私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書 723)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480064257

感想・レビュー・書評

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  • なるほど、と思った点を、引用&要約します。

    梅田「好きなことを貫く」というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」という牧歌的な話じゃなくって、競争環境の中で、自分の志向性に意識的にならないと、サバイバルできないのではないか?

    やるべきことのために、やらないことを決めるというような話題の中で・・・
    齋藤 司法試験浪人している友達がいるのですが、彼が「いろんな用事があって、勉強に集中できない」と言うから、僕は「この世に用事なんて一つもないよ。用事があるなんて言っているのは、まだ司法試験に本気じゃないからだ。・・・」とアドバイスした。

    プロローグは齋藤、エピローグは梅田が分担しており、同じ結論を述べている。もう一度、反芻して読んでみようと思う。

  • 現代社会においていかに生きるかを考えることは、明治維新の時代にいかに生きるかということに似ている。明治維新を起こす原動力にもなったと言える私塾を現代でもネットを使って再現できるのではないか?という提言。

    自分なりの発言媒体を各個人が持てることにより、今までの社会ではあり得なかった密度の空間を作ることができるかもしれない。

  • * 齋藤孝と梅田望夫による対談形式
    * Webによって私塾の可能性が広がっている。

  • ●幕末の緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾・・・この2つの塾からは、明治の日本を支えた人物が育っています。単なる知識ではない。師のあふれる「学びへの情熱」が塾生たちの心を熱くしていた。私にとっては「私塾」とは、塾という現実の空間や組織というよりも、概念です。師弟関係、熟成同士の関係を「私塾的関係性」を呼ぶとすると、この関係性は現代においては、もっと広がりをもって捉えることができる。少人数の、直接同じ空間を共有する関係だけでなく、インターネット空間でも「私塾的関係性」は成立し得る。

    ●「形にならない思い」のようなものを育てていくことはとても大事。今は形にならないけれど、やがて形をもって現実化していくという、もやもやっとした感触をもっている人たちもいると思います。そうした「もやもや感」が育っていって、それによりパッションが大きくなれば、やがて「デザインする力」に変換できます。

    ●ネットの中で「あこがれのベクトル」をみつける
    自分の志向性と合った人がウェブではたくさんみつかる可能性が高い。インターネットがわれわれの能力の増幅器。蒸気機関や自動車が人間の筋肉の能力を増強したように、ネットが脳とか人間関係を増幅する。距離と時間と無限性の概念をゆるがしているわけです。リアルの限定されたコミュニティだけにとらわれず、未知との遭遇のありようががらりと変わってくると、いろいろな可能性が出てきます。リアルの組織を超えたところにできる志向性を同じくする人の集まりを、明治維新前後の私塾のイメージでとらえると、新しい発想が生まれるのではないかと思うんです。

    ●「空気」をつくるのがリーダーの役目
    大人の情熱ある人が方向性を自ら体現してそれを維持する、そうすると、そこに集まる人の集団が、チームとしての「空気」を共有するようになる。たとえば、非常にレベルの低い誹謗中傷などは言いにくい「空気」というのがありますよね。そういう良い「空気」をつくるのが、リーダーの役割なんですよね。リーダーがしっかりしていれば、そういう良い空間がネットの上でもつくれる。

    ●「心で読む読書」、心の糧になる言葉をもつ
    本を読んでいても雑誌を読んでいても、「自分のために書かれたような言葉」だというふうに思うことが多い。(=セレンディピティ感覚)。現実の人間との出会いだけでなくて、言葉と出会うということを大切にしていて、「なぜここに自分のために書かれたような言葉があるんだろう」と思える人というのは、「心で読む読書」ができる人だと思う。これだけ情報があふれていて、読むべき本も出尽くしている感じがあるなかで、「これは運命の言葉だ」のように思える人だけが、情報ではない、心の糧になる言葉をもてる人だと思うんですよね。

    ●イチローは試合に出る前と後と、とにかく身体のケアから道具のケアから、とても長い時間をかけている。まわりのメジャーリーグの選手に比べても、圧倒的な時間とコストをかけて準備している。ということは、シーズン中、たいていのことはほとんど断っているということ。そういう「決め事」というのは、人間の有限性に対しての自覚だと思うんですよね。最近本当に感じるのは、情報の無限性の前に自分は立っているのだなということ。圧倒的な情報を前にしている。そうすると、情報の取捨選択をしないといけない、あるいは、自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない。流されたら、本当に何もできないというのが恐怖感としてあります。何を遮断するかを決めていかないと、何も成し遂げられない。

    ●「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対局にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方・・・これらの組み合わせがじつに強固な行動倫理となって多くの人々に定着し、現在の日本社会でまかり通る価値観を作り出している。「本気で変える意志というものをもっていない、もやーっとした感じ」、「達成が問われにくく、朦朧としているという感じ」が日本社会全体を覆ってしまっている。我々はそんな日本社会の閉塞状況に危機感を抱いている。我々はそれらと戦っている。

  • ・『声に出して読みたい日本語』
    で有名な斉藤孝氏と

    ・『ウェブ進化論』
    で有名な梅田望夫氏との

    対談。


    僕はもちろん
    梅田ファンなので
    この本を買ったわけなんだけど

    ウェブを生きる、梅田氏と
    現実と教育を生きる、斉藤氏の対談
    が、噛み合うの?

