暴走する能力主義 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480071514

感想・レビュー・書評

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  • デギンズが出てきてから目が泳いだ。なんか文章がネチネチしてて好きじゃない。

  • 人間の能力は、基本的に測定不能であり、社会で必用とされる能力の変遷に伴い、教育内容を変えるべきということを「メリトクラシーの再帰性」という言葉で説明した。
    ◆Aiの発展で単なる暗記に偏った勉強だとAiに仕事奪われるよ→マークシートによるセンター試験(共通一次)の廃止、
    ◆記述式の共通テストへ、英語は読書きメイン→読書きだけでくヒアリング・リスニングも、
          と言った現象は、まさにメリトクラシーの再帰性の高まりだろう。
    しかし、早急(拙速?)な改革が行われつつあるという印象は否めない。
    記述式テストは採点の難しさ、採点者による評点のバラツキを発生させ、その調整には多大なコスト時間がかかるし、藤原正彦の言っているように英語が流暢に操れる人間は全体の2-3%もいれば十分だろう。("1に国語、2に国語、3.4がなくて5に数学"と藤原氏は言っている)
    現在の教育改革(メリトクラシーの再帰性の高まり)は、何を生み出すのか? 全く予測できないが、近い将来に、また再修正されることになるだろうという気がするねぇ。
    (あまり批判的なことを言っていると代案だしてみろと言われるので、ここら辺でやめておこう。)、

  • 絶えず能力というものが問い直される続けるという近代社会の仕組みについて解説してある。

  •  タイトルは著者が理論的にインスパイアされたギデンズ『暴走する世界』にちなんだもの。現在の「教育改革」を席捲する「コンピテンシー」論を理解する補助線として。

     著者の議論の要諦は、21世紀に入って以降の日本で次々と提案されている「新しい能力」論は、後期近代における「メリトクラシーの再帰性」のあらわれとしての「能力不安」言説の反映に他ならず、基本的な論点は過去の反復でしかない、というもの。その点は明快だし、説得力もあるのだが、次々と簇生する「新しい能力」論をギデンズ的な「嗜癖」(=一時的な不安の置き換えとしてのaddiction)と見なしていることには違和を感じる。

     というのも、日本における「新しい能力」論は、まちがいなく新自由主義的な人的資本論というイデオロギーと、そこに焦点化することで駆動する教育投資市場の拡大という問題がある。つまり、本書の枠組みで言うなら、それぞれの「新しい能力」論が、誰の・どんな欲望に応じて・どのように構成されてきたかが決定的に重要ではないか。「嗜癖」という理解は、問題を過度に一般化する(それは現代社会に通有の病理なのである)か、過度に個人化する(それはイデオロギーに目を曇らされている個人の問題である)おそれなしとしない。

  • いまいち言っていることも言いたいこともよく分からなかった。「メリトクラシイの再帰性」という言葉だけ、繰り返されいた。

  • 読了。
    端的に云うと、社会で必要とされる人間の能力は、基本的に測定不能であり、社会で求められるとされる能力の変遷に伴い、教育内容を変えるべきという勘違い(?)を、「メリトクラシーの再帰性」という概念で説明した本。
    受験勉強と社会で必要とされる能力に連続性など、そもそも科挙の時代から無いわけだが(笑)、自身の判断を絶対化出来ない人間のサガは、不確実と判っていながら何らかの指標を求めてしまうのだ。

  • 本書は能力主義に敬語を鳴らす一冊である。主に大学教育や就職活動に焦点を当てて、能力とはついて書かれている。

    資本主義だと、どうしても能力主義になりがちであると感じる。しかし、何を能力と呼ぶのかにもよる。就職に関すれば、仕事ができないのにその仕事に就く人も少なくもない。

  • なぜ新しい能力が求められるのか?コミュニケーション能力、非認知能力がなぜこんなにも叫ばれているのか、教育改革がなぜ成功しないのかということをメリトクラシーの再帰性という現象から説明している。
    メリトクラシーの再帰性とは、メリトクラシー(業績主義)が常に自己反省的な性質をもっているということである。必要な能力は定義することができないという性質上どんな能力を想定してもそれは批判可能性を秘めており、それに対する能力が提示される。
    現代において教育はどんなあり方であるべきなのだろうか。
    相対主義が蔓延する中で、学校が担う義務は何か。
    反知性主義をどう考えればいいのだろうか。

  •  コミュ力などの新しい能力が必要という考え方は幻想だった?

     社会が変わり、今までにない新しい能力が求められている、だから教育も新しい何かをしなければならない。社会はずっと昔からこう言い続けてきた。
     何十年単位で見ると、産業構造が変わってもそれほど新しくしかも全般的に使える能力が必要なことはない。というかそもそもそんな漠然とした能力はない。

     確かにそのとおりだ。私達はただ新しい能力が何か必要であるという強迫観念に突き動かされてるだけのように思える。そして。この指摘は非常に重要なものだ。

  • 797円購入2018-07-10

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2021年 『少子高齢社会の階層構造1 人生初期の階層構造』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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