- Amazon.co.jp ・本 (454ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344428522
作品紹介・あらすじ
2019年10月4日、いよいよ映画公開!主演・松岡茉優さんに期待大!
近年その覇者が音楽界の寵児となる芳ヶ江国際ピアノコンクール。 自宅に楽器を持たない少年・風間塵16歳。 かつて天才少女としてデビューしながら突然の母の死以来、弾けなくなった栄伝亜夜20歳。 楽器店勤務のサラリーマン・高島明石28歳。 完璧な技術と音楽性の優勝候補マサル19歳。 天才たちによる、競争という名の自らとの闘い。 その火蓋が切られた。
感想・レビュー・書評
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ピアノの演奏を想像してみるけれど、自分の生活の中にないため、作品の世界になかなか近づけていない感覚がある。それでも、登場人物の描写が細かく繊細で、それぞれの個性溢れる人物に引き寄せられた。コンテストの進行と共に、緊張感と安らぎと双方を感じる不思議な感覚を味わった。
下巻の展開が楽しみ。早く続きを読みたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごい。まさか興奮で涙が出ると思わなかった。
臨場感を感じるような間や、程よい細かさの心理描写、音が聞こえてくるような演奏の描写、、
映画を見ている感覚。
全員に感情移入してしまう。。
ずっと絶対面白いと思いながら積読していたが、パリ左岸のピアノ工房を読み終えた今読めたのも良かったかも。
このお話のピアノ全集がサブスクでも聴けるのもありがたい。
下巻も楽しみ。 -
風間塵
明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符である。
栄伝亜夜
トタン屋根の上で、雨は独特のリズムを刻む。……世界はこんなにも音楽で溢れているのに、わざわざ私が音楽を付け加える必要があるだろうか。
高島明石
孤高の音楽家だけが正しいのか?音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?
生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか?
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール
(運慶?が「仏像を造っているわけではない。木の中に埋まっている仏様を掘り出しているだけだ」と言ったように)「君は元々知ってたんだ。たぶん、僕らは君に教えているわけじゃない。元々君の中にあったものを、君に思い出させているだけなんだ。」(マサルの師匠、ナサニエルの言葉)
この小説の舞台“芳ケ江国際ピアノコンクール”にエントリーした4人のコンテスタントたちの音楽への向き合い方だ。
クラシック音楽界という狭い上流社会で、ピラミッドの一番上を目指して熾烈な争いを繰り広げる小説だったら嫌だと思って今まで読んでいなかった。
けれど、この小説の4人の主人公たちは人を蹴落としてまでピラミッドの頂点に立ちたいわけではなく、ただ幼いときから音楽が好きで好きでたまらなくて、その人生の中のコンクールという一つの大きな舞台をそれぞれの向き合い方で楽しんでいる。
風間塵は父親の養蜂を手伝いながら世界を旅していて、自分のピアノは持っていないが天才的な演奏が出来、世界的な指導者ホフマンに見出された謎の16歳の少年。
栄伝亜夜は幼い頃から天才少女と呼ばれてコンサートピアニストとして活躍していたが、母親の死をきっかけに表舞台から退き、再びクラシックピアノへの道を進めてくれた音大の学長の進めで、コンクールに出場。
高島明石は音大を出たが楽器会社のサラリーマンをしており、自分に区切りを付けるためにコンクールに出場。
マサル・カルロス・レヴィ・アナトールは日本人の血が4分の1入っているラテン人で、幼い時に少し住んだ日本で出会った“あーちゃん”のピアノの先生に受けたレッスンが楽しくて、フランスでピアノを習い始め、メキメキと才能を発揮。音楽への理解を深めるため他の楽器やスポーツもこなしている19歳の天才。
音楽家ってこんなふうに音楽を捕らえているのだと思った。蜜蜂の羽音や雨音や子供のときから見慣れた風景や空気の中に音楽を見出している。「自分が作っている」と思っているのではない(そう思っている音楽家もいるかもしれないが)。
「結局我々はみな媒介者に過ぎないんじゃないかって年々思うようになったね。」(作曲者 菱沼忠明の言葉)
