駒形丸事件 ――インド太平洋世界とイギリス帝国 (ちくま新書)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480073594

作品紹介・あらすじ

一九一四年にアジア太平洋で起きた悲劇「駒形丸事件」。あまり知られていないこの事件を通して、ミクロな地域史からグローバルな世界史までを総合的に展望する。

感想・レビュー・書評

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  •  「駒形丸事件」──第一次世界大戦勃興時、カナダ・バンクーバーでインド人移民が上陸を拒否され、さらに送還先のコルコタで虐殺されたという事件があった。本書は、一般には殆ど知られていないこの事件をノードとして、グローバル/ローカル、ナショナル/リージョナルとして理解されてきた多層な歴史観を相互に関連づけ、立ち現れる新しい視点から世界を照射しようとする試み。これが学術書などでなく、新書という親しみやすいメディアで世に問われることを何よりも評価したいと思う。地味ではあるけども、それを知ることによって視界がグッと開けるようなワン・イシュー。これを手軽に紹介できるというのが新書の醍醐味であり、本書のテーマはまさにこの新書の機能にうってつけの題材だと思うからだ。

     まず、本書が別々の領域を専門とする二人の歴史硏究者が、図らずも同一の学術的関心を持っていることに気づいたことに端を発するものであることからして興味深い。そのような研究者間の交流や意見交換がなければ浮かび上がらなかった事案に、僕のような一般人がアクセスできるというのは有難い話だと思う。
     ただ、読みはじめは手探りの状態となりやや読みにくい。そもそも歴史的事件というのは、それにより歴史が転換点を迎えるというエポックメイキングなもの、すなわち起点になるものもあれば、それとは逆に、歴史が明示的な変化を伴わないが後に多大な影響を及ぼすようなうねりを内在して動き始めた時、その端緒を表していたと事後的に把握されるものもある。この駒形丸事件は後者の典型だろう。したがってその意義を一言で言い表すことが困難で、多数のコンテクストを参照して初めてその歴史的な重要性が浮かび上がってくることになるのだが、これがどうしても遠回りの作業となるのだ。いきおい本書の約3分の1もその時代背景の描写に費やされることとなり、読者は本書の全体像が判然としないまま読み進めざるを得ない。しかし、これはこれでやや忍耐を要するものの楽しい読書体験の一部だと思うのだ。

     終章で、紹介されてきた多数のテクスト・視点が一気にまとめ上げられ、なぜこの事件がイギリス帝国史家の関心の的となったのかが明らかにされる。当時、グローバルなインド人の商業活動と人的な移動のネットワークが「インド太平洋世界」ともいうべき経済圏を形成していた。イギリス本国は、他の列強との差別化のために、インドをはじめとする異民族を支配する側の方便として「帝国臣民」の論理を活用したが、これは帝国内の自由な移動を保障するものとして被支配側のインド人としても活用の余地の大きいロジックだった。これが、インド人移民が乗船した駒形丸がバンクーバーに入港する際、同一の論理に依拠しながらも互いに反対方向のベクトルをもつ力として作用したのだ。ここで面白いのは、支配される側の人的・資本移動が基本的には制限されていたであろう帝国主義の時代において、その「帝国の隙間」を突く形で活発にトランスナショナルな経済活動を営んでいた主体が多数いたという事実。本書で触れられるシク教徒はその典型だが、2回の世界大戦を経てネーション・ステートの勃興を経た結果、かえってそのような自由な移動が制約される結果となったという著者らの指摘が逆説的で興味深い。そうであるとするならば、「駒形丸事件」は当時の移民流動性をいわば裏焼きしたネガであり、さらに来るべき戦後の固定性のポジでもあるというが故に真に刮目すべき事象であり、著者らがこれに着目したことも十分に理解できる。

     ぜひ売れて欲しい。多分売れないだろうけど、それでも本書は売れるべき本、売れないとおかしい本だと思う。 

  • 今から100年以上前の1914年に起こった「駒形丸事件」を題材に、インド太平洋地域のグローバルヒストリーを広い視野で解き明かした本。

    駒形丸事件とは、貨客船「駒形丸」に乗ってカナダのバンクーバーに到着したインド人移民の多くがカナダへの上陸を拒否され、またそこからインドのコルカタに帰国したところ、インド政庁の手によって上陸を拒否されたうえに、その混乱の中で多くが殺害されたという事件である。

