- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784408536453
作品紹介・あらすじ
奔放な母親とも、実の娘とも生き別れ、昭和から平成へと移りゆく時代に北の大地を彷徨った、塚本千春という女。その数奇な生と性、彼女とかかわった人々の哀歓を、研ぎ澄まされた筆致で浮き彫りにする九つの物語。
感想・レビュー・書評
-
咲子31歳…18の時に産んだ娘をリウマチの母親に預けて小さなスナックで働いている。
娘を産みっぱなしで男が変わるたびに流れるように生きてる女。
一章は咲子の恋と久しぶりに会う13歳の娘の話で物語の主人公はこの娘の千春です。
千春が関わった人が一緒にいた時間を語る形でストーリーが進んでいく。
その時その相手といた時間、千春が何を思っていたのかはわからない。
ただ読んでいると母親同様に流されるまま生きていると感じられる。
ただ読んでいてもロクデナシの母親や千春もなぜだか嫌いになれない。
終始流れる昭和の北海道の寂しいほどの空気感、千春の身体に惑わされる男達…
桜木さんのエロス漂う物語は千春が行き着く先はどこなのか、引き込まれていきます。
ラストの章で千春の子供・やや子の話で終わりますが、流れるまま生きてきた3人の生き方はこの作品のタイトルなのだとわかります。
あ〜この作品好きだなぁ _φ(・_・
もし若い頃に読んだら☆2かも…
歳を重ねるのも悪くない笑
-
桜木さん、またしてもこれですか!
ホント、どうしようもない人達ばっかり。
ろくでもないし、救いようがないし、ときにこざかしい。
でもね、愛すべき人達なんだよね。
彼女の作品の根底には常に“赦し”がある。
どんな非道なことをしてもそこを責める姿勢はない。
そもそも清廉潔白な人間なんてそうそういるもんじゃない。
白黒つけるばっかりが正しいばかりじゃないと思う。
そんな優しさが桜木さんの作品にはあるんだよね。
そこがたまらなく好きだな。
なんだろう、この余裕って昭和な感じがする。
この物語の舞台が昭和40年代ってのもあるのかな。
なんだか懐かしいんだよね、レトロで。
この作品な千春という一人の女性とそれにかかわった人達のそれぞれの物語が描かれている。
連作短編集って微妙だけど、桜木さんは巧いですね。
一つ一つの物語もそれだけで成り立つし、そこから千春の生きざまもリアルに浮かび上がってきて。
ラストの短編「やや子」、良かったです。
最後に希望を残して終わって良かった。
千春とやや子、出会う事があるんだろうか。
気になるところです。 -
桜木さんの筆で描かれる「やるせなさ」全開!
「どうにもこうにも仕方のない家族関係」が陰鬱な北国の風景に重ねながら短編で綴られる。
登場人物が少しずつリンクしつつ、中心に据えられた女性 千春に関わっていく。
千春本人からの視点は皆無ながら、各章で登場人物たちから見た彼女への印象によって千春の人物像が浮き出てくる。
既読の有吉佐和子さん『悪女について』、貫井徳郎さん『愚行録』もこういうカテゴリーで好み。
幸薄い千春が思う「こうありたい自分」が完全に封印され、ただただ周囲の欲望や期待に流され、翻弄されていく。「自分を持たない」彼女が都度味わう思いを想像する。
と同時に各章で彼女に関わる人々の状況の「のっぴきならなさ」に類似の私自身の感覚や経験が蘇る。
虐待、ネグレクト、義理父からの性的虐待、「家族」という型を保つためだけに存在する人々の怒り、嫉み、憎しみ…。列挙すれば露悪的だが、そぎ落とされた筆致のなかで人々の想いを想像する。
家族って何だろう。
自分が自分であることを諦め、通い合いたい夫婦の心を持て余し、息子を独占し肩入れしずぎてみたり、仕事に逃避したり、やり場のない気持ちを他の人で誤魔化したりする。
諦念に満ちた人々の描き方、ピカイチ。
「仕方がない」諦めきった人々の溜息が終始充満する作品ながらも、光が指す先には「自分で判断する」千春のほのかな決意が見えたから。
私自身が欲しているのは、「自分で自分の舵を取る」という生き方なのだなと感じ頁を閉じた。
実家を離れた選択で自分を責め続けてきたが、「これでよかったのだ」と思えた気がする。 -
結局人は、自分の見たいようにしか他者のことを見れない生き物である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