音楽って本当は謙虚であるべきものなのだな。
その菱沼忠明が作曲した課題曲「春と修羅」のテーマは“余白を表現することだ”というマサルの気づきになるほどと思った。少し前に読んだ「線は僕を書く」という水墨画の小説でも“余白の美”について追求されていた。芸術の共通点だな。“描かないところ”“鳴らさないところ”の美しさって重要なんだな。
この頃「13歳からのアート思考」や「線は僕を描く」やこの「蜜蜂と遠雷」を読んだり、レビューを書きたいために色々な音楽を聴いてアウトプットすることで、遅まきながら、ちょっとだけ私なりに芸術の“花”の部分だけでなく、根っこの部分について考える機会が出来た。ブクログのおかげだ。
それにしても、マサルがあーちゃんとの再会を果たしたときには、自分のことのように嬉しかった。私には二人のような才能もロマンスも無いけれど、世界に溢れる音符を見出すように彼らは自分たちの喜びを見出しただけ……だから私たちもロマンスに限らず幸せや美しさを見い出せばいいのだというような気持ちになれた。
下巻が楽しみ。
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パリのオーディションに突如現れた無名の16歳。他界した巨匠ホフマンの最後の弟子としてお墨付きを持って現れた養蜂家の息子。そのピアノは天真爛漫で異彩を放つ、彼はギフトなのか災厄なのか。
試されるのはホフマンを敬愛する権威ある音楽家の審査員たちだった。
もうこの件だけで、大好物な予感に唾液腺が刺激され、ご飯3杯くらいお替わりできそうで夢中で読んでしまいました。
元天才ピアニストの少女に、多国籍な血筋を持つ本命の男と他多数の才能も集結し、第6回芳ヶ江国際ピアノコンクールは幕を開けた。
形骸化した音楽を解き放ち、呼応した才能たちも覚醒していく、波乱ありそうな雰囲気に釘付けでした。 -
第156回直木賞受賞作品。
ピアノコンクールでの4人の物語。
音楽が生み出す世界観が言葉で描かれています。
音楽家の人たちは、そんな風に音をとらえているのかしら。
主人公は4人。
ピアノを持たず、父親の養蜂を手伝いながらも、天才的な演奏をする風間塵16歳。
天才少女としてデビューしながら、母親の死から表舞台に出なくなった栄伝亜夜20歳。
音大出て、楽器店のサラリーマンをしている高島明石28歳。
優勝候補のマサル19歳。
上巻では、一次予選、二次予選が描かれています。
その中でそれぞれの想いがコンクールの中で語られていきます。
そして、コンクールを通して、それぞれの演奏曲を通じて、成長していく姿が描かれています
(といっても、風間塵はちょっとちがうかな..)
曲を聴くことで、そして、演奏することで、自分たちを振り返り、そして変わっていく。
演奏曲をYoutubeで探して聴いたのはお決まりですね。 -
国際ピアノコンクール、その予選から本選の期間にスポットをあて、若きピアニスト達の交錯する思いと緊張、高揚感がクラシックの名曲と共に描かれています。
初出は、どこだったのかと、うっかり最終ページを見てしまうという大失態。
いささか、後悔しながら、後半へ。 -
「おたくの業界(クラシックピアノの世界)とうちの業界(文芸業界)は似てるよね」と、開始早々、芳ヶ江国際ピアノコンクール審査員の三枝子の友人、ミステリ作家真弓は言った。コンクールの乱立と新人賞の乱立、どちらも斜陽産業、普段は地味にこもって練習したり、原稿を書いたりしている。
「コストが違うわよ」三枝子は反駁する。ピアノは金がかかるのだ。
でも、「世界中何処に行っても、音楽は通じる」そこは、作家は羨ましそうに三枝子に云う。おそらくこれきりの登場だったと思うが、真弓は作者の分身である。
そう!だから恩田陸という作家は言葉を使って「言葉の壁を越えて、感動を共有する」場面をつくるという無謀な試みに足を踏み入れたのかもしれない。言葉にならない感動を、言葉を使って表現する。でも考えれば、それは古(いにしえ)から文学が試みてきたことでもある。
ーーー結局、誰もが「あの瞬間」を求めている。いったん「あの瞬間」を味わってしまったら、その歓びから逃れることはできない。(25p)
風間塵、栄伝亜夜、高島明石、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。4人の紡ぐ音が非凡なこと、そして個性的なことは、読むだけで明確にわかった。