    この事件の背景には、インド人のみならずアジア系移民に対する欧米諸国の差別意識だけではなく、インド・ナショナリズムの勃興を背景にした宗主国イギリスへの抵抗運動に対する警戒感の高まりなど、当時のグローバルな環境が影響している。

    いわば、ローカルなレベルでの社会情勢からグローバルなレベルでの国際関係の変動まで、さまざまな要因が相互に影響し合った結果、このような悲劇的な事件が起こったといえる。この事件の経緯とその背景を紐解くことで、このような同時代の環境を立体的に理解することができる。


    19世紀の後半から、インドでは、労働力として使われてきたインド人が大英帝国の帝国臣民としての平等な権利を主張する運動が高まっていた。またガンディーが南アフリカでインド人移民労働者の権利を守る活動を行うなど、インド人労働者の待遇改善を求める運動はインドだけではなく大英帝国各地に広がるグローバルな連動を見せていた。

    一方で、この事件の舞台の一つとなったカナダの状況であるが、北米では19世紀中盤以降、労働力としてのアジア系移民の増加が、治安や文化の面で摩擦を引き起こしていた。サンフランシスコでのゴールドラッシュ以降、北米大陸西海岸には次々とアジア系移民がやって来るようになった。それらは主に、まず中国人、そして日本人、最後にインド人であった。中国人、日本人の増加は、移民の制限を求める世論を高め、人頭税の適用など様々な形での移民制限策がとられた。

    そしてインド人の移民も20世紀の初めから急増してきたが、インド人は中国人や日本人とは異なり、カナダと同じ大英帝国領内の人民であり、本来は帝国領内を自由に移動できる権利をもった人々であった。そのため、インド人移民を制限するため、カナダ政府は、「連続航路規定」や所持金規定といった特殊な手法で、規制を行った。この「連続航路規定」というのは、出生地からカナダへの通しの切符を所持して渡航しなければ、移民として入国できないという規定である。

    このように、駒形丸事件の背景には、インド、カナダ両国における社会の変化があった。


    駒形丸は、北米へのインド人移民移送事業を目論んだインド人実業家グルディット・シンによってチャーターされた船である。パンジャーブ州出身の移民ら総勢376人を乗せて1914年3月28日に香港を出港し、途中上海、門司、横浜を経由しながらカナダに向かった。

    駒形丸がカナダ・バンクーバーの外港であるヴィクトリアに到着したのは5月21日である。しかし、現地移民局は移民の上陸を禁じた枢密院令を盾に、彼らの上陸を拒否する。最終的には入国の是非をめぐって裁判まで争われたが、2ヶ月の闘争の末、州控訴裁判所はカナダには移民に対する法的措置を講じる権限があるとし、移民局の措置を合法であると認めた。

    このことにより、駒形丸は乗客の大半を上陸させることがないまま、7月23日に帰路に就くことになる。

    駒形丸は帰路の途中で横浜と神戸に寄港し、コルカタへ向かった。しかし、駒形丸はコルカタに向かうフーグリ河の約22キロ下流にあるバッジ・バッジで、1914年9月29日に停船を命じられた。そして乗客はコルカタ市内に入ることは許されず、出身地のパンジャーブ州に特別列車で送還されるとの決定が伝えられた。

    この決定は、この直前に開戦した第一次世界大戦の情勢を受けてインド政庁が急遽制定した「インド入国管理規定」に基づくもので、外国人ではなくても「不審な者」が入国することを制限するために、逮捕・拘禁することができるという条例であった。

    この決定に反発した乗客の多くが、下船後特別列車には乗らず徒歩でコルカタに向かい、その途中で軍・警官と衝突。多くの死傷者が出た。

    これが、駒形丸事件の一連の経緯である。


    カナダにおけるアジア系移民と現地社会の軋轢、インドにおけるインド人の権利保護や反イギリス統治の動きなど、さまざまな国際情勢に翻弄され、カナダとインドの両国において正当に入国することを拒否され、最終的に多くの死傷者を出すことになった駒形丸の乗客の運命は、悲劇という他はない。

