ギリシア悲劇 4 エウリピデス 下 (ちくま文庫 き 1-4)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (711ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480020147

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  • 古代ギリシアの三大悲劇詩人のひとりエウリピデス(前480?-406?)が物した作品のうち、現存する全19篇を上下巻に収録。彼の生涯は、ソフォクレスとほぼ同時代で、晩年はアテナイ民主制の終末期と重なる。

     上巻
      アルケスティス
      メデイア
      ヘラクレスの子供たち
      ヒッポリュトス
      アンドロマケ
      ヘカベ
      救いを求める女たち
      ヘラクレス
      イオン
      トロイアの女たち

     下巻
      エレクトラ
      タウリケのイピゲネイア
      ヘレネ
      フェニキアの女たち
      オレステス
      バッコスの信女
      アウリスのイピゲネイア
      レソス
      キュクロプス

    エウリピデスの作中に登場するギリシアの神々は、人間を超越した力を揮いながらも、その言動や感情は人間臭いところがあり、妙に親しみを覚えてしまうところがある。超越的な存在であるはずの神々が、人間と同水準に降りてきて張り合っているようだ。

    「アプロディテ [略]、この世に生を享けて住まう人間のうち、わが神威を怖れうやまうものは栄えさせるが、いやしくもわれに向って思い上った振舞いをいたすものは、ことごとく打ち倒す。神といえど、人間にうやまわれてうれしく思う、そのような情に変りはない」(上巻p203ー204「ヒッポリュトス」)。

    しかしエウリピデスも、アイスキュロスやソフォクレスと同じように、人間が自分の知性を恃みに神々によって表象される超越的な価値を蔑ろにするその傲慢を、繰り返し批判している。

    「コロス 古来より守り来れる法を越えて/想いを馳せ、事理を探るは正しからず。/神霊の在すを信じ、/幾世を継ぎて法となれるは/本然の理に根差し/真理もまたここに在りと/思えば費え少なからん」(下巻p497「バッコスの信女」)。

    「コロス 人間の力をもちて/克ち難き神に克たんと/惑う心の愚かさよ。/ただ死のみ、かかる惑いを匡すべし。/いやしくも神霊に関わることは、抗がわず、/ひたすらに人間のほどを守る、/かくてのみ憂いなき生こそはあれ。/[略]/夜も昼も、心を清く敬虔に持し、/誤れるならいを捨てて、神を敬う。/かくてのみ人みなは/幸ある生を送るべし」(下巻p504ー505同前)。

    その一方でエウリピデスは、理不尽な神々への恨み節や呪詛を登場人物に言わせており、しかも作者として彼らの心情に同情を寄せているのではないかと感じられる箇所もある。神々の秩序だけでは人間世界の不条理を繕うことができなくなっていたのだろうか。アテナイ崩壊前夜の過渡期ということで、人心が不安定であったことの現れなのかもしれない。

    「ヒッポリュトス ああ、人間の呪いが、神にもかけられたらよいのに」(上巻p272「ヒッポリュトス」)。

    「ヒッポリュトス 神の御心に背くまいと、尽くして参りました苦労の数々も、誰のためにもなるのではなし、つまらぬ骨折損でございました」(上巻p269同前)。

    「ヘカベ おお、神々よ。――いや今さらなんで神の名をよぶことがあろう、これまで幾たびもその名を呼んで祈ったのに、かつて聴いて下されたことのない神々であるのに」(上巻p701「トロイアの女」)。



    エウリピデスの物語は、登場する女たちが強い印象を残すものが多い。「ヒッポリュトス」や「メデイア」で描かれている、激しい情念に突き動かされた女たちの凄惨な姿は、読む者をぎょっとさせる。不倫の恋や血みどろの復讐譚などは、下世話で通俗的な楽しみ方もできる。俗受けしたからこそ、他の悲劇詩人と比較しても多くの作品が現存しているのかもしれない。

    エウリピデスは私生活において二度の結婚の失敗を経験しており、それゆえに女性に対する不信感を募らせていたことが、彼の作品に描かれた女性像に影響を与えている、という説があるらしい。その真偽はともかくとして、一方で、家父長制の抑圧に喘ぐ女たちの悲哀を描く筆は、女が置かれている状況に対して同情的であるようにも読めるが、他方で、女の情念の発現を殊更に不気味なものとして描きあたかも男としての自分の属性から切断して異物化しようとする姿勢は、典型的な女性恐怖=女性嫌悪の現れであるようにも思う。いずれにせよ、そこで描かれている女の苦難やそれに対する男からのミソジニー的な視線は、長い時を経た現代の日本社会においても広く見出される普遍的なものだ。

