- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480059772
作品紹介・あらすじ
人はなぜ、「美しい」ということがわかるのだろうか?自然を見て、人の立ち居振舞いを見て、それをなぜ「美しい」と感じるのだろうか?脳科学、発達心理学、美術史学など各種の学問的アプローチはさまざまに試みられるであろう。だが、もっと単純に、人として生きる生活レベルから「審美学」に斬り込むことはできないだろうか?源氏物語はじめ多くの日本の古典文学に、また日本美術に造詣の深い、活字の鉄人による「美」をめぐる人生論。
感想・レビュー・書評
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美的感受性を育てるには
「リラックスを実現させる人間関係(幸福の実感)」+「自分の所属するもの以上に良いものがあるという実感・期待」が必要。
美しいと感じるのにも↑は必要なんだと思った。
失われた幸福を実感させてくれるような、孤独を忘れさせてくれるような、
やるせない・寂しいような美しさを感じるには、幸福を実感した経験があるからなのかもしれないなと感じた。
そう思うと、やるせない・切ない気持ちになることは、
幸福を知っている証明なのでポジティブなことなのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一本グソのとこは笑った
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本書で著者は、「美しい」とは「合理的」ということだと主張します。ただし、「美しい」が自分のなかで生じる感動なのに対して、「合理的」は「他人の立場からの説明」である点にちがいがあり、それゆえ「合理的」ということは「他人の声」として理解されるものだとされます。「感動してしまった自分自身」を納得させようとして、ことばに出して説明するとすれば、それもまた「他人の声」です。
そして著者は、「美しい」という感動に打たれてしまったとき、ひとはそれを理解するためのことばにたどり着くまでに「時間がかかる」といいます。「美しい」とは、合理的かどうか判断するまでの時間のなかに存在するのです。しかしその一方で、対象が自分にとってどのような利害をもたらすのかという「合理的」な判断をおこなう以前の、「美しい」という体験は、「自分とは直接にかかわりのない他者」に出会うことを意味していると著者は述べます。
「自分はこれを美しいと思うが、あなたはどう思うか?」という話をするとき、人は「おどおど」するということから、「美しい」と「孤独」をめぐる考察に進んでいくところなど、著者らしい繊細な視点が示されていて、興味深く読むことができました。 -
美しいという感情はどこから湧いてくるのか。
そして何故そのような感情を持つのか。
答えのない難題に論理立て、自らの経験や古典文学を引用して答えていく筆者の頭の良さと論理力と感性に感服する本。
内容については概ね同意。
読者のおすすめ
論理的と言われるが内面ではセンチだったりロマンチストな人 -
読んでいて自分は理解できているのか、わかって読んでいるのか、文字の羅列を追っているだけじゃないかと不安になった。途中で(芸能知識的に)わからない例が出てきてわかならいと思う部分があるなら他はわかってるのか、よかった。と思った。要するに、「知っているか知らないか」「知らないと判断できない」と言うところかと思う。人は全てを知らないくせに全てを知ったかのように何かを好きだと言う。判断材料が揃った思えるかどうかは人それぞれではあるが…。みたいなぐるぐるする思考回路を本にしたような読み物。よく言語化できたな…と驚く。国語の問題に話が面白かった。小学生の時から疑問だった。同じ事考えてる人がいて嬉しかった。もう一回読みたい。そもそも題名が素敵。
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美しいとは何か、を言語化しようと読書。自分の思う答えはみつけられなかったが、美しいとは合理的、機能美、主観、整っている、落ち着かせる、幸福、これらキーワードかなと思う。
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『枕草子』を書いた清少納言が「時代の中に生きた美の冒険者」であるのに対して、『徒然草』を書いた兼好法師が、「時代の中に生きなかった美の傍観者」であるという違いです。
だから、兼好法師は出家してしまう。
→徒然草=「隠者の文学」はつまんねぇ
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『徒然草』は「王朝の美学」を語ることに挫折した男による、日本で最初の「人間世界」を語るエッセイ集です。気がつけば「王朝の美学」はもう遠くに去っていて、自分の目の前には「美」を欠いた雑な「人間世界」があった。つまり、「現実に目を向けた」です。
→出家=世を捨てることの意味
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批評に必要なのは、「終わってしまった領域の確定」で、だからこそ対象化は、「過去にする」を必須とするのです。
国破れて山河あり -
タイトルから推測されるような固い本ではない、(毎朝)実感あるあるの一冊。