ノラや―内田百けん集成〈9〉 ちくま文庫 (ちくま文庫 う 12-10)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480037695

作品紹介・あらすじ

『猫は煙を気にする様である。消えて行く煙の行方をノラは一心に見つめている。…「こら、ノラ、猫の癖して何を思索するか」「ニャア」と返事をしてこっちを向いた。ノラはこの頃返事をする。』(「ノラや」より)。百〓@6BE1@宅に入りこみ、ふいに戻らなくなったノラ。愛猫の行方を案じ嘆き続ける「ノラや」を始めとして、猫の話ばかりを集めた二十二篇。

感想・レビュー・書評

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  • 以前アンソロジーでノラ失踪の話を読んでいたが、今回猫の話ばかり22篇を集めた本書を読み改めて愛情の凄まじさを感じた。70才前頃ノラに巡り合った百閒。ノラ喪失に号泣しその後クルツを看取りまた涙する。初期の不気味な猫話との差が激しい。

  • ノラを思って取り乱す様は痛々しくて、こちらの胸まで締め付けられるようだった。

  • 夏目漱石の門下生の一人、内田百間の飼い猫にまつわる短編随筆集。
    ペットロス小説のはしりとも言える。
    ノラがいなくなり、憔悴しきって涙を落とし、食べ物も喉を通らない百間の異常なまでの猫愛は心に染みる。

  • 元々筆者は猫好きなのかと思っていたので、冒頭の数話を読んで驚いた。

    ノラがいなくなってから内田百閒が毎日泣き暮らす様は、本全体がぐっしょり濡れているかのようだった。
    ノラやノラやでは、筆者が無事ノラが戻った際の書き出しや、感謝の折り込みチラシの文言まで用意していたことが書かれており、それだけノラの帰りを待ち侘びていたことが伺えて胸が締め付けられる。

    今後わたしは木賊を見るたびノラのことを思い出すだろう。わたしの実家にも木賊が生えているが、実家の黒猫が木賊を抜けて帰らなければどんなに悲しく心配か想像もつかない。

    猫の手や耳の描写に、その愛らしさが表れていた。実家の猫に会いたい。


    あとがきの稲葉真弓さんが、猫を飼うことを「猫に体を預ける」と描写していてまさにその通りだと感じた。猫を飼っているのがこちらであれば、その飼い猫に支えられているのもまたこちらなのだ。

  • 猫虐待をする著者が、なぜか愛情を傾ける羽目になった猫に固執するさまがおかしい。猫の喪失に嘆く姿は、転化された過剰な自己愛に他ならない。

  • 昭和32年3月27日のうららかな午後の庭の木賊の茂みを抜けてどこかへ行ってしまった猫の「ノラ」。猫探しに奔走し、電話番号を記した新聞に折り込み広告を入れ、イタ電もかかってくる中、百閒の慟哭は留まる所を知らない。嗚咽し号泣し涙は滂沱と流れ、毎日入っていた風呂に失踪後35日目にしてやっと入るが、いつもノラが風呂蓋の上にいたので風呂蓋に顔を押しつけ「ノラやノラや」とまた号泣。失踪2ヶ月後にノラに良く似たシッポの形だけが違う猫が居着き「クルツ」と命名し、5年3ヶ月後に最期を看取る。失踪後13年経ても何か心に引っかかる時、割り切れない時につい口をついて出てしまう言葉、「ノラや」。ノラやクルは私共の心の中にいるとの記述に涙。クルツの場合はしてやれる事は全部したが、ノラにはしてやれない事が多々有り後悔に苛まれる百閒の慟哭は、猫を飼っている者として何時かやってくる別れに際して肝に銘じておこうと思う。

  • 以前にNHKで放送した番組でホロリと来て読んだのだが、文章だけにも関わらずこちらの方が泣けた( ;∀;)
    猫を飼ったことある自分には、とても共感できた。

    あまり猫を好きでなかった老百閒がふとした成り行きで野良猫を飼い、どんどん猫好きになっていく描写が微笑ましい。
    (彼曰く、猫が好きでなくノラとクルだけが好きらしいが・・・)

    その後、猫の失踪に日々泣き続け、新聞の折り込み広告を作る老人・・・
    その狂気とも言える愛情の描写にどんどん引きこまれていく。

    それと、事実だからドキュメンタリーなんだけど、文章はとても軽妙洒脱で素晴らしい。

    印象に残った文章としては・・・

    家内がお勝手でノラを抱いて、「いい子だ、いい子だ、ノラちゃんは」と歌う様に云いながら
    そこいらを歩き廻ると、ノラは全く合点の行かぬ顔をして抱かれていた。
    その様子の可愛さ。思い出せば矢張り堪らない。