    ・ブログを書く(梅田氏)
    ・ブログは書かない(斉藤氏)

    ・やる気のある人を伸ばす(梅田氏)
    ・全体の底上げをはかる(斉藤氏)

    さっと見るだけで
    志向性が違うんだけど
    その違いが、見事に噛み合い面白い内容 &
    共感部分が多くタメにもなった。



    まず
    私塾とは。

    私塾 
    中国や江戸時代の日本における民間(秀才及び元長官などが先生となった)の教育機関である。
    (wikipedia引用)


    この幕末時代の私塾は
    ブログを始めとするウェブ世界を
    現代の私塾に置き換わるのでは?という

    新しい学び、教育の可能性の対談内容。


    前半は
    私塾のについての思想やら
    志向性の話しで少し堅い内容。

    後半から徐々にテンションも上がってきて
    具体例から双方のパッションが垣間見れる。

    尻つぼみどころか
    ゲツ上がりで面白く
    ひきつけられる。

    特に3章の
    『ノーと言われたくない日本人』
    なんて共感の嵐。

    梅田
    よく僕は「三十代で三社移ってもいいんじゃないか」という言い方をします。
    二十台というのは未熟な時代なので~~<略>未熟な二十代は学ぶ方が多い。
    「自分が組織から与えられるもの」と「自分が組織に対して与えているもの」の天秤が傾いたとき(「与えているもの」の方が大きくなったとき)に辞める、というのが僕のロジックなんです。


    ほとんど僕の転職イメージと重なっている考え方。

    さすがに天秤が傾いて
    すぐに辞める思考になるのは
    悪いので

    僕は「組織に与えられるもの」負債の半分を
    「組織に与える」と辞める!トリガー発動します。

    例えば2年間与えてもらったら
    1年間返して辞める(計3年)とか。

    もっと具体的に言うと
    2年間というよりも2人年=24人月。
    というような時間よりも仕事量をベースに考えてるけど。




    梅田
    ある営業の部署に配属されました。そこでだめだったら辞めます、というのは短絡的ですよね。
    <中略>
    「どうして、そこに(違う部署に)行きたいっていわないの、君」といつも言うのですが。そういう主張をすると、あんがい通るんですよ。日本の共同体っていうのは、一度中に入ってきた人にあたたかい。


    どうしても自分と合わない部署に配属されてしまった場合は
    日本人は、その事に対しての不満や改善を上司に言う前に
    辞めてしまう傾向が多い。

    それが
    この章の見出しになっている
    『「ノー」と言われたくない日本人』。

    僕は
    人間死のうと思えば何でもできる!!

    って考えなので
    いっぱいいっぱいに追い詰められたら
    ダメ元でもなんでもする。

    失敗しても失敗しても
    精神的に疲れはするけど
    死ぬよりはマシだなーって。

    梅田
    断られることに対しての免疫が弱すぎる。傷つきやすすぎる。つまらないことで傷ついて終わり。
    <中略>
    要するに、自分がやりたいことを、会社が受け止めてもらうというのは営業行為、つまり「自分を売る」ということだから、数あたらないと。


    かなり同意なんだけど
    こういう会社に対しての「断られ苦手」な人が多すぎる感じも実際感じる。

    多分、
    僕らの年代(30歳)の人達なんかは
    自分も含めて学校を卒業した時なんかは

    超就職氷河期(特に地方は・・・)だったから
    会社の方が偉くて、社員の人は会社に従うだけ。
    ひどい所は、会社の奴隷社員扱いの場合も実際にある。

    なので
    未だにフラットな関係という感じじゃなく
    会社サマサマ感が根付いているのかも。。。。。

    きちんと給料分以上の成果を
    奉仕していたらそうじゃないのにね・・・・。




    ・「好きな仕事」じゃないとサバイバルできない


    ここでは
    よく求人誌にでかく書かれている
    『趣味を仕事にして働こう!!』とかっていう
    生ぬるい表現ではない。

    ITの普及により
    四六時中仕事ができてしまう時代だからこそ
    生半可な意気込みで
    「好きな仕事」をしている人には太刀打ちできない。

    僕もネットワークの仕事は好きだし
    壁にぶつかりながらも
    楽しく仕事はできていると思うんだけど
    仕事として割り切っているところもある。

    それが中には
    変態(ほめ言葉)みたいな人がいるんです。

    機器検証の時とかも
    ニヤニヤしながら目を輝かせて
    『この機器のスループットすげーー。』とか
    『見た事ないパケット流れてるーー!!ウヒョー』
    みたいに心の底から仕事を(当人は仕事だと思ってない)
    楽しんでる人。