北海道の地に生まれた、千春という女性の半生を「他者目線で」断片的書いた連作短編集。
話がひとつ進むたび、千春もすこし歳をとっていきます。
前の話で結婚していたはずの千春が、次の話では独り身になっていたりするにも関わらず、なにがどうなって独り身になったのかはよくわからなかったりするので、まさに「断片的な」千春の姿しかわからないのが、一冊通しての特徴かもしれません。
そして「なにがどうなって離婚した??」とおもってしまう自分は、ゴシップ週刊誌を読んでいるような気持ちになってしまい、そんな自分にもやもやしてしまいました。
ゴシップ週刊誌もそうですが、千春がどうなってそこにいるのか、千春の事情を知ったとしても結局「そうなんだ」で終わりですよね。
しかも、その情報が真実とは限らない。
むしろ他者からはそう見えるおもえる、ということが書かれているだけであって、当事者たちにとっては真っ赤なウソということのほうがほとんどな気がします。
この連作短編集は、千春目線のお話は1つもなく、すべて他者から見た千春の姿しか書かれていません。
だから、前の話でみた千春のイメージが、次のお話では変化していることもあり、しょせん人間という生き物は、自分のイメージしたいようにしか人のことを見られないものなんだなあ…としみじみ思ってしまったのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1冊を通して、千春という女性の人生は薄幸な雰囲気が漂います。
薄暗く、いい香りとはいえないような空気が常にお話のなかにまとわりついています。
落ちこんでいる時に読んでしまうと、こころが負の方向にもっていかれるかもしれませんので、そうではない心持ちのときに読むことをお勧めします。 -
心情を一切明かさなかった千春が最後に言った言葉、
「母を頼ろうと思って」が、心に重く響いた。
身も心もボロボロで彷徨の果て、行き場もなくて。
そんな時、まだ母を頼ろうとした千春がいじらしく哀れだった。
何度も裏切られたのに。
どんよりと重い空気が作品全体を覆っていて、
読んでいる間ずっと息苦しさを感じていたが、最後の明るい兆しに救われた。
作者は不幸を追求することにより、
今は光の届かないどん底でも、そこからまた立ち上がれるんだよと、
逆説的に読み手の心に希望の灯をともしているように思えた。 -
なんて幸薄い親子なんだろうか。でも、それでも自分ではこれでいいと思っているのだろうか。
時代なのかな。千春がああいう人生を歩むのは。
私も幼い頃は母と離れて暮らしていた。だからなんとなく読んでみたかった。
情が薄い。それは私も感じてた事だった。そういうものなのか。
やや子は幸せになってもらいたい。 -
母であるよりも、女であることを優先させた。そんな人の娘として生まれた千春。千春を巡る連作短編集。愚鈍な千春は人生に流され、辛い経験をし、それでも時にしたたかさを感じさせる不思議な娘だ。千春を中心に様々な人の人生が、時に胸掻きむしりたくなるほどやりきれない気持ちとなって心に広がる。しかし読後は、暗闇の中、蛍の光ぐらいにぼんやりした明かりを確かに感じられる。そして千春からの視点が一切ないのがまた物語の完成度を高くしているな、と感じる。ラストの美しい言葉に感動した。でも典型的ザ・桜木ワールドというお話でやんす。
-
これといって他に特徴の無い胸の大きい女、千春が別々の物語で存在感うすく登場する。
ちらちら出て来てだんだん気になり出し、物語に引き込まれた。
素晴らしい演出だなぁ。
巨乳とは縁遠い体型の私は、もし巨乳だったらどんな感じなのか想像もつかない。
まず、走るのに邪魔だから困るよね。
でも1日だけなら巨乳になってみたい気もするなぁ。
とか関係ない妄想をした。
なかなか面白かったです。 -
桜木さんの本は「ホテルローヤル」に次いで2冊目。
北海道の地に生きる、母、娘。
娘の塚本千春の来し方を中心に描かれる。
桜木さんは「生き方」ではなく「来し方」という言葉を使われているが、その言葉が深く心に残った。
最後の「誰も彼も、命ある星だった。夜空に瞬く、なもの愛星々たちだったー。」が良いなぁ…
桜木さんの本はまだ2冊しか読んでいないのだが、何となく同じ風を感じる。
他の本もぜひ読んでみなくては。
雄が読んでもいけるだろか?
雄が読んでもいけるだろか?
退廃的
したたかでしなやか
ぜひ一作読んでみて〜♪
退廃的
したたかでしなやか
ぜひ一作読んでみて〜♪