- Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344985261
感想・レビュー・書評
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天皇、災害、ナショナリズムから論じた平成史。
災害があっても立ち直る日本と災害があるから何を考えても無駄という楽観と刹那主義。それでも民に寄り添った今上天皇。人間不要のAI資本主義で国民はもはや恩恵を享受できない。果実の分配ではなく負担と損を誰に押しつけるのか。かけ声と綺麗な言葉でごまかす政治。アジアに残された冷戦構造を利用したナショナリズムとただの復古主義の奇妙な融合。
トリビア的な知識もあり(「平成」命名者の経緯や日本会議誕生のキーパーソンが音楽家の黛敏郎だったことなど)、読んで楽しめるが、まとまりがない構成で新書の限界だろう。それほど平成史を論じるのは難しく、複雑で、全てを書けば大部となる。
平らに成らなかった「平成」。込められた理念と言葉は必ず時代や現実に裏切られるという。これを書いているのは2019年3月。新元号発表までひと月。改元まで二ヵ月。
新たな元号も新たな時代に裏切られるのだろうか。
さて、平成の次の世はどんな元号と時代になるのだろう。 -
片山杜秀氏が相変わらずの切れ味を発揮。
良質で安価な労働力を際限なく求める資本主義と、そこに国民を参加させるための仕掛けとしての民主主義は足並みをそろえてきた。という論。
グローバリズムと国民国家は対立する、という論調を片山氏は採っていない。
でも、もうわが国(というか世界どこでも)、国家は成長の実感も福祉も国民に提供できない。ナショナリズムという幻想で国家を維持する運動が強まるのは必然。
そしてその背景に流れる、絶え間ない天災と虚無感、ネット社会の進行で進む視野の(拡大ではなく)狭窄、AIによる人間労働の代替の予感。
そんな中、国家が壮大なフィクションに向かう今の流れに強い危機感を抱かれているのが、自らの意思で平成を終わらせた今上天皇。
後段のAI論など、著者のほかの本とくらべても随分ある意味情緒的というか、むき出しの危機感。
資本論が読まれなくなって労働者は自分を守るすべを失った、という主張と、民主主義の守り神としての天皇陛下への敬意を矛盾なく両立させる片山氏は、イデオロギーを軽々と乗り越えて、それでも暗い予感に充ちた時代に一筋の光を招き入れているかのようだ。 -
平成を日本が後退した暗い時代としてとらえ、今後についても、昭和初期と重ねて悲観的な見方をしている。
AIが支配する資本主義社会では、人間の役割がなくなるとしているが、供給側の側面のみ強調しすぎていないか。需要側、すなわち、モノやコトの消費は人間しかできない。AIによる生産性向上の分け前を人間に再分配しないと、資本主義社会は成り立たないとも考えられるのでは。 -
本書は『平成精神史』という題名だが、内容に関しては「思想史的な観方で考えてみる平成」ということになるのだと思った。
後から振り返って好い時代でも好くない時代でも、とりあえず生きて来た訳だ…過ぎた時代は「こうだったのではないか?」と考える対象になるばかりのことだが、次の時代は未だ何がどうなるか、自身がどうするのか、ハッキリはしていない…本書のような「考える材料」を手に、色々と次の時代に向けて考えてみるべきなのだろう…と思う… -
東2法経図・6F開架 B1/11/525/K