暴走する能力主義 (ちくま新書)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480071514

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、能力主義について、その「再帰性」という観点から、社会全体を分析対象にして論じている。国内外における近年の大学や就職に係る能力観の議論は、やや食傷気味の感があったが、本書はアプローチの方法も結論も大きく異なる。能力主義は再帰的な性格を帯びるものであることを、明瞭に示したこの仕事はとても重要である。

    第1章では、「『新しい能力』であるかのように議論しているものは、実はどんなコンテクストでも大なり小なり求められる陳腐な、ある意味最初から分かり切った能力にすぎない」(p.46)と早々に断じた。能力観が変わってきた、という固定観念に対処するために、これまでの議論から「最大公約数的な陳腐な能力」を毎回定義し直してきている、という見方は、非常にわかりやすかった。

    また個人的には、この「再帰性」という言葉の説明力の大きさに気づかせてもらったことは有益だった。再帰性とは、「常に反省的に問い直され、批判される性質がはじめから組み込まれている」(p.51)状態を指すとここでは解した。再帰的に、能力に関する議論を社会が求めていることを実証するために、著者は以下の5つの命題を設定してる。

    命題1 いかなる抽象的能力も、厳密には測定することができない 【2章】
    命題2 地位達成や教育選抜において問題化する能力は社会的に構成される 【3章】
    命題3 メリトクラシーは反省的に問い直され、批判される性質をはじめから持っている(メリトクラシーの再帰性) 【4章】
    命題4 後期近代ではメリトクラシーの再帰性はこれまで以上に高まる 【5章】
    命題5 現代社会における「新しい能力」をめぐる論議は、メリトクラシーの再帰性の高まりを示す現象である 【5章】

    この議論の立て付けは参考になった。上の「能力」や「メリトクラシー」を、同じくらい議論が重ねらている「教養」に置き換えた上で検討すると、よい仮説が導けるのではないか。またそれらは、近年の大学教育における議論に通ずることがあるのではないか。本書はこうした点に気づかせてくれた論稿だった。211頁に示された再帰的メリトクラシー理論の図表は秀逸。

  • 能力主義に対する批判を論じているが、よく見る議論で新しい視点は無かった。
    本書の主張は大きく、
    ・求められる能力とは時代により異なるものであり、メリトクラシー(能力主義)は常に批判にさらされ続ける=再帰性から逃れられない
    ・昨今声高に主張されるキーコンピテンシーや非認知能力等は旧来の詰め込み主義、学歴偏重の教育環境を批判する形で注目されているが、過去の批判が主で旧来の教育体系に取って代わるような中身のあるものではない
    という2点。1点目はメリトクラシーという言葉こそ個人的には新しかったものの、中身は語られ尽くされており新鮮味はなし。2点目は新しい教育観点への批判が全く具体的ではなく、これまでも聞いたことがある、これだけで問題解決ができるはずがない、程度の感想のみ。
    コミュニケーション力や議論力が学問でも社会生活でも必要なのは間違い無いが日本人の特性に合わないこともあり未だに浸透していないと個人的には考えているので、そもそもそこを見ようともしない議論は読む気にならなかった。

    元々この本を手に取った問題意識は、エマニュエルトッドが最近主張している、社会の分断を示す上で、リベラルと保守ではなく今の先進国の分断はこの能力主義なのではないか、と言う点について考えるため。新自由主義の競争原理主義の中で能力主義が分断を生み出しているのでは、という主張に対して、能力主義がどこまで平等に適用され、かつ信頼に足る指針なのかを考えたい。その観点からも本書はヒットしなかった。

    あとは性格的な問題で、この衒学的で批判的な書き方というか、世の中の考えが浅くて学問的に新規性のある自分の考え方が良いとするような書き方が鼻について嫌だった。こういう感覚で読む癖はやめたいと思っているのだが。。

  • 非常に読みやすい。スルスル読める。

    階級、学歴の次に基準となる「新しい何か」は見つかるのだろうか。メリトクラシーを俯瞰で見たときに今、学校教育で行うべきはなんなのだろう。「自分の中の答え」みたいなものがまた遠くにいった気がした。

  • 背ラベル:361.8-ナ

  • 学歴や学力といった従来型の能力指標の正当性が失われはじめ、これまで抑制されていた「能力」への疑問が噴出している。気鋭の教育社会学者が、「能力」のあり方が揺らぐ現代社会を分析し、社会の構造を描き出す。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40272576

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50107140

  • 確かに、「これからの時代に必要な能力」みたいなものってめっちゃ抽象的でありふれてることが多いと納得してしまった。

    考えてみると、プログラミング教育みたいなものも、プログラマーである自分からしてみてもなんでやってるのかよく分からないので、本で説明されている、再帰性の現れなのかもしれないと思った。

