(イヌクシュク)→2010年バンクーバー冬季五輪のロゴ→モンゴルの積み石(オボ)→琉球の御嶽→SF作家・藤崎慎吾の『ハイドゥナン』→木星の衛星・エウロパ→ガリレオ・ガリレイ→アタカマの巨大望遠鏡・ALMAと、わずか7頁の中で話題が次々と変化する。しかも、専門的な言葉が出てくると、その語源の説明もある。
    なんとも博覧強記。そして、その知識・情報を書き尽くす姿勢。。。
    エッセイとは言いながら、次々と知らないことが出てくるために、さらりと読み流しにくいが、その分様々な興味を掻き立てられる、密度の濃い作品である。
    (2017年8月了)

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著者プロフィール

1961年、人類初の宇宙飛行の日に生まれる。深海生物学、微生物生態学、系統地理学を専門とし、極地、深海、砂漠、地底など、世界中の極限環境にいる生物を探索する。筑波大学大学院生物科学研究科博士課程修了、海洋科学技術センター(JAMSTEC、現・海洋研究開発機構研究員)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校海洋科学研究所客員研究員などを経て、現在、広島大学大学院生物圏科学研究科教授。『宇宙がよろこぶ生命論』(ちくまプリマー新書)、『形態の生命誌――なぜ生物にカタチがあるのか』(新潮選書)、『辺境生物探訪記 生命の本質を求めて』(共著・光文社新書)、『地球外生命 われわれは孤独か』(共著・岩波新書)、『生命の始まりを探して僕は生物学者になった』(河出書房新社)ほか著書多数。

「2016年 『ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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