アイヒマンと日本人 (祥伝社新書 684)

著者 :
  • 祥伝社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396116842

作品紹介・あらすじ

「まじめ」を隠れ蓑にした「思考停止」の罪1942年1月20日、「ユダヤ人問題の最終的解決」を話し合う政府合同会議が、ベルリン郊外のヴァン湖畔で開かれた。いわゆる「ヴァンゼー会議」である。国家保安本部長官ハイドリヒ親衛隊大将など錚々たる幹部が出席した同会議に、事務方として参加していたのが、アドルフ・アイヒマンである。アイヒマンは、支配地域で増え続けるユダヤ人を負担とみなし、効率よく殺害する計画策定で大きな役割を果たした。そして、戦後は南米に逃亡するも捕えられ、イスラエルでの裁判の結果、死刑に処せられた。本書は、法廷で「命令に従うしかなかった」と述べ、自らを正当化したアイヒマンの生涯を追い、従順さが内包する危険性について警鐘を鳴らす。上位者の命令に対して従順な国民性を持つ日本人こそ必読。

感想・レビュー・書評

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  • 山崎雅弘 最近のしごと
    https://www.mas-yamazaki.net/currentworks.html

    アイヒマンと日本人 山崎 雅弘(著・文・その他) - 祥伝社 | 版元ドットコム
    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784396116842

  • 第二次世界大戦下、アウシュヴィッツなどの殺害を目的とした強制収容所へのユダヤ人の大量移送という職務を通じて、国家間同士の戦争とは全く異なる次元で600万人もの特定の民族を殺戮したナチスの幹部アドルフ・アイヒマン。彼の生い立ちから死刑までを総ざらいし、最終章で、戦後彼が法廷で繰り返した「私は上司の命令に従っただけで」「組織の人間として他に選択の余地はなく」「したがって私に責任はない」という態度から、「アイヒマン的な思考」=「組織人の詭弁」を読み取り、それは少なくない日本人にとって共感を寄せやすい考え方ではないだろうか、という論考である。組織全体の目的が犯罪行為であれ、自分の直接の職務の範囲だけ切り取ってみれば犯罪行為とかかわりのないただの事務であるし、自分は組織としての命令系統の下で上司の指示に従っただけで、責任があるとすれば自分ではなく命令を下した上司にある、というロジックで「一個人」としての内なる葛藤を抑え、あまつさえ、上のものに忠実であることは美徳である、という形式的な理解に補完されながら、今の日本でも、多くの「組織人」が「組織にしたがって仕方なく」といいながらも、組織からの受益のために行動している。大量虐殺のような極端な事例ならば、さすがに上司の命令であっても超えてはいけない一線として一個人として拒絶する、と主張する組織人はいるだろう。では粉飾決算、不法廃棄、談合、不正受発注、生産地偽装、保険金詐欺、街路樹の伐採ならどうだろう? その組織人として超えてはいけない一線とはどこにあるべきか、また、奴隷ではないのだから絶対服従ではないとはいえ、人事という名の家族を人質にとられているような組織の権力の在り方についても考える機会を与えてくれる。

  • 『第二次大戦秘史』に次いで、作者と題名に惹かれて読む。アイヒマンの生い立ちから始まりナチスでのユダヤ人排除の活動が時系列で概説されている。上位の決定者ではなく冷酷で剛腕な忖度型官僚の姿である。内面の思考にはあまり触れず、仰々しい題名の割に平板で物足りない印象の作品である。
    彼はドイツ西部のゾーリンゲンで四男一女の長男として生まれ、10歳で母親に死なれ、リンツで再婚の母親と厳格で生真面目なプロテスタントの父と教会に通う普通の家庭で育つ。実技学校や専門学校を中退し仕事も続かないなか、オーストリアでナチス親衛隊の活動に生きる道を定める。
    ナチスではヒムラー指揮下のハイドリッヒが本部長の保安局・情報機関に勤め、「人種及び移住本部」でユダヤ人問題の専門家になっていく。当初はヘルツルの『ユダヤ人国家』を読みシオニズムに共感し、ユダヤ人のパレスチナ移住の作業にあたる。「反ユダヤ法」以降ユダヤ人への弾圧は強くなり、彼もウイーンのロスチャイルド家の豪邸を根城にしてオーストリアやチェコのユダヤ人の国外移住や略奪を仕切り、私的には酒と女の乱脈生活を送る。「ユダヤ人移民中央事務局」の責任者になり、ユダヤ人を利用して排除を効率的に実行し評価を上げる。ポーランド併合後、ナチスの大々的なヨーロッパ侵攻に伴い、ユダヤ人の国外移住策が限界となり、「絶滅収容所」を作り大量に移送し殺害する。ヒムラーは当事者の罪悪感を減らすためシステム化し、組織的・計画的な移送や毒ガスによる大量瞬間殺害・埋葬の方式を確立する。1942年ハイドリッヒは国家元帥ゲーリングの意向で関係責任者15人を集め「ヴアンゼー会議」を開催し、ユダヤ人問題の最終的解決策として「東方への疎開=絶滅収容所への移送=大量虐殺」を国策として決定する。ユダヤ人1075万人を抹殺するホロコートである。
    事務局で議事録を纏め中枢で推進するのがアイヒマンであった。
    以後ポーランドや各地に「絶滅収容所」を作り、多くのユダヤ人を送り込み殺害した。ハイドリッヒは暗殺されるが、アイヒマンはフランス・ハンガリー・フィンランドなど大量虐殺に最後まで執心する。
    ソ連とアメリカの侵攻によるナチスの敗戦で、アイヒマンは仲間に避けられながらも逃亡を続け、互助組織による地下ルート経由で南米アルゼンチンに脱出する。妻子を呼び寄せ隠れて暮らすところをモサド機関員に発見・逮捕されイスラエルに移送される。

