日本人の死に時: そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書 く 1-2)
- 幻冬舎 (2007年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344980181
作品紹介・あらすじ
何歳まで生きれば"ほどほどに"生きたことになるのか?長寿をもてはやし抗加齢に踊る一方で、日本人は平均で男6.1年、女7.6年間の寝たきり生活を送る。多くの人にとって長生きは苦しい。人の寿命は不公平である。だが「寿命を大切に生きる」ことは単なる長寿とはちがうはずだ。どうすれば満足な死を得られるか。元気なうちにさがしておく「死ぬのにうってつけの時」とは何か。数々の老人の死を看取ってきた現役医師による"死に時"のすすめ。
感想・レビュー・書評
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同感。最近はなかなか簡単に死ねない。
医者は病気を治療することに一生懸命になりすぎて「死」に対しては考えられてこなかった。
PPKがいかに難しいことか思い知らされる。
本人の意思ではなく周りの自己満足で無駄な引き伸ばしをされるほど辛いものはない。
末期になるまで症状がなく手遅れでパッと逝きたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
健康を気にしすぎて、病気になりそうな日本という話を聞いたことがあったが、まさしく老いること、死に向き合うこと、死ぬことの「現実」を真正面から取り上げた1冊。こういう事実が、もっと世間的に取り上げられたら、高齢化で苦しむで若い人たちの社会保障負担がずっと軽減されると思う。
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中年の中にはPPK(ピンピンコロリ:昨日まで元気に過ごして、コロリと最期を迎える)が理想の人生像になっているらしいです。誰しも寝たきりになったり、長い闘病で苦しみたくはないものです。では、元気で長生きすることが幸せなのかと言うとそうでもないようです。適当な時期に死ねるということは、ある種の幸であるということがよく分かりました。現役の医師で、数々の患者のケースを具体的にあげているので、作者の言いたいことをイメージしやすい。
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私も安楽死を認めることに賛成。治癒する可能性の低い病気に罹って、耐えがたい激痛や不快感に苛まれた場合は、行使する権利が欲しい。どうしても死に関する事柄はタブー扱いされてしまうけど、これから更なる高齢化社会を迎えるのだから安らかに死をむかえる為の研究や法整備が益々必要になってくるはず。世の中誰もが健康な老人で人生を楽しんでいる訳ではないのだから、PPだけじゃなくKのケアが重要だよね。
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メメント・モリ。後延ばししない。治らない治療はしない。
廃用身に通ずる考え方。現実的だし、私は支持するけれど。日本のマスコミ的にはNGみたいね。 -
久しぶりの久坂部羊さんです。2003年「廃用身」でデビューされたお医者さん。衝撃でした!今回は「日本人の死に時」(そんなに長生きしたいですか)2007.1発行です。タイトルは過激ですが、いつもながらの歯に衣着せぬ書き方に誠実さと読者(患者)への思いやりを感じます!いきなり、初体験の長生きは苦しいらしい から始まります(^-^)老眼、ハゲ、白髪、しわ、シミ、入れ歯、口が臭い、耳が遠い、腰が曲がる、もの忘れはまだ序の口、排泄機能の低下、筋力の低下(何もできなくなる)、不眠(眠るにも体力がいる)等と。(続)
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私が読みたい死生観の本ってこういうことじゃないんだよなあ。ある意味当たり前のことだ。
久坂部先生に関しては、大変注目したい。 -
日本が平均寿命で男女共トップを争うようになった中、どれだけ多くの人が、今の終末期医療の歪みに気づいているのだろうか?
膨張し続ける医療費の中で終末期医療への割合は想像よりも高いようだ。
ちなみに厚生労働省の統計によると、平成22年度現在、医療費総額は年間37兆円、そのうち75歳以上に対しては約12億円と30%以上を占める。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/10/index.html
終末期医療が死を間近にした高齢者に対して安らかな死を保証するものならいい。でも実際にはどれだけ多くの人が、胃ろうを始めとした管につながれて、果たして自覚的にその上でも命を永らえたいと感じているのだろうか?
著者は、ややグロい医療小説で有名だが、本書では、自身の小説でも基底となって流れているテーマ、終末期医療の現実を取り扱っている。
この長命の時代に、「長寿の危険に備えているのか?」と疑問提起することは貴重である。
ものが口から食べられ無くなってまでも生きたいのか?と真剣に考えたい人は本書を読むべきである。
人は自らの死に時を自分で選ぶ権利があるはず(と信じたい)のだが、実際には、どこかの時点で自らが治療を選ぶ権利を消失するポイント・オブ・ノーリターンが存在する。がん治療で他臓器に転移した状態とか、脳卒中で病院に運ばれた時、そして認知症治療を受けながら身体合併症を持った時など、患者サイドからすれば自らの選択の余地が殆ど無い状態で、医師から説明を受けたり、家族の意向に従わせられたりするものなのだ。
延命を選択した(された)その結果が、安らかな死に繋がっていないことを著者はこれでもかと例示する。一方で、末期がんと告げられて、治療をしないと決心した人に安らかな死があったことも例示されている。
そう、治すための治療を、治らない病気にすることは、本来は矛盾しており、それにすがることによる生活の質の低下に関して、我々はもっと自覚的であるべきなのだと思う。
私はこう望んでいます。願わくば、従容と死を受け入れたい、そんな素朴な希望が自分や自分の愛する人が叶えられますように…。