茶の湯と宗教(茶道教養講座) (茶道教養講座 12)

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  • 淡交社
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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784473041425

作品紹介・あらすじ

〈禅だけではない。宗教と茶の湯のほんとうの関係とは。〉〈〝新しい〟「茶道教養講座」全16巻。第15回配本〉

茶禅一味という言葉によって、茶の湯は長く禅宗との関係を中心に語られてきました。その理由は、日本に茶を伝えたのは禅僧栄西である、鎌倉時代の茶は禅宗寺院の茶礼である、わび茶の美意識は禅の美学である、とされてきたことによりますが、いずれも正しい歴史認識ではありません。翻って考えれば、日本の茶の湯は、宗派を問わない寺院との関りのなかで発展してきました。いままで語られてきた茶の湯の歴史を「宗教」という視点から問い直すとともに、浄土僧・珠光、キリシタン大名・高山右近、春日社神人・久保権太夫(長闇堂)の茶の湯観をたどります。

感想・レビュー・書評

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/788102

  • 茶禅一味というのが後世に作られた話というのは聞いたことあったが、それだけに留まらないのが本書で大変勉強になった。
    栄西の茶将来説も利休時代に言われていた明恵将来説も、禅宗の寺で飲まれていたというのも誤りで、平安時代の密教儀礼に茶は使われていたし、空海や最澄も日本でも茶を飲んでいた。禅の美術は中国から移入されたもので侘びとは関係なく、冷え枯れるや枯れかじけて寒かれといった言葉は連歌の美意識で日本的なものであること。茶禅一味説は山上宗二の歴史認識によるものであること。奈良時代の香水や風炉釜、平安時代の餅茶、菅原道真も飲んでいた茶、末法の時代に新たに受け入れられた南宋の仏教と前進。点前の基本をつくったのは一服一銭の庶民の茶であり、室町将軍家で成立したとする説が否定されたこと。浄土宗に帰依していた珠光の茶の湯論と古市播磨への一紙についての解釈。キリシタンは茶の湯と親和性があったが点前などへの影響は言われている程にはないこと。利休もそんなに墨跡をかけていないこと。久保長闇堂の名は自分や同時代の周囲の人間はそんなに使っていなかったことなどなど。
    終章の「料理を食べ、酒を飲み、道具を楽しみ、そして茶碗飲み、「作意」に満ちた亭主とそれに気づく数人の逆の交流を楽しむのが本来の茶の湯」という言葉に全く同意する。

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著者プロフィール

1953年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。ドイツ、マンハイム大学に2年間留学。帝塚山大学大学院修了。博士(学術)。短大・大学教員を経て、著述業。著書に『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫)、『茶の湯と日本文化』(淡交社)、共編著に『茶書古典集成 第1巻 初期の和漢茶書』(淡交社)などがある。

「2021年 『茶の湯の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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