    裁判では「人道的観点からは有罪、服従の誓いに従って命令を遂行せざるをえなかった‥‥心のそこでは、自分に責任があるとは感じていません‥‥命令を忠実に遂行し義務を果たさなかったと誰かに非難されたことは一度もない」
    「自分は命令に従っただけ‥‥(虐殺されたユダヤ人は)不幸な人だった」
    などと答え、肝心なところははぐらかし、論点を鉄道移動の技術的問題にずらたりして責任回避の発言を繰り返し、最後まで反省・贖罪の言葉は聞けなかった。
    死刑判決を受け、上告するも却下され、イスラエル大統領に恩赦の請願書を出し拒絶される。
    1962年死刑が執行され56歳の生涯を閉じた。
    遺灰は海に蒔いた。
    裁判では、長老で構成する「ユダヤ人評議会」がリストを作り同族の虐殺に協力した(させられた)ことも暴かれた。
    ハンナ・アーレントや犬飼道子・村松剛などの裁判傍聴記によれば「普通の男が忠実に命令に服従して、彼自身の組織内における保身と出世欲のために多くのユダヤ人を絶滅収容所に送り続けた」ということであった。

    作者は日本人の特性に敷衍して警鐘を鳴らす。
    自分は、西独ではこの裁判以降元ナチスの戦犯者や協力者への追及が厳しくなったこと、又今でもナチス互助組織が西独中心に世界規模で機能している実態について、初めて知ることであり意外であった。ナチスの犯罪は歴史的に既に総括されていたと勝手に思い込んでいた。日本もそうだが、戦時下での犯罪行為については、当事者は勿論として発令者の立場や役割の責任とその軽重は可能な限り厳正に裁くべきだと思う。目立たず自ら断罪した人も多い。社会の矜持であり、その後の復興再生への盤石な足場となるからである。
    異常な状況下では誰もが命懸けで、義務や正義、利己や功利が複雑に錯綜し、人間性がギリギリ試される。自分を省みて問いかけが残る。

    アイヒマンのような異常な「非人間的な戦犯者」に対しては、手続き上の齟齬を超えて人類として厳格に裁いていくことは当然であろう。

  • アイヒマンを認識する様になったのは2013年の映画「ハンナ・アーレント」から(映画自体は観ていないのだが)

    人道に対する罪が問われたアイヒマン裁判を認めるのならば、事後法という点で共通する平和に対する罪で裁かれたA級戦犯に関する極東軍事裁判も認めなければならない部分が出てくる。事後法は受け入れ難い所があり、極東軍事裁判における平和に対する罪での有罪判決は不当だと思う。

    もっとも、それ以外での罪で裁かれるべきだったと思うのでA級戦犯=完全無罪とは欠片も感じないのだが。日本人も加わって最終的な裁きを下す日が訪れれば良いのだが、難しいだろうなぁ…総体的な日本人にも期待しづらいし。

    永遠的命題か。

    くまざわ書店 武蔵小金井駅前店にて購入。

  • 人物伝的内容で、特に4章の逃亡から処刑までが興味深い。ただし、題名に関する部分は最後の2ページ程度なので、その辺は期待しない方がよい。

  • ホロコーストへの興味が自分の中で高まっている今、書店で見かけ手にとってみた。
    アイヒマンと日本人。
    そのタイトルの意図するところは、本編を読み進めなるほど理解できた。日本人の社会人の多くは、その意図するところをなんとなく感じることができるだろうと思う。

    ただ、タイトルの意図するところはわかるけれど、ちょっと、「〜と日本人」の部分は誇大ではないかなと内容を読んで気になりました。
    主題ではなく、サブタイトル的に扱った方が内容のボリュームと合ってるんじゃないかなと思いました。

    現代では世襲制や、親の七光りは批判されることも多いですが、犬養道子さんの話を読むと血筋あってこそ幼少期から触れるもの、環境で関心や勉学に大きな影響が出て傑出した才能が現れることもあるなとしみじみ思いました。
    今、昔ほど位の差がないというか、一般人でも機会が与えられる世の中になり、偉い人の子供は贅沢や特権階級の勘違いした選民思想を引き継いでるだけにも思える人もいて、何故こうなってしまったのか、そこも気になった。

    『夜と霧』を読んだ時から、一握りの悪い人たちによってホロコーストという悲劇が起きたのではなく、普通の人々が与えられた役職や環境で変化していった、人間というものは誰しもが同じように恐ろしく化ける可能性があると思ったけれどアイヒマンについて読んで、改めてそう思った。
    その当時ヒトラーに対して反抗し命を失った人たち、凄いな、気高いなと思いました。月並みな感想ですが。。

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著者プロフィール

山崎雅弘(やまざき・まさひろ) 1967年生まれ。戦史・紛争史研究家。

「2020年 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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