『往生要集』入門 ――人間の悲惨と絶望を超える道 (筑摩選書)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480017123

作品紹介・あらすじ

地獄と極楽――源信は、不条理に満ちた人生をもがきながら生きている私たちを包摂する世界観を提示した。法然と親鸞が揺るぎなきものとした浄土仏教の源流とは。

感想・レビュー・書評

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  •  本書における著者のスタンスは、人間は誰でも「苦」や「限界状況」に直面してしまう可能性があり、そうなったときに頼れる「大きな物語」が必要である。しかしそれは、独りよがりのものではなく、道理にかなっているかを見定める必要がある、というところにあるだろう。その視点から源信の思想を読み解こうとしている、と感じる。
     そして、それを根拠づけるものとして、ある種の因果(つまり、「教えを聞いて感動して信じる者は、彼らがすでに前世で仏道を行じていたから」)で説明する。私も、なぜ信じる者と信じない者が生まれるかは、「前世」でなくとも、これまでの「学び」によるところが大きい、という説明で納得できる。その人の積み重ねてきた経歴で、判断以前のものを形成する資質、と言えばいいのかもしれない。しかし、それらの根(因)のない者(「人道」に出てきたばかりの者、と説明している)は、教えを信じず、独りよがりの「大きな物語」(陰謀論やカルト)に頼ってしまう。なぜなら、誰でも「苦」や「限界状況」に直面する可能性があり、そのとき何かに救いを求めてしまいから。
     ここから「浄土思想」を評価する姿勢が読み取れる。
     大乗仏教では、様々な非歴史的な「仏」が生み出されていることを重視する。それはブッダから隔たっており、教えを実践できない時代の、経典の教えの象徴として必要とされたものであろう。もちろん阿弥陀仏もその一つ。
     阿弥陀仏の廻向とは「法藏《ほうぞう》菩薩の時代に得た功徳の一切を、悪人たちに振り向けること」で、浄土教の根幹となるものだろう。
     そして、源信は、浄土に生まれて「仏」になりたいと願う「菩提心」を重視する。娑婆世界では本質的な修行はできないので、阿弥陀仏を「観想」することで、自身と向き合い、その後に阿弥陀仏の「宿願力(廻向)」にすがり、浄土に生まれ、そこで「仏」となるのを重視しているのだ。
     源信の『往生要集』が九八五年、法然の『選択本願念仏集』が一一九八年、この二百年の間で、時代がより困難になったのか、僧侶に凡夫の苦しみが身近となったのか、法然では、「菩提心」より阿弥陀仏の「宿願力」が重視され、口称念仏によって「浄土」に生まれることのみ説かれ、そこで「仏」になることについては触れられない。

  • まぁこんなものかな。ざっと駆け足で粗筋紹介的な。学ぶものではないしね。

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著者プロフィール

阿満利麿(あま・としまろ):1939年生まれ。明治学院大学名誉教授、同人誌「連続無窮」主宰。著書に『法然の衝撃』『親鸞・普遍への道』『歎異抄』『親鸞からの手紙』『柳宗悦』『『歎異抄』講義』(以上、ちくま学芸文庫)、『無宗教からの『歎異抄』読解』『人はなぜ宗教を必要とするのか』(以上、ちくま新書)、『日本精神史』『『往生要集』入門』『『教行信証』入門』(筑摩書房)、『選択本願念仏集』(角川ソフィア文庫)などがある。

「2023年 『唯信鈔文意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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