    「メデイア この世に生を享けてものを思う、あらゆるもののうちでいちばんみじめな存在は、わたくしたち女というものです。だいいち、万金を積んで、いわば金で夫を買わねばならないし、あげく、身体を献げて、言いなりにならねばなりません。[略]いい男を掴むか、悪いのにぶつかるか、それが、運命のわかれ路になるのです。離別するということは、女の身には聞こえもよくないし、かといって夫を拒むこともできないのですから。未知の生活習慣の中へ飛び込んで、女というものは、あらかじめ家で教えられてもいず、どうして夫を扱えばいいか、予言者ででもない限り知るすべもないのですし。[略]男の場合には、家の者が面白くなければ、外に出て憂さをはらせますが、わたくしたち女は、ただ一人だけを見つめていねばなりません。女たちは家で安穏な生活を送っているが、男は槍を執って戦に出ねばならないではないか、などと言いますね。大間違いです。一度お産をするくらいなら、三度でも戦場に出るほうがましではありませんか」(上巻p87ー88「メデイア」)。

    「メデイア その上に、女と生れた身ではないか、善いことには、まるで力がないくせに、悪いことなら何事にも、いちばん巧みなやり手だという、女と生れた身ではないか」(上巻p94同前)。

    「イアソン まったくだ、女なぞこの世にいなくて、どこか別のところから子供が出来るのだとよいのだが。そうすれば、人間には、禍いという禍いがなくなるであろうに」(上巻p102同前)。



    本書を読みながら考えたこと。

    性的資源としての女を男に分配するために、家父長制は婚姻制度や性規範などの社会的文化的な装置を張り巡らせて、女たちからその主体性を奪おうとする。女たちが、家父長制の文化に自己を同一化してそれに従属することを強いられる姿(同一化しきれず家父長制の抑圧に苦しむ姿も含まれる)は、男の性的欲望の引き金になる。ここに、女に対する男の性的欲望の実相があるのではないか。

    そもそも男は、自分の性的欲望を刺激して自らの理性を翻弄し無化してしまう女の存在を、恐れている。女は男の主体性に対する脅威であり、その意味で男にとって女は敵対的な存在である。そのため男は、女から主体性を奪って以て性的客体に貶め、一方で男の性的主体性を保持したまま、他方で女から性的快楽を(自分と対等な他者と向き合うという緊張を強いられることなく)掠め取ることで、女に対する恐怖を克服し、女への復讐を果たそうとする。男の性的欲望は、「女は男の性的欲望を充足させる為だけの存在である」という、女に対する男の支配を確認する作業それ自体ではないか。つまり、男の性的欲望は、女そのものによって惹き起こされる生理的な欲望であるばかりでなく、男が女を性的に支配しているという事態によって惹き起こされる文化的な欲望なのではないか。

    家父長制は、このような女に対する男の支配の装置として、機能している。つまり、男の性的欲望は家父長制に自己を同一化することを強いられる女に対する欲望であり、そこでは家父長制が男の性的欲望を逆規定しているのであるから、その意味では男の性的欲望は男の自己愛となる。男の性的欲望は自閉している。

  • エレクトラ、イピゲネイア、オレステスの兄弟好きです。
    バッコスの信女、入信を希望する笑
    キュクロプスも面白く。エウリピデスの描く人間模様の妙な俗くささが面白いなと思います。

  • ついにギリシア悲劇全巻読み終えた。まだまだ読み足りない。ギリシアの世界の豊饒さと作者の創造力に栄あれ。『タウリケのイピゲネイア』『フェニキアの女たち』『バッコスの信女』が特に良かった。

  • 最晩年の「バッコスの信女」や「アウリスのイピゲネイア」が完成度が高い感じがした。
    唯一現存するサチュロス劇である一つ目の化け物を扱った「キュクロプス」もちょっとエッチで滑稽で面白かった。
    ニーチェさんは悲劇を貶めたとエウリピデスさんを批判していたけれどなんか人間っぽくて憎めない感じがした。やっぱりまんなか50だなぁ~
    特に「バッコスの信女」の中のコロス(合唱隊)の詩句が心に残った。

    いつの日かまた夜をこめて
    舞い舞い折の来たれかし、
    夜目にも白き脚をあげ、
    露含む山気のうちに
    頸(うなじ)をばうちふるいつつ。
    さながらに若鹿の、
    声高に犬を促す
    狩人の声をしり目に
    めぐらせる網を乗り越え
    勢子たちの守りを破り
    逃れきて心も楽しく
    緑なす野に跳びあそぶごと。
    ひたむきにかぜのごとく
    川沿いの野を駈け抜けて、
    人気なき森の葉蔭を
    楽しめる小鹿さながら。

    人の世に何をか知とは呼ぶ、
    いなむしろ
    敵をば打ちひしぐその快さ、
    いかなる神の賜(たまもの)ぞ
    かくはめでたき、
    めでたきことはまたつねに快きもの。

    神の力の顕われは
    急がず、されど過たず
    人間の心狂いて
    我執に迷い
    神々を敬わぬものあれば
    神意はこれを匡(ただ)したもう。
    ゆるやかに流るる時の歩みをば
    巧みに秘して、神々は
    不敬の輩を討ちたもう、
    古往より守り来たれる法(のり)を越えて
    想いを馳せ、事理を探るは正しからず。
    心霊の在(いま)すを信じ、
    幾世を継ぎて法(のり)となれるは
    本然の理に根差し
    真理もまたここに在りと
    思えば費(つい)え少なからん。