でも、それがホントはどんな音なのか、ましてや「あの瞬間」を私は味わう事が出来るのか?筋金入りの音オンチの私は全然イメージできなかった。でも、努力はしようと思う。幸いにも、図書館ウェブサイトの提供で「蜂蜜と遠雷」関連の曲集を見つけた。下巻に取り組むまでに、ちょっと練習してみようと思う。
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再読。
スピンオフ作品「祝祭と予感」を読んだら、また本編を読みたくなった。わりと短いスパン(それでも前回読んだのは3年以上前だったけど)での小説の再読は私にとっては珍しいこと。
本当に私、再読なんだろうか、と思うほど楽しかった。むしろ今回の方が楽しかったかもしれない。前回はどうしてもコンクールの結果が気になって、読み急いでいたのかも。優勝は誰なのかを、常に頭で考え過ぎていたのかもしれない。今回は各コンテスタントの奏でる音楽の特徴を充分に堪能しながら読めたような気がする。恩田陸さんが言葉で表現する音楽が素晴らしくて、自分の中で各コンテスタントの音楽が鳴っている感じがとても心地よかった。
この物語は要所要所でなんとなく「対比」を感じる。
スターと天才、ピシっとしたマサルとヨレヨレの塵、成熟と早熟、才能溢れる音楽と庶民の音楽、拍手喝采と怒り、順応性とマイペース、穏やかでいてパッションを感じる、審査員も審査される・・・なんだかよくわからなくなってきたけど、こんな感じで、読んでいていつも対比を感じた。「音楽」というもの自体がそういうものかもしれないと思った。
多分、多くの読者がそうじゃないかと思うけど、コンテスタントの中に高島明石がいて、良かったと思う。生まれながらのスター・マサル、元天才少女・亜夜、巨匠の愛弟子・塵に対して、大変に地味だけど、すばらしい音楽を自分の中に持っている明石がもしこの物語の中にいなかったら、これほどおもしろい物語にはならなかっただろうと思う。明石は自分の音楽を「生活者の音楽」、そんなふうに表現していたような気がするけど、本来音楽ってそうよね、「天才」が奏でる音楽、高価な楽器で奏でる音楽、充実した施設で奏でる音楽だけが音楽じゃないよね、と思わせてくれる。(そういう意味では、自分のピアノを持たず、行く先々でピアノを弾く塵にも、そう思わせてくれるものがあるけれど。)
そんな「音楽」に甲乙つけるコンクールって不条理、と思いつつも、やはり価値あるものなんだ、とこの作品は教えてくれる。
私は好きな物語の実写化をあまり迎合しないし、読む前に配役を知ってしまった日にはちょっとガックリするのだけれど、この明石役の松坂桃李さんは、私の中でしっくりきて、明石だけはずっと脳内で松坂桃李さんというハッキリとしたビジョンで物語が展開した。この配役が明石に対する加点に大きく影響しているのかもしれない(笑)
自慢にも何にもならないけれど、私は耳が悪い。突然、ポンと鍵盤を弾かれて「これは何の音?」と言われたら、全部「ド」と答えると思う。つまり絶対音感がない。それだけでなく、聴いた曲を頭の中で再現することもほとんどできない。だから、「耳がいい」ということにすごく憧れがある。そんな私でも、子どもたちのピアノを聴いていると少しずつ、本当に「少し」だけど、「音」がわかるようになってきた。わかるようになるともっとピアノが面白くなってきた。私でさえそんなんだから、きっと「耳がいい」人にとってピアノは、本当に奥深い楽器なんだろうな、と思うと羨ましくてしょうがない。
そんな羨望もあって、大好きなこの小説。さっそく下巻に入ります!二次予選の途中から! -
恩田さんは「夜のピクニック」以来、ともに本屋大賞と言うところがミーハー的で恥ずかしくなる。直木賞とのダブル受賞でもあり、今読むのが遅いぐらい。
蜜蜂王子の自然児である風間塵と、プロデビューするもののコンサートから突然逃げ出した栄伝亜夜、完璧な演奏で優勝候補のマサル、サラリーマンで妻子持ちの高島明石。この4人のピアノコンクールへの挑戦が描かれる。上巻では第二次予選の途中までが書かれている。
4人の人生や、演奏への取り組みなどに興味が引かれる。聞いたことが無い曲が多いが、演奏する表現で曲が眼に浮かぶように湧き出てくる。厚い本だが、最後の結果を知りたくて、読むペースがどんどん早く進む。
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最初は人物相関図の把握が大変でした笑
ピアノクラシックを流しながら読みました!
本屋大賞なだけあって、読みやすい。
私もピアノ習ってたけど、こんなに弾けたら楽しいんだろうなあ〜いつも練習しないまま通って先生きっと呆れてただろうなあ笑
下も、昨日購入。
そして本屋さんで伊岡さんフェアやっており、追加で2冊購入。楽しみ✨✨