  • いなくなってしまった
    ノラ(とクルツ)の事を
    嘆く百閒さんの記録
    滂沱の涙と
    右往左往する様

    周りの人たち
    (中には悪意な人もいるけど)
    特に警察が気遣ってくれてるのが
    人情味ある時代だなぁと思った

    ブックオフ妙興寺店にて取り寄せ

  • ネコに関わる短編集で、ネコ好きの人が主人公?と思っていると最初の3篇ははぐらかされます。
    最初は主人公が下宿兼宿屋のような所で暮らしていて、ネコが部屋にやって来てもさほど可愛がる様子も見られません。この3篇は、ここではちょっと特異で、ネコに化かされたような話もあります。

    奥さんと一緒に暮らすようになってからは様変わりします。ある日隣の家の軒下で野良猫が子どもを産み、子猫が主人公の家に住み着いてしまいます。ノラと名付けて可愛がりますが、1年半程経ったある日失踪してしまいます。

    そのあとが大変で、ほうぼう探し回るのは勿論、何回も新聞広告に載せて、探してくれた人には3千円謝礼を払うとまで言う。昭和32年の3千円は今の3万円位になるのかな?そしてネコを偲んで大の男がおいおい泣く。

    そのうちノラによく似たネコが家に住み着くようになり、クルと名付けて飼うのだけれど、クルが悪戯すると
    「ノラはそんな事はしなかった。所詮ノラの代わりにはならない」
    などと言いながら、このネコは5年以上飼って病気で亡くなるまで看取る。

    読んでると、地域の人達が温かくて、親切に情報提供してくれたり励ましてくれる。なんか、いい時代だなと思えた。

    この話はいわゆるペットロス、喪失感がテーマなんだと思うけど、病気で死ぬまで見届けたクルよりも、突如居なくなってしまったノラへの喪失感は計り知れない位大きい。

    想定外のアクシデントに対応するのは、人間にとって物凄く大きなストレスなのかもしれない。

  • 「阿房列車」以来の内田百閒先生。アク強く作り込んだ阿房列車とはまた雰囲気の違う、猫にまつわる日常を綴るエッセイ集。猫一般が好きなのではなくたまたま飼うことになった「ノラ」が好きなだけだ、という感覚はペットの話に限らず共感する人も多いのでは。それにしてもノラに関わるとある事件の中で我を失っていく百閒先生の姿には胸が打たれるというか、よくこの描写を出版物の形にまとめられたなと。最近日記サボりがちだったけどちゃんと書こうと思い直しました。百閒先生、次は何読もうかな。

  • ノラや―内田百けん集成〈9〉 ちくま文庫
    (和書)2010年05月06日 00:47
    2003 筑摩書房 内田 百けん


    猫。

    前から読んでみたかった。

  • 百閒先生にとってのノラ、クルツは私にとってよゴマとムギ。猫好きの誰もが思い当たる話ではあるが、度合としてはかなり深刻な猫狂いである。が、それが良い。百閒先生の良いところは、鉄道にしてもそうだが、その突出した思い込みと突破力にある。

  • 2019/10/14

  • 7-9月 *移動図書
    請求記号:T-う ちくま文庫
    所蔵館 2号館図書館

  • 先生の身のうちからでる
    「ノラや ノラや」
    と呼ぶ声に 導かれて
    書かれたんじゃないかしら

  •  内田百閒の猫についての短編を集めた一冊。

     特に自身の飼い猫ノラとクルツのものが熱い。ノラという飼い猫がいなくなってしまい、ビラを配ったりして1年以上探す様は異常とも思えるが、どこか愛らしく理解できる。
     面白いのは内田百閒は猫好きでなく自分の飼った2匹の猫だけが好きなのだ。きっと猫好きには一人ひとりに独自の猫哲学があるのだろうなぁ。

     猫好きにはたまらない一冊。

  • 16/06

  • 2015年度今週の1冊
    明日の2月22日は、猫の日です。
    猫に始まり、猫に終わるこの本、オロオロという言葉の意味を体感したい方、読んでね。
    (2015/2/21)

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • どこまでもノラ、クルツへの愛情が綴られている。
    これだけ愛される猫もまれではなかろうか。
    百閒の人間性のあふれる一冊。

  • 百鬼園先生の悲しみがひしひしと伝わってくる。

  • ■2014.04 TV再放送

  • 愛するノラがいなくなってから、涙し、探す日々。自分のことに置き換えて読むと同じように涙せずにはいられなかった。新聞に入れられたノラを探すチラシが延べ3万枚だっていうんだから、すごいよね。

