- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480066398
作品紹介・あらすじ
東日本大震災を機に、関東大震災後の帝都復興に稀代のリーダーシップを発揮した後藤新平が再び注目され始めた。なぜ後藤のような卓越した政治家が出現し、多彩な人材を総動員して迅速に復旧・復興に対処できたのか。壮大で先見性の高い帝都復興計画は縮小されたにもかかわらず、なぜ区画整理を断行できたのか。都市計画の第一人者が「日本の都市計画の父」後藤新平の生涯をたどり、その功績を明らかにするとともに、後藤の帝都復興への苦闘が現代に投げかける問題を考える。
感想・レビュー・書評
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多くの反対や予算削減の中、精いっぱい帝都復興事業に取り組んだ後藤新平の、生い立ちや功績について学ぶことができた。後藤新平が台湾民生局長官をやっていて衛生系の人ということは知っており、そんな人が都市計画なんかわかるのかと思っていたが、この本を読むと衛生とまちづくりは密接な関係にあることが分かった。帝都復興により現在に残されたもの(正の遺産)やなくなってしまったもの(負の遺産)については以前読んだ「東京都市計画物語」にも記載のあった内容でおさらいという感じ。しかし関東大震災発生から速攻帝都復興院を立ち上げて、3か月ほどで復興計画と予算案を作ってしまうのはすごいなと思った。
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カテゴリ:図書館企画展示
2016年度第9回図書館企画展示
「災害を識る」
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
開催期間:2017年3月1日(水) ~ 2017年4月15日(金)
開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース -
かつての東京市長、後藤新平の生い立ちと彼が行った帝都復興計画に焦点をあてた本。後藤の人柄や台湾統治、大連時代の都市計画も述べられていて興味深い。
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後藤新平に興味を持ったのは、作家・星新一が父である一(はじめ)の
ことを書いた作品を読んでからだった。
しかし、興味深い人物は他にも何人もおり、ついつい後回しになって
いた。
薩長閥が多い中央政界にあって、地方の医者から中央の政治家に
登り詰めた後藤新平の生い立ちと、彼が関わった台湾や満州の
都市計画を経て、関東大震災後の帝都・東京の復興計画までを
描く。
彼が考えた東京の復興計画は確かに「大風呂敷」なのだ。だが、
その「大風呂敷」は時が経って検証すれば首都である東京という
街には必要なものばかりなのがわかる。
火災による家屋の延焼を食い止める広い緑地帯と川沿いの公園。
幅員を広げた主要道路。下町の区画整理。
台湾と満州での経験を生かしたグランド・デザイン。それには膨大な
予算も必要だった。
新しい東京が生まれる。しかし、政党に属さずに有力政治家となった
後藤は古参政治家たちの嫉妬の対象になる。政界につきものの
足の引っ張り合いだ。
最低限の計画が実現したものの、後藤がやり残した東京の都市計画
は現在も宿題となっている。
今、東京都では環状2号線の整備が進められている。中途半端に
作られた環状道路の延伸計画なのだが、この道路は元々、後藤が
帝都復興の計画の中で提案していたものであることを知ってびっくり。
街の復興はどうあるべきなのか。東日本大震災後の復興の参考に
なるのではないか。
それにしても、著者の後藤新平に対する「愛」は並大抵ではない。
まるで後藤への長い長い恋文を読んでいるようだった。 -
後藤新平は、1857年に岩手県水沢で生まれた。戊辰戦争に敗れ失業・帰農した元武士の子弟の身だったため、福島県で設立されたばかりの医学校に進み、県立病院の医師として身を立てた。政府高官の軍医や衛生官僚の抜擢を受けて内務省に採用され、数え年36歳で衛生局長に就任した。この時、イギリスから来日したバルトン技師と共に全国各地に出張して上下水道計画を策定している。42歳で台湾で総督に次ぐ民政長官に任命され、日露戦争後は50歳で満鉄の初代総裁に任命された。52歳で第二次桂太郎内閣の逓信大臣に就任し、鉄道院総裁も兼ねた。後藤が推進した鉄道の広軌化は政府から否定されたが、戦後に新幹線として実現した。晩年にはNHKの前身となる東京放送局も創設した。67歳の時、関東大震災が発生した翌日に成立した第二次山本権兵衛内閣の内務大臣と帝都復興院総裁を務め、東京と横浜の復興計画を作り上げた。
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台湾・満州における日本的統治、都市計画の成果。大震災後の帝都復興と、その功績に対して名が残っていないのは、強引過ぎたやり方と、戊辰戦争時の反政府側、奥州連合出身者であった事が読み取れる。 筆者が後藤贔屓に偏って著している感もあるが、「マッカーサー通り」など、現在の開発にも続く、揺るぎないグランドデザイン力に、スケールの大きさを感じ得ない。 また後藤を導いた恩人、児玉源太郎の胆力にも唸った。児玉が生き延びていたならば、我が国の大正・昭和の迎え方が、違った形になったのではなかろうか。
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後藤新平の東京復興における幸運な、運命的なことは「台湾のインフラ整備」「満鉄の開発」とリアルシムシティを体験できたことだ。また、そこで培った人材を十分に駆使したことで東京を近代都市に成し得たという流れを非常に面白く読んだ。
東京の開発復興はいろいろの政争や予算の関係で縮小せざるをえなかったのだが、それでも7億円強の予算を通せたというところは今までの蓄積の結果だというのが物悲しくもある。 -
先輩に紹介して頂いた一冊。
スゴイの一言。昔の人にはかなわない。インフラ魂。 -
天才か