昭和史講義2: 専門研究者が見る戦争への道 (ちくま新書 1194)

制作 : 筒井 清忠 
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480069061

作品紹介・あらすじ

なぜ戦前の日本は破綻への道を歩んだのか。
その原因をより深く究明すべく、20名の研究者が最新研究の成果を結集する。
好評を博した昭和史講義シリーズ第二弾。

感想・レビュー・書評

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  • あまりよく勉強していない時期のことで色々勉強になった。たとえば、戦前の「軍人蔑視」の状況(第1講)とか、昭和恐慌とファシズムを単純に結び付けない(第4講)、天皇による畑俊六陸相指名の話(第12講)など、印象に残った。

    他方、大東亜会議を「戦後七〇年を経た我々日本人とアジアとの関わりを問い直す際に、新たな意味を持たないとも限らない」(二八四頁)とする評価はどうだろうか。また、日本国憲法を「ある意味「押しつけ」のそしりを免れない」(三二九頁)としてしまうのも、研究史に対する態度としていいのか?と思う。あるいは、研究にしては政治主義的にすぎなか?いいのか?と感じる。

  • 全部で20講あるので当然中身も精粗様々。個人的には第5項、8講、12講、16講が興味深かった。「昭和恐慌下の日本」を扱った第4講はダメ。しかし、全体としては勉強になった。

  • 「昭和史講義」が好評だったので、その続編としてでたもの。

    前作同様に、戦前を中心として、注目すべき出来事の事実解明を中心としながら、20のトピックを20人の研究者が概説したもの。

    出版の経緯からして、前著と一緒に読まないと、全体の流れがわからなくなるかもしれないが、これだけでも、多分、それなりに面白いだろう。

    一人の著者による通史ではないので、読みにくさはあるのだが、取り扱われるのは、それなりに「知っている」つもりの出来事が多いので、それなりに面白い。また、通常、どういう文脈で議論されているかもなんとなくわかっているつもりなのが、近年の研究ではかなり違う話しになっいるかがわかって、スリリング。

    やっぱ、わたしたちの戦前の歴史の標準的な理解は、戦後民主主義の視点で、戦前と戦後を切り分けて、戦前を陸軍とか、一部の政治家の責任として整理して、前に進んでいこう、という感じのものになっている。

    が、現実はやはり複雑で、色々な人の思惑や権力闘争がなされるなかで、半ば、偶発的になにかがなされ、それが次の打ち手を制限していく、という感じのものなんだな。日本が無茶な戦争をやったことは必然ではない。とはいっても、その時点でどの程度の自由度があったのかというと、やはり選択の幅はだんだん狭くなっていたのだろうと思う。経路依存的なプロセスだな。

    もちろん、国内の事情だけで、政策が決定されるわけでなく、戦争となると、国際情勢のなかにあるわけで、ナチスドイツの台頭、大戦前半での快進撃をみながら、どうにかなるんじゃないかみたいな他力本願な面も多々ある。

    まさに、国際社会、そして国内政治、世論の荒波というか、濁流のなかで、しばしば意思決定を先送りしつつ、中央のコントロール不足で生じるさまざまな軍事衝突に苦悩しつつ、なんとなくやっているうちに、だんだん打ち手がなくなってしまう、というプロセス。

    これは、やはり全体主義ではない。ほんとバラバラな意見がぶつかって、意思決定できない状態なのだから。

    でも、なぜだか、「天皇」というキーワードで誰もが一致してしまう不思議さ。

    では、その天皇自身はどうかというと、国際関係を重視していて、英米と協調路線でいきたい。なので、軍部、とくに陸軍の過激派を警戒していて、信じていない。できるだけ、軍部をガバナンスしたい。しかし、天皇が具体的な政治判断をすることは、旧日本憲法下においてもできない。先がわからないなかで、具体的な政治判断をすると、その責任が天皇自身にふりかかり、制度としての天皇を維持できなくなるリスクがあるわけだ。