    近代という時間軸で説明が丁寧になされており、自分でも普段目にする、「新しい」何かや、世の中の自己啓発圧の起源がよく分かった。面白かった。

  • 構造は非常にわかりやすく、①能力を厳密に測定することは難しい、②身分が属性によって規定されない、オープンな社会では何らか能力により身分の配分をせねばならず、社会的要請として暫定的な能力の尺度を決めねばならない、③上記により、測定される能力には常に反省すべき点が必ず含まれる(メリトクラシーの再帰性)、④情報化社会の中で相対比較を壮大にできるようになったことで、自分の身分を決める能力の尺度の不正確性や相対の可視化により、能力不安に陥る、⑤これらが、より平等で能力を重視する社会では増幅していく。この構造はその通りだが、人権を根本原理とする、現代的な平等社会においては、正確だから決められない、では機能せず、社会的にキメの部分が必要なはずで、それが常に反省的に新しい能力を求める流れになったとして、新しくないからそれが問題、とは思えない。新しいことに価値があるわけではなく、社会や人がそれによって学習され、成果を出せるか、が重要であり、文脈依存性が高いとはいえ、基礎的なコンピテンシーの尺度は必要だと思う。

  • 本書は、著者がこれまでの研究のなかで提唱してきた「メリトクラシーの再帰性」という概念をキーとして、後期近代社会 (=現代社会) における能力主義の有り様を説明することを試みたものです。

    「メリトクラシーの再帰性」とは、能力主義に本来的に備わっている自己反省的な性質のことです。私たちの社会では、基本的には能力による処遇の差異を認めてきましたが、実は能力を測ることは必ずしも容易ではありません (命題1)。しかし、なんらかの形で能力を測れたことにしないと社会が回っていかないことから、私たちはある種の手続きを経て得られる能力測定の結果をもって「能力が測定された」ということに社会的に決めています (命題2)。しかし、これは社会的な決めごとにすぎないため、「本当にその能力の測り方でいいのか?」という疑念を常に呼び込むことになってしまいます。このように考えると、能力主義 (メリトクラシー) には、常に反省的に問いなおされ、批判される性質がはじめから組み込まれていると考えることができます。この性質を、「メリトクラシーの再帰性」と呼ぶのです (命題3)。

    現代社会においては、高学歴化と情報化の進展によって、この再帰性が従来以上に激しく作動していくことになります (命題4)。その結果、従来は安定して信頼されていた学力や学歴のような能力指標も時代遅れのものとして問い直し対象となることになり、様々な「新しい能力」論が次々に繰り出されることになっていきます (命題5)。現代社会では、現実にそのような「新しい能力」論が、社会の実態とはかけ離れた形で称揚されることになるのです。

    ところが、こうした「新しい能力」論は、様々な制度改革の流れのなかでも持ち上げられ、私たちの社会に不必要な負荷をかけています。現代を生きる私たちは、こうした能力主義の暴走状態から可能な限り距離をとり、冷静な対応をすることが求められているのです。

    以上が、本書の要約です。なお、著者として私が執筆時に課題としたのは、私自身のアカデミックな研究枠組み (再帰的メリトクラシーの理論) を、単なる学術的な知見で終わらせるのではなく、現代社会批判として、また多くの読者の方が現代社会を同じような角度から批判する際の足場となるようにわかりやすく提示する、ということでした。刊行後の各方面の反応を見る限り、その試みはある程度成功したという感触があります (命題3を論じた第4章は専門的で読みにくい方もおられるかもしれませんが)。とりわけ、現代日本の教育改革に批判的な方々から、たいへん共感的なコメントを多数いただいています。

    現代の教育改革は、日本だけの動きではありませんので、広く海外にも今後はメッセージを発していきたいと思います。


    第1章 現代は「新しい能力」が求められる時代か?
    新しい能力に対置されるもの
    能力の測定不可能性と能力判定基準の暫定性
    メリトクラシーの再帰性
    第2章 能力を測る―未完のプロジェクト
    能力をめぐるダブル・スタンダード
    採点思想
    能力が測れないことの意味
    第3章 能力は社会が定義する―能力の社会学・再考
    抽象的能力を求めることの帰結
    能力主義と能力による支配
    近代化とメリトクラシー
    能力の社会的構成説
    学歴主義の社会的構成
    素点合計主義
    第4章 能力は問われ続ける―メリトクラシーの再帰性
    メリトクラシーの再帰性
    ギデンズ社会学
    ハイブリッドモダン
    前近代社会と近代社会
    脱埋め込みのメカニズム
    制度的再帰性
    第5章 能力をめぐる社会の変容
    再帰性概念の3つの区分
    能力アイデンティティと能力不安
    再帰的な学歴社会
    第6章 結論:現代の能力論と向き合うために
    再帰性の動因
    キー・コンピテンシー再編
    非認知能力
    知識の暗記・再生=受験握力の批判
    反知性主義とメリトクラシーの再帰性

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2021年 『少子高齢社会の階層構造1 人生初期の階層構造』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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