    クルス(クル)は最初、ノラに比べるとあまり賢くない、みたいな言われようをしていたが、時間が経つに連れ、ノラと同じように賢いことになっていて、知らず知らずのうちに客観性がなくなっていくのが分かるというか、それだけかわいくなっていったんだなぁというのがものすごく見てとれた。

    ただ「ノラじゃないか」という電話や知らせがあったときは必ず奥さんや弟子に行かせるところがなんとも。。「なんで自分で行かないんだ!」と何度思ったことか(笑)それだけ偉い人ではあったんだろうが、まぁ時代を感じさせるというかなんというか(笑)

  • いなくなった猫への思いが、我が子を思うように綴られている。
    これって、ペットロス症候群?とかいうのかな?
    毎日泣き暮す様子が、ちょっと引くくらいだ。何かと言うと泣く年寄り・・・みたいな。
    たかが猫くらいで、と思わなくもない。
    けれど、本人にとっては家族だったのだろうな、と思うと、無理もないと思う。
    何よりも、最初は、猫を飼いたいと思って飼ったのではない、自然に居着いたのだ、くらいな突き放した書きようだったのが、いなくなった途端に本人にも信じられないくらいの喪失感をもたらしたようだ。

  • 初の内田百閒。なるほど漱石門下と思わせるほどユーモアたっぷりでした。
    猫の気持ちを主観の如く感じ取り、猫に寄り添うご夫婦の日常の描写から猫への愛情が切々と伝わります。動物と生活したことのない私ですが、動物と人間の深い心の繋がりをあたかも経験したような読後感。人間同志は、なかなかこうはいきませんね。

  • いなくなった飼い猫を探す話。
    以上。
    ・・なのですが、今ままで小耳に挟んだ感想が「笑った」か「泣いた」。ここまで別れる話は珍しい。
    つまることこ、いなくなったのが「猫」なところがポイントなのでしょう。「大の男が小動物一匹をオロオロとさがす話」なら笑えるし、「失踪した大切な存在を必死にさがす話」なら泣ける。 ・・そういう意味でもこの作品は絶妙だと思います。いなくなったのが「家族」や「友人」ならただただひたすらおもく悲壮ですから。
    『なぜ今夜もそうして帰ってこないのか。』
    『朝の覚め際の夢にノラがいた。』
    『ノラやノラや、今お前はどこにいるのだ。』
    わたしは「泣いた」派なのですが、それでもおかしかったのは、悲壮なくらい必死にさがしておいでなのに、似た猫を見つけた時、最終的に見分ける責任者なのは奥方であること。
    気に入っているのは、『合点のいかぬ顔をして』奥方に抱かれていたりする、いなくなったノラの思い出話のかずかず。偏屈オヤジ、さすがの観察眼です。

    最後に、【ノラや】は今何種類かでていますが、その中でもこれにしたのは表紙が気に入っているからです。端正さやバランスが好みなのもありますが、なにより猫でないのがいい。これは、猫ではなく、人間のこころのはなしだと思うので。

  •  愛猫が行方不明になり悲嘆に暮れてパニックに陥る作者の日記をベースに書かれた表題作「ノラや」。これって今でいう「ペットロス症候群」のはしりでは。動物を飼った人ならその気持ちは痛いほどわかる。70歳前の地位も名誉もある大作家の胸をここまで痛めさせる猫の可愛さ。狼狽している中で書かれたにもかかわらず、猫探しの切迫感、臨場感がひしひしと伝わってくる。親切にしてくれるにもかかわらず、余計なひと言をいう友人に対する悪態も赤裸々に語られていて、猫を飼っている者としてその気持ちがよくわかり、この辺りは思わずクスッとしてしまった。
     その他、表題作に関連する作品とノラの後に飼われた猫「クルツ」の闘病記も併せて収録。その他の幻想的な猫話も入っているが、それらはいまいちよくわからなかった。
     

  • 中公のと合わせて。「鵯」を読むと驚くというか、「猫好きではない」という言がわかる気がする。ノラとクルだから可愛いくて、ノラとクルがいたから猫を可愛いと思ったんだ。

  • 九つの、物語より。同時期に内田百間について研究している先輩に会ったので。

    文章は読みやすく、ある程度の昔加減を感じられたので満足。しかし読み返したいとも好きだなぁとも思わないくらい。

  • 読んではおいおい泣いています

  • ノラとクルツ、二匹の猫に対する愛情溢れる随筆集。
    ただ、帰らないノラを求めて煩悶する姿は
    ちょっと尋常でなく、
    百閒先生のエキセントリックさがよく表れていると思う。

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