    そういうなかにおいても、トップの人事については、漠然として形ではあるけど、方向性を示して、なんらかの影響力を行使する。それが軍部をコントロールすることになると思っての介入である。だが、この介入が、しばしば、より状況を悪くすることに働いたりする。もちろん、結果論なんだけど。。。。

    「天皇」という文脈を外してみると、こういうこといまだにやっているな〜と思ってしまう。

  • 『昭和史講義』で触れながら掘り下げられなかった事項、触れられなかった事項を取り上げる。 引き続き、冷静かつ中立的な記述によって昭和史に関する最新の実証的研究の成果を紹介してくれる。物事がいかに複雑に展開したか、一面的な見方や単純な見方、陰謀論などは成り立たないということが、本書を読むと非常によくわかる。未だに論争になっていることもあり、昭和史の論点の整理としても読める。

  •  対象時期は昭和初期から戦後の占領までだが、軍や戦争に関連するテーマが多い。
     1929年の中(=奉天政権)ソ戦争が関東軍を含む日本に与えた影響は新たな気づきだった。
     日中和平工作は日本側と中国側でそれぞれ1章ずつ論じるが、交渉ルートが多すぎるのに加え、桐工作に謀略の可能性を感じつつも途中までは進めようとした日本側と謀略でしかなかった中国側の認識の違い、日本側は中国側が受け入れそうな条件をそもそも出していない(日本が戦闘で勝ち続けたため?)と、後世から見ると成立しなかったのも納得だ。
     戦争への道は「日本の政治指導の分裂と混乱、カオスと形容するにふさわしい状況」、北進論と南進論の混沌。
     海軍の日米開戦への積極性には、伏見宮に代表される作戦優先思考とその背景にある艦隊派台頭が指摘されている。
     大東亜会議は、プロパガンダとの理解を主流としつつも、アジアとの協力という重光の理想(実現した例はごく一部だか)を指摘もしている。
     原爆投下は、戦争集結に必要だったという正統派と、不要・不道徳・対ソ牽制論という修整論が米での論争だが、日米では正統と修整が逆転しているという。

  • 『昭和史講義』を各論に展開したもの。短編の小論であるため表面的になっているところが多いが、それでもそれぞれのテーマの入口としての機能を果たしている。また、それぞれの著者による切り口の違いも感じ取ることができる。細かい話になってしまうのはそれはそれでよく、興味深いのだが、ただ残念なのは、それぞれの話の足下にいた日本国民の息遣いがほぼまったく書かれていないことである。
     評論のための評論、歴史遊び、このような評価になってしまう面がある。そのとき人々の生活はどうなったのか、どのような影響を受けていたのか、そのときの気持ちは、このようなところからも切り込んでほしかった。

  • 前作よりは興味深く読めた。問いの立て方に工夫があり、結果的にあらたな観点による叙述があったからか。とは言っても、研究仲間のヨイショ感は否めないし、新史料が発見されない限りにおいては通説を覆す解釈を提示して勝負せざるを得ない歴史学者の限界も感じられた。
    新たな発見としては、政党政治の継続を図り、ポスト犬養として鈴木喜三郎で決定していた西園寺が、昭和天皇の意向により直前になって決定を覆したという事かな。昭和天皇も思い切り強く出ればそれなりに政治を動かす事はできたわけで、この辺の個々の意思決定に関してはもうちょっと研究がされてもいいような気もするが。

  • ちょっと重箱の隅をつついている感があるけど、開戦から終戦までの政府と軍部の動きが分かる。資料が揃わないから難しいのだろうけど、民衆は開戦に向けての動きを、どうとらえていたのだろう。
    それにしても敗戦を認識しながら降伏できなかった日本政府は、無策無能であったとしか言いようがなく、そんな政府を選択したのには、どんな理由があったのだろう。

  • 210.7||Ts||2

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