    人の世に何をか知とは呼ぶ、
    いなむしろ
    敵をば打ちひしぐその快さ、
    いかなる神の賜ぞ
    かくはめでたき、めでたきことはまたつねに快きもの。

    仕合わせは、海の上
    嵐を逃れ、つつがなく港に入るとき、
    仕合わせは、苦労を終えて憩うとき、
    またさまざまに富を追い、
    名を求めては
    他を凌ぐも快し。
    さらにまた人それぞれに
    希望(のぞみ)あり、よき首尾にかなうもあり、
    また泡沫(うたかた)と消え去るもあり。
    それゆえに今日また明日と、
    その日々に仕合わせあれば、
    それをしも真(まこと)の幸とわれは呼ぶ。

    (「バッコスの信女」P495より)


    エレクトラ
    タウリケのイピゲネイア
    ヘレネ
    フェニキアの女たち
    オレステス
    バッコスの信女
    アウリスのイピゲネイア
    レソス
    キュクロプス

  • 『エレクトラ』

    『タウリケのイピゲネイア』
    アリウスで生贄にされかけたイーピゲネイア。タウリケーで巫女として暮らす日々。父アガメムノンを暗殺した母親クリュタイメストラを殺害したことで狂気に襲われ復讐の女神たちに追われるオレステス。親友であるピュラデスと共にタウリケーの神殿に奉納されている神像を盗み出そうとする。漂流者を生贄として神に捧げるタウリケーの人びと。彼らに捕まり神殿に連行されるオレステスとピュラデス。イーピゲネイアとの再会。穢れた生贄として神像と共に海での清めを願い出るイーピゲネイア。

    『ヘレネ』

    『フェニキアの女たち』

    『オレステス』

    『バッコスの信女』
    新しい神ディオニューソス。彼の神性を疑う従兄弟でテーベの王ペンテウス。ディオニューソスの信者となり他の女たちと儀式に参加するペンテウスの母アガウエー。ペンテウスに近づくディオニューソス。女性に変装しバッカイの儀式を除くペンテウスを襲う悲劇。

    『アウリスのイピゲネイア』

    『レソス』

    『キュプクロス』

  • 「ヘレネ」が読みたくて第4巻のみ購入。戯曲ですが登場人物たちがセリフの中で状況を説明してくれるので思ったより読みやすいです。ギリシャ神話に関する本はわりとエピソードが中心になっていて、読み物としてはもう少し詳しい描写がほしいと思うようになりました。あくまで神話を戯曲化したものですから、当然史実ではないし、伝承そのものでもない。けれど状況や感情など、あらすじを聞いただけでは分かりにくいところを想像する糸口になります。トロイア戦争の原因となったヘレネはそもそもパリスに気持ちがあったのか。実の娘を生け贄にしようとしたメネラオス王は多少は葛藤があったのか。エレクトラとオレステスはどうやって実の母親を殺し、気持ちの折り合いをつけたのか。…などなど。 知識ではなく、物語として楽しめました。
    古典劇のコロスというのは実に便利ですね。登場人物でもあり説明役でもあり合唱隊でもあり。現代の演劇にあっても良さそう。

  • 舞台観劇の予習用。
    途中で挫折・・

  • エウリピデスの「エレクトラ」、「タウリケのイピゲネイア」、「ヘレネ」、「フェニキアの女たち」、「オレステス」、「バッコスの信女」、「アウリスのイピゲネイア」、「レソス」、「キュプクロス」を収録。

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著者プロフィール

関西外国語大学教授、大阪市立大学名誉教授
1942年 岡山市生まれ
1970年 京都大学大学院文学研究科博士課程中退
2005年 京都大学博士(文学)
和歌山県立医科大学教授、大阪市立大学教授を経て現職

主な著訳書
『ギリシア悲劇全集』5・6巻(共訳、岩波書店)
『ギリシア悲劇全集』別巻(共著、岩波書店)
『ギリシア悲劇研究序説』(東海大学出版会)
カリトン『カイレアスとカッリロエ』(国文社)
『女たちのロマネスク──古代ギリシアの劇場から』(東海大学出版会)
アルクマン他『ギリシア合唱抒情詩集』(京都大学学術出版会)
『旅の地中海──古典文学周航』(京都大学学術出版会)
『ギリシア悲劇──人間の深奥を見る』(中公新書)
『ギリシア悲劇ノート』(白水社)
『ギリシア喜劇全集』3・8巻(共訳、岩波書店)
『ギリシア喜劇全集』別巻(共著、岩波書店)
『食べるギリシア人──古典文学グルメ紀行』(岩波新書)
エウリピデス『悲劇全集』1・2(京都大学学術出版会)

「2014年 『悲劇全集3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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