解離性障害: 「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書 677)
- 筑摩書房 (2007年9月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480063830
感想・レビュー・書評
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【目次】
第1章 解離性障害とはどういうものか
第2章 解離以前の体験
第3章 彼女たち(彼ら)はどのように感じているか―解離の主観的体験
第4章 解離の構造
第5章 外傷体験は解離にどのような影響を与えるか
第6章 解離の周辺
第7章 解離とこころ―宮沢賢治の体験世界
第8章 解離への治療的接近詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分を知る為に読んだ
離人についての記載多数アリ -
「解離」と聞くとなにを思い浮かべるでしょうか。少し心理学などに興味のある人なら、「意識をとばす」とか「健忘」とか「交代人格」といった、賑々しい(華々しい?)現象を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかしこの本では、解離という現象の本質はそんなところにはないと言います。解離体験の本質は、「誰かに見られている(被注視感)」「周囲に誰かいる(気配過敏)」という感覚であったり、「世界が生き生き感じられない(離人)」という感覚だったりするというのです。
大学院のゼミで一緒だった友人が、ゼミでの研究報告の折に「離人だけが症状として現れる症例は、きわめて少ない」というようなことを語ったことを思い出します。実際、健忘や人格交代といった「典型的」な解離性障害の症例は、「特定不能」例よりもずっと少ないそうです。私たちが考える以上に、こころの病気の周辺は広大で、境界のあいまいな領域を持っているのかもしれません。
そしてこれらの体験は、夢、空想する傾向、体外離脱体験、共感覚、想像上の仲間(imaginary companion)などと深いかかわりを持ち、さらには人間のもつアニミズムにまでつながっているといいます。どうやら私の持っていた興味の対象は、解離を中心とするものばかりだったようです。今まで私の中でばらばらだったパーツが、ひとつにまとまったような気がしました。
本書の著者は、解離を理解するキーワードとして「眼差す私」「存在者としての私」という2重の「私」という視点を提示します。私たちは人との交わりの中で生きる。だからこそ万物に「眼差し」の「存在」を感じずにいられない。恐らく生物学的にプログラムされているのだろうその感覚にこそ、「共感する存在」としての人間の本質があるのではないか。読んでいてそんなことを考えました。
・・・はてさて、昨年秋の朝青龍関は、自分のマンションの一室でこのような体験をしていたのでしょうか。
(読了)