日本語と道徳: 本心・正直・誠実・智恵はいつ生まれたか (筑摩選書 147)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480016553

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  • 副題にもある「本心」「正直」「誠実」「智恵」という言葉の意味合いとともに、人々が好ましいとする観念も変わっていく様子を文学作品等から読み解く内容。時代ごとに見るとわずかな変化でも、長いスパンで見るととてつもなく大きな変化だったことがわかり、おもしろかった。
    特に、中世には理想的な人格者を意味した「正直者」像が江戸時代には愚直とも見なされ、フィクションの世界においても「正直者」の主人公が悪の隣人から守られハッピーエンドを迎えるためには殿さまや奉行などの第三者の手助けを必要とするようになった……というくだりは興味深い。江戸時代の「正直者」はもはや中世ほどの隙のない人格者ではなくなり、「正直」という言葉も以前のような重みこそ薄れさせてしまうが、それでも「正直」であることは人間の大切な美徳の一つであり、失われてはならないものと見なされ続けたのだろうなと感じた。

  • 定価:本体1,600円+税
    Cコード:0312
    整理番号:
    刊行日: 2017/07/13
    判型:四六判
    ページ数:256
    ISBN:978-4-480-01655-3
    JANコード:9784480016553

     かつて「正直者」は善人ではなかった!? 「誠実」な人もいなければ、「本心」を隠す人もいなかった!? 日本語の変遷を通して、日本的道徳観の本質を探る。

     本音トークがもてはやされている。「本心」を包み隠さず「正直」に口に出すことが、あたかも「誠実」の証しであるかのように言われる。そして時に、タテマエに立ち向かう正義の人という印象さえ帯びる。しかし、かつて「本心」を隠す人などいなかった。「誠実」な人も存在しなかった。「正直」者は馬鹿呼ばわりされたこともある。いったいいつから「本心」や「正直」が、正義と結びつくようになったのか――。今日の倫理観は必ずしも日本古来のものではない。中世から江戸期をへて今日に至る道徳観をめぐる言葉の変化を丁寧に跡付ける意欲的な日本精神史。
    http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480016553/


    【簡易目次】
    第1章 本心
    第2章 正直
    第3章 誠実
    第4章 智恵

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著者プロフィール

1962年生まれ。日本史学者。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得退学。江戸文化を研究。著書に『血の日本思想史――穢れから生命力の象徴へ』(ちくま新書)、『日本語と道徳――本心・正直・誠実・智恵はいつ生まれたか』(筑摩選書)、『民話・笑話にみる正直者と知恵者』(研成社)、『子どもたちは象をどう量ったのか?』(柏書房)、『親子で楽しむこども和算塾』(明治書院)、『江戸のくずし字学習図鑑』(東洋書店)、『江戸ちえ』(中経出版)、『江戸時代の科学者』(全4巻、汐文社)など。

「2022年 『「新しさ」の日本思想史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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