    給料でヤフオクでネットワーク機器(ciscoとかの高いやつ)
    を買って、家にラボを作って
    休日に自宅ラボで色々検証してる人。

    そんな人を目の前にすると
    『この人達には同じ分野では勝てっこないんじゃないか?』
    と不安になってくる。

    同じ分野では戦えない・・・・。って。

    「好きな仕事」じゃなきゃ
    まさに、サバイバルできない。共感です。





    この本で
    一番熱く心に残っている事が
    あとがきでの梅田さんの言葉。

    梅田さんと
    斉藤さんの
    戦っている日本を閉塞させる
    「まったく同じもの」の正体と
    読者に対する挑発的な挑戦。

    斉藤氏編
    「ある日、私はある経営者と雑談をしていて、『いずれは文科大臣をやろうと思っているんです』と 言ったことがあった。すると『ははは、バカを言ってはいけない』と一笑に付されたのである。
    (中略)
    そのときは平静を装っていたが、心の中では『よくも言ったな!絶対に目にものみせてやる』と、 瞬時に自分のパッションに火をつけていた。」

    梅田氏編
    「『梅田くん、虚業もいいけれど、そろそろ実業の世界で活躍してみる気はないかい』
    虚業。虚(うつ)ろな業(なりわい)ですか・・・。私は絶句しました。
    私は斉藤さんのように「平静を装」うことができず、「虚業」と口にした経営者に対して、
    あなたは、誇りを持って仕事をしている私に対して、とんでもなく失礼なことを言ったのだから
    この場で謝罪をしてください、と強くいいました。」


    『未来は創造し得る』や『希望』の対極にある
    ・時代の変化への鈍感さ
    ・若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方。

    これらと真剣に戦い
    若者の『挑戦』の手助けをしてくれるような
    空気のキレイな日本にいざなってくれるのを
    応援したいと思いました。


    パッション!
    良書!

  • グローバルやIT技術により、四六時中仕事をする必要があり、仕事のとらえかたも、仕事は「耐えないいけないもの」から「好きじゃないともとない」ものに変わりつつあります。

    そんなサバイバルな環境で、学び続けるには?

    その理想の一つが「私塾」です

    志を同じくする仲間と熱く語り合い、学びたい。中心には信頼できる人格と力量を併せ持った師がいてくれる。(モデルは、幕末の緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾)

    そんあ私塾環境にするために

    梅田氏は、自分の志向性にあった環境を見つけるべきで、ブログを用いることでそれが可能であることを説いています。

    斉藤氏は、私淑(直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと)する人をロールモデルとして持つことすすめている。 読書というのは、自分の中に、自分の見方となる他者を住まわせることだと説く。


    また、

    教育論では、斉藤孝氏の考えにとても感銘をうけました。

    「あこがれにあこがれる」

    『何かに対する強烈な「あこがれ」を体現し、猛烈な勢いで学び続けている先生が身近にいれば、その「あこがれ」に感化される』

    対話本の形式なので、二人の本音が見える一冊だと思います。特に斉藤孝さんがいいですね。ファンになりました。

  • 「声に出して読みたい日本語」の斎藤孝さんと
    「ウェブ進化論」の梅田望夫さんの対談が一冊の本になった感じです。

    ふたりは同い年でありそれぞれ全く逆の道(教育とIT)の最先端を行くような感じですが底辺にある部分は恐ろしく似ていて「同志」と言う言葉がピッタリです

    内容は
    第1章 志向性の共同体
    第2章 「あこがれ」と「習熟」
    第3章 「ノー」と言われたくない日本人
    第4章 幸福の条件
    と進みますが

    その前後に
    はじめに――志をデザインする(齋藤孝)
    コラム梅田望夫「私のロールモデル」
    コラム斎藤孝「私のロールモデル」
    コラム梅田望夫「私の座右の書」
    コラム斎藤孝「私の座右の書」
    おわりに――私塾による戦い(梅田望夫)
    が挟まっているため2人の心と言葉のキャッチボールが展開されているようにも思えます。

    非常に現代的な本と言えるし求めれば何でも手に入る時代に突入しているのがこの本で改めて実感します

    その「何か」を求められない人には生き辛い時代にも感じられるしそれも含めて情報による格差が仕事でも何でも広がっているんだな・・・とこの最近のニュースや風潮をリアルに感じてしまいます。

    この私塾と言う価値観・・・実際にブログ運営をしている人には感覚的に理解しやすいと思いますし何か自分の追及する分野を見つけたのならばこれからの時代は大学に行って専攻するのも間違いではないのだけれど
    ブログをはじめネットの世界で同志を探して私塾を作り出す・・・そんな新世紀を感じます
    底辺を広げる齋藤さんと上を伸ばす梅田さん逆のアプローチのようで芯の部分はお互いに共感しあえる存在。読んでいるとつくづく「似た者同士」だしこの2人に限って言えば「似た者同志」って表現が相応しいです

  • リーダーの役目、求められるものや組織から得られるもの、学習するときに必要なもの、ネットやブログの活用法が分かり、その考え方は非常に刺激を受けました。

  • 「私塾的空間」。この言葉に大きく共感しました。将来の自分の生き方に迷いがある若者には是非読んでいただきたい一冊です。

  • 2人とも活躍する分野は異なるが、考え方、生き方に共通する部分が多いと感じた。特に自分にとってのロールモデルを複数決めて、その人の生き方、スタイルを自分のために消費するという考え方が面白かった。

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