    そして、この事件はグローバル経済の変動に伴い生じた人の動きの影響や、大英帝国が徐々に衰退し、それぞれの植民地が自律的な動きを始める胎動、またインドをはじめとする反植民地運動の勃興といった、同時代的に起こったさまざまな時代の動きが複合的に関連する事件であったともいえる。

    本書では、このような複雑でダイナミックな歴史の変遷を、駒形丸の後悔を丁寧に追うことによって、非常にきめ細かく描いている。

    歴史研究は、国家という単位で通史的に見られることが非常に多いが、個々の歴史的事件やそれに至った人々の判断は、同時代に起こっているさまざまな環境変化を背景として動かされるものである。

    そういった意味で、歴史上のひとつの事件をこのようなグローバルな視点の中で捉えるということは、現在のわれわれが歴史から学び適切な判断をしていくために有益な知識を得るための、とても大切な方法であると思う。

    本書でも、この事件をさらに深く分析するための視点の1つとして、帝国の衰退と植民地ナショナリズムの高まりという環境における「帝国臣民」の論理の変化を取り上げている。大英帝国における帝国臣民がこの時代にそれぞれの植民地でどのように扱われたのか、また大英帝国とその他の帝国、例えば遅れて帝国主義に乗り出した大日本帝国との間でどのような違いがあるのかといった視点である。

    また、駒形丸事件が起こった背景には、積み荷に武器の密輸があった可能性や、乗客の中にインドの独立運動を行う活動家がいるのではないかという各国政府の懸念なども影響しており、当時の情報ネットワーク、公式・非公式の資金や人のネットワークの存在も浮き彫りにしてくれる。

    本書を通じて、そのような同時代史的且つ複眼的に歴史をみる視点を体験することができたとともに、大英帝国末期、そして第一次世界大戦前夜の世界をインド太平洋地域というスケールで捉えることができ、大変興味深い本だった。

  • イギリス帝国史が専門の秋田茂氏とカナダ史が専門の細川道久氏の共著である本書は、第1次世界大戦勃発当時に起きた「駒形丸事件」を通してインド太平洋世界の創出とイギリス帝国の変容を描き出そうとするものである。「駒形丸事件」とは日本の海運会社が保有する駒形丸(船籍は関東州:日本の非公式帝国)がインド人移民をカナダのバンクーバーまで乗せて行ったものの上陸を拒否され、さらに帰路コルカタで20人近くが虐殺されるという悲劇(バッジ・バッジの騒乱)を引き起こした事件である。どうしてそのような悲劇が起きるに至ったかについての詳細は本書をお読みいただくしかないが、本書はこの忘れられた事件を通じてグローバル・ヒストリーをダイナミックに描いている。

    内容を簡単に紹介しておこう。「はじめに」で述べられている通り、キー概念となる「インド太平洋世界」とは「アジア世界とアメリカ大陸からなる「アジア太平洋世界」に、南アジアや南アフリカなどを含めた「環インド洋世界」を加えた」ものであり、「こちらの方が、歴史的実態に即しており、地域的つながりを理解するのに有効な枠組み」(p.15)である。この枠組みのなかで「つながる歴史」が描かれていく。

    第1章は、「駒形丸事件」が起こった背景について、モノとヒトの移動に関わる経済面と、政治外交・軍事力に関する安全保障面から概観されている。経済面からの概観で参照されるのが、経済史研究者にとってはおなじみの杉原薫氏の「アジア間貿易論」である。その「アジア間貿易論」を援用しながら国際公共財としての自由貿易体制、その結節点としての香港、シンガポールが重要であったことが確認される。安全保障面からみたインド太平洋世界は日英同盟が1つのキーとなる。また「帝国臣民」としてのインド人移民の立ち位置が、南アフリカのガンディーの活躍を事例に概観されている。

    第2章はさらに舞台が絞り込まれ、カナダ自治領(ドミニオン・オブ・カナダ)が事件の舞台として叙述されていく。ほとんどの日本人にはなじみのないカナダの歴史はローカルとグローバル、リージョナルとナショナルの四層を軸に分析されるグローバル・ヒストリーの手法による格好の材料であることが了解される(もちろんグローバル・ヒストリーの手法がそのほかのネイション・ヒストリーに有効でないということを意味するものではない)。第2章の前半が、中国人と日本人移民排斥の歴史、後半がインド人移民の排斥の歴史が取り上げられ、その共通点と相違点が剔出され、非常に面白い。そして最後にインド人の反植民地主義ネットワークの結節点であるバンクーバーの位置付け、それに絡む日本の船が登場し、インド、香港、上海、神戸、バンクーバーがつながっていく。

    第4章では「駒形丸事件」の前半、つまり駒形丸がバンクーバーで屈辱の上陸拒否にあってインドに戻っていくまでの2ヶ月余りが詳細に描かれる。ここでのポイントはカナダが最終的におこなった裁定の画期的意義、つまりイギリス帝国体制変容のきっかけとなったことと差別を前提とした移民政策がとられるようになったことであった。

    第5章は駒形丸の後半の軌跡とそれがインド太平洋世界に与えた影響が叙述されていく。とくに第5章前半では寄港地としての横浜、神戸の様子と駒形丸の動向に同情的な関心を寄せる日本の輿論が取り上げられている。そして、1914年9月26日のバッジ・バッジ騒乱、シンガポールにおけるインド軍歩兵連隊の「反乱」、1919年4月13日の「アムリトサルの虐殺」(死者1200名、負傷者3600名)へとその波紋が広がっていった様が描かれる。

    終章「インド太平洋世界の形成と移民」ではヒト・モノ・カネ・情報の動きを支えた国際公共財が「新たな広域の地域である「インド太平洋世界」の出現と形成を促し」、「新興の通商国家日本は、経済的には「アジア間貿易」を支える基軸国として、政治外交的には日英同盟を通じた軍事・安全保障面での対英協力(英領インドを含む対イギリス帝国)政策により、「インド太平洋世界」における諸帝国の共存体制を支えていた」(p.234)と総括されている。

    本書では国際公共財としての自由貿易体制の支えの一つが領事館ネットワークであったことにも着目されているが、かつて自分も日本の領事館体制を取り上げて東南アジアとの交易ネットワークを論文で書いたことがある(「第一次大戦前の中国南部・東南アジア市場における通商情報網構築—香港における「領事報告」を中心に—」川勝平太編『アジア太平洋経済圏史 1500-2000』所収、2003年、「戦間期東南アジア市場における在外公館とその機能」松本貴典編『戦前期日本の貿易と組織間関係-情報・調整・協調-』所収、1996年)ので、非常に面白かったし、信夫淳平・在コルカタ総領事(p.194、歴史学者の信夫清三郎の父)の名前には記憶があったので懐かしくも感じた。論文を書いた当時は、インド太平洋世界にまで広がっていく広領域の歴史にまで繋げようという発想すらなかったので、本書は大いに勉強になった。

  • 東2法経図・6F開架:B1/7/1543/K

  •  本書で主に登場する場所は南ア、バンクーバー、コルカタ、シンガポール、香港など20世紀前半の英帝国内各地。描かれるのは、ロンドンをハブとしないこれら各地の相互関係だ。
     移民や出稼ぎ、又は英の統治を支える印軍部隊として、印から他の英植民地への人の移動。貿易による物の移動。航海・通信・情報・金融のネットワーク。共著者が重視するのは、南アまでも含めた「インド太平洋世界」のグローバル・ヒストリーだ。
     また、日中移民と印移民は、後者が帝国内の移動や定住の自由を保障されていたはずの「帝国臣民」であった店が異なる。ガンディーは南アで、駒形丸の乗客はバンクーバーで、この帝国支配の論理を逆手に取って権利を主張している。
     日本もまた、本書で横浜や神戸も登場するように「インド太平洋世界」の一端にあり、また日英同盟を通じた対英協力により、諸帝国の共存体制を支えていたと本書は指摘する。1915年シンガポールでの印歩兵部隊「反乱」鎮圧に現地日本人の義勇民兵隊と日本海軍が積極支援していた。

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著者プロフィール

1958年生まれ。大阪大学大学院文学研究科・教授
(主要業績)
『イギリス帝国とアジア国際秩序』(名古屋大学出版会、2003年:第20回大平正芳記念賞2004年)、『イギリス帝国の歴史―アジアから考える』(中公新書、2012年:第14回読売・吉野作造賞2013年)、Shigeru Akita (ed.), Gentlemanly Capitalism, Imperialism and Global History (London and New York: Palgrave-Macmillan, 2002).

「2020年 『グローバルヒストリーから考える新しい大学